幼少期から熱血ドラマオタクというエッセイスト、編集者の小林久乃が、テレビドラマでキラッと光る"脇役=バイプレイヤー"にフィーチャーしていく連載『バイプレイヤーの泉』。

第140回は女優の大竹しのぶさんについて。彼女について書きたいと思い立ち、インターネットでぼちぼちと資料を集め始めた。そこで驚いたのが、1973年のドラマ『ボクは女学生』(フジテレビ系)にてデビュー以降、現在に至るまで仕事が途切れていないこと。ほんの少しだけ仕事に隙間がある、と睨みを効かせると、そのゾーンは結婚や出産など、ライフイベントによる影響のみ。おかげで大竹さんの出演歴をスクロールすると、どこまでも続くトイレットペーパーのような長さになっていた。

51年間、オファーが絶えることなし、ご本人も立ち止まることなし。日本国内の女優軍で、キャリアの抜きん出た人物、大竹しのぶさんについて考えよう。

主演クラスが並ぶ月9で、目が離せない人

  • 大竹しのぶ 撮影:蔦野裕

『海のはじまり』開始以前、フジテレビの覚悟を感じた。主演はかつてのヒット作『silent』(2022年)で人気を博した目黒蓮。同作、そして本作も脚本を手掛けるのは、脚本家の生方美久さん。放送枠は月9で、脇を固める出演者も全て主演クラスの人物ばかり。「社を背負っているのでは?」と思わせる布陣で『海のはじまり』がスタートをした。

結果、周囲を見渡すと、世代を問わず「響く人には猛烈に響いている」といった印象だ。毎週訪れる不幸の演出の連打に号泣、がん(海の母親は子宮頸がんにて死亡)患者としてのシーンに共感、子役の演技に我が娘を重ねる……など、皆どこかに自分を投影している。

で、私は……と申しますと。そんなに響くシーンはなく、話題作であるという理由で視聴を続けている。50代が迫ってくる年頃になると、自分の感情が磨耗したのかと思った。でも同年代もハマっている様子を見ていると、今回私がしれっと視聴しているのは、たまたまらしい。

そんな作品でどうしても目が離せなくなるのは、大竹しのぶさん演じる南雲朱音役。不妊治療に苦労をしてやっと授かった我が娘が孫を置いて、先に逝ってしまった朱音。この大きな悲しみを背負った朱音を演じる大竹さんが、素晴らしいの一言。悔しいことにこれ以外の表現が見つからない。

セリフの向こう側を想像させる

例えばセリフの言い回し。生方さんの脚本の特徴なのかもしれないが、セリフが細切れのシーンがよくある。役者泣かせというやつだ。確かに言いにくそうにしている演者も散見される。

ただこれが大竹さんの演技にかかると、圧倒的な迫力が生まれる。

「子ども、産んだことないでしょ?」

夏の現在の恋人、弥生に向かって、淡々と放った一言。これだけで「自分の娘は死んでしまったのに! あなたのポジションにいるのは私の娘だったかもしれないのに!」という、情念が伝わってくる。

このシーンを見て『それでも、生きてゆく』(フジテレビ系・2011年)の野本響子役が浮かんだ。幼かった娘を未成年によって殺されてしまった母親役だ。未成年から成長した犯人と対峙して、平手打ちをする響子は逃げる犯人を捕まえ、腕を自分の腹部に当てながらこう言った。

「ここよ、ここに亜季(娘)がいたの。あたしのお腹の中に、亜季が10カ月いたの。その間に母親が何を思うと思う? 一つだけよ。健康に生まれますようにって、毎日毎日、10カ月間、それだけを思うの!」

テレビドラマ史上に残る、と言っても過言ではない鬼気迫るシーン。これが「子ども、産んだことないでしょ?」から思い出された。セリフが多く、長尺シーンであろうとも、短いセリフであろうとも、彼女はいくつもの想像を掻き立てる。前述のシーンも、娘を失ってから響子がずっと抱えていた艱難辛苦が心臓に伝わってきたことを覚えている。これが大竹しのぶの演技の凄みだと思う。

ただ大竹さんの魅力は、ステージを降りたところにもある。それは共演する若手の俳優たちから、愛されていることだ。一つ例に挙げるとすると、共演経験のある二宮和也から「しのぶちゃん」と呼ばれたり……

年齢を重ねると時々実感するのが、年寄りというだけで世間から置いて行かれていく不安である。ただ彼女の場合、愛され度が減るどころか、増えていく様子がInstagramや媒体で伝わってくるのだから、すごいとしか言いようがない。世間に露出されている、あの緩く、艶やかなしゃべり方。これだけを考えても、とんでもなくチャーミングなのだろうと思う。

そんな彼女を見て思うのは、絶対無理だけど「大竹しのぶのように生きたい」なのである。やること(仕事)はやって、普段は可愛く。10年後の叶いそうにもない、目標である。