
沖縄で結成された、かりゆし58が、デビュー20周年の節目に10枚目のオリジナルアルバム『結縁音(ゆいえんね)』をリリースした。前作『七色とかげ』から4年半ぶりとなる本作には、20周年の記念日に配信された「愛を編む」「youth」をはじめ全11曲を収録。メンバー4人の言葉をほぼ均等に並べて歌詞に昇華した「5820」、前川真悟の息子が夏休みの自由研究で作った曲をバンドで形にした「セミファイナル」など、制作の過程そのものに人との縁が刻まれている。
マネージャーの発案から生まれたというタイトルを背骨に、彼らは何を記そうとしたのか。11月開幕の約15年ぶりとなる全国ホールツアー、そして2027年4月30日の初の日本武道館公演を控える前川真悟(Vo/Ba)、新屋行裕(Gt)、宮平直樹(Gt)、中村洋貴(Perc)の4人に話を聞いた。
―僕は皆さんと学年が一つ違いの年下なのですが、『結縁音』を聴いて、自分の人生の残り時間をすごく意識させられました。
前川:その感覚は僕らにもあります。頭ではわかっていたはずの「いつまでも(人生が続くわけ)じゃない」ということが、年々、嫌でも実感として覆いかぶさってくる。先輩の死が、自分の命の輪郭を教えてくれたりもしました。そういうものが1個1個詰まっているアルバムだと思います。
―曲はどんな順番でできていったんですか?
前川:今回は「結縁音」という言葉が、どの曲よりも先にあったんです。僕らにとって音楽ってなんだろう?と考えたとき、人と「縁」を「結」ぶときに鳴る「音」、それが僕らの曲なんだなと言葉にできた。そうなると、人との間に生まれる感情や出来事をスケッチしていくだけで、音楽家としては全うできるんじゃないかと思えたんです。すごくシンプルで、身の丈にあった場所に心を置けたから、今までほど生みの苦しみがなかったし、うまく循環できた1枚になったと思います。
―「結縁音」という言葉は、どこから生まれたんでしょう?
前川:実はメンバーじゃなくて、マネージャーから出てきた言葉なんです。「来年20周年だけど、どうしようね」とチームで話し合う中で出てきて。この言葉自体も、人との結びつきから生まれたアイデアですね。
「結縁音」という言葉が結びつけた、4人の思い
―ほかの皆さんは、この「結縁音」という言葉をどう受け取りました?
宮平:メンバーもタイトル案を出していたんですけど、「音」や「縁」という言葉は1人1個ぐらいは入っていたんです。20周年が目の前にあって、向かう先はみんな共通していたと思います。
中村:20周年のいろんな人の縁が、全部詰まった作品になったと思います。なんなら表題曲の「結縁音」には、それぞれの子どもや家族の歌声も入れていて。
―ご家族の声まで?
前川:iPhoneや自宅のDTM環境で録ったものを、ミックスしているんです。
新屋:「結縁音」は造語なんですけど、昔から沖縄にある言葉みたいな響きがある。20周年にこういう言葉が生まれたんだから、タイトルどおりの作品になるんだろうなと最初から想像できました。
―今年2月のインタビューでは、すでに「アルバム1枚分のデモ曲は作った」とおっしゃっていましたが、制作はどのように進んでいったんでしょう?
前川:「結縁音」という言葉が出てきたのが去年の夏の終わりか秋口くらいで。年末には表題曲も含めて、曲はほぼ出そろっていました。そこからメンバーの既読スルーが3、4カ月続いて(笑)。
―既読スルー?
前川:僕がメンバーのLINEグループにデモを7曲ぐらい送って、7つとも無視されていた状態だったんです(笑)。
宮平:スタンプは押してましたよ(笑)。自分も曲を出したかったので、もうちょっとあがきたくて。
前川:洋貴からは「了解です」って返ってきたんですけど、それは明日のスケジュールに対しての返事ですからね(笑)。
―(笑)。そうして4年半ぶりのアルバムが完成したわけですが、いま改めてアルバムを出したかった理由はありますか?
前川:20年目の節目もありますけど、シンプルに「4年半ぶり」と聞いて、だらだらしすぎたなと(笑)。その間にコロナ禍もあって、価値観も社会の流れも変わった。だからこそ、今思うことは記しておいた方がいいと思ったんです。いつか目印になるかもしれないし、誰かとの大事な記録になるかもしれない、という想いが漠然とあったんだと思います。
―アルバムの中で、最初に形になった曲は?
前川:先に配信リリースした「愛を編む」と「youth」、それと同じ頃に表題曲の「結縁音」ができて。最後に形が整ったのが「5820」です。
4人の言葉から生まれた「かりゆし58くん」
―「5820」は、バンド名の「58」と20周年の「20」を掛けたタイトルで、メンバー全員で作詞した曲ですね。
前川:20年目を迎えて思うことを、作文でも箇条書きでも言葉にしてみてとメンバーに頼んだんです。でも、半年ぐらい誰も出さなくて。最後は夏休みの宿題の最終日みたいになりました(笑)。そのぶん、思いを熟成させられたと思います。
―歌詞は、4人の言葉がほぼ4等分に使われているそうですね。
前川:文字数までこんなに均等になったのは初めてです。最初は、みんなの文章を僕が読み解いて、「この人はこう言いたいんじゃないか」と解釈したフルコーラスを書いたんです。それをマネージャーに見せたら、「これはこれでいいけど、4人の言葉の色を変えずに出した詞も読んでみたい」と言われて。それで一旦くしゃくしゃっと丸めて、僕以外の3人の言葉を壊さずに、並べ方だけを考えたんです。結果、1番のサビは僕、1番のAメロは行裕、2番のAメロが直樹、最後のサビが洋貴、という4等分になりました。
―それによって、曲にどんな変化が生まれましたか?
前川:今までは、どんなテーマでも、どこか僕の語彙と感性を持った主人公が語り手になっていたんです。今回は初めて4人分の主人公が立ち上がった。「これがかりゆし58くんか」という、バンドとしてのアバターができた感じがして、面白かったですね。
―それぞれの言葉が、できるだけ原型に近い形で使われているんですね。
前川:直樹は長文で3、4パターン送ってきて、2、3曲作れるくらいの量でした。前向きなだけじゃない影も潜んだ言葉で。洋貴の言葉はほぼそのままサビにはまっていて、変えたのは1カ所くらい。「いつか死んだら星になる」って言葉があって、その後に「生まれ変わったら同じ事をやるんだ」につながっていたので、星になったらバンドできないだろ!と思って、そこだけ直しました(笑)。
―宮平さんは、どんな思いで書いたんですか?
宮平:ファンに向けてでも、自分のことでもいいと言われていたんですけど、書いていたら自然とメンバーのことになったんです。僕たちは高校時代からの友達で、地元の仲間同士で集まって一緒に歩き出した。僕はデビュー時はメンバーじゃなくて、あとから加わったんですけど、そのきっかけも、同級生の集まりにいつもいたからで。高校の頃のことも思い出しながら、地元の同級生で20年続けるのはめちゃくちゃ楽しいな、という思いを書きました。
―面と向かってはなかなか言えないことが描かれているんですね。中村さんはいかがでしょう?
中村:東京でバスに乗りながら書きました。サビの部分を書いてほしいと言われているんだと思って、サビに当てはめて書いていって。
前川:「こういうことをお願いしたい」って、半年で4、5回は言ったんですよ。伝わってなかった(笑)。でも、それが効いた。洋貴は10周年を前に手の不調でドラムが叩けなくなって、一度バンドを離れたんです。でも脱退じゃなく、今はパーカッションとして一緒に20年目を迎えている。その背景がある洋貴が、〈夢が叶ったり 現実に引き戻されたりして また夢を見たり〉〈生まれ変わったら 同じ事をやるんだ また君とやるんだ〉と書いてくる。胸が熱かったです。
中村:改めて振り返ってみたら、自分はのほほんと生きてるなと思って。でも変われないなと。だから、これからもこのままなんだろうなと思って書きました。
左から、宮平直樹(Gt)、前川真悟(Vo/Ba)、中村洋貴(Perc)、新屋行裕(Gt)(Photo by Jumpei Yamada)
―新屋さんはいかがでしょう?
新屋:僕はのんびり屋で、のんびり20年やってきて。20周年ということで忙しくさせてもらって、いろんな人がバンドを応援してくれているのを実感したんです。それなのに俺は何をやってたんだろうと、すごく落ち込んだ時期があって。そういう気持ちを書きました。
―書いてみて、どうでした?
新屋:そんなに1人で背負わなくていいんだなと。そのためにバンドがあるし、この曲があったから少し楽になりました。1人で書いたら、相当暗い曲になってたと思います(笑)。
―全体としては、どういう曲になったと思いますか?
前川:最初は目の前にいるお客さんに向けて、あなたのおかげで、向いているかどうかもわからない音楽の道にぶら下がって生きていられると言っていて、最後は横にいる仲間に、また同じことをやるんだと言う。1人で抱えていた自己嫌悪や驕りを、4人分のバランスが綺麗に溶かしてくれた気がします。
―アルバムを締めくくる「はなのな」は、新屋さんの作詞作曲ですね。
新屋:デモを作っていた時期に、沖縄のアニメの企画があって。その企画書を読んで、打ち合わせもせずに勝手に作ってみたんです。
―それをアルバムの最後に置いたのは?
前川:アルバムの流れで考えると、1曲目の「Run Run Run」は、僕ら小僧どもが憧れに引っ張られて歩き始めて、迷子になりつつここに辿り着いて、またあなたに会いに行く、という立ち上がりなんです。そこから沖縄のサウンドや、沖縄が辿った歴史に触れる曲(「スターリリー」)があって、後半は息子に向けた歌、息子の自由研究から生まれた曲と続く。そのあとに行裕の歌詞を読むと、目の前の人じゃなく、自分の命を先へつないでいく存在に向かって歌っているように聴こえたんです。時間が未来へと向かっていることを証明するエンドロールとして、しかもバラードで静かにエネルギーを宿しているのが美しいなと思って、この曲にしました。
―新屋さんが、この曲でこだわったのは?
新屋:全部自分でやりたかったんです。ギターも打ち込みもドラムも、人に任せずに全部やったらどうなるんだろうと。デモのときは全部やりたくなっちゃうんですよ。やらなくていいことなんですけど(笑)。でも今回は、自分から出てきたものが1つの形になって落ち着きました。夜中にお酒を飲みながら演奏したり、ちょっと歌ったり。そういうのが楽しくなってきたんです。20年目にして。
―「はなのな」はボーカルも新屋さんですが、基本的には作った人が歌うんですか?
前川:ケースバイケースです。行裕の曲は、行裕が歌った方が完結する世界観が多い。ほかはみんなで作って、僕が歌うことが多いですね。
「自己肯定のハンコ」を押す──息子との曲作りから見えたこと
―その前の「セミファイナル」は、前川さんの息子さんの自由研究から生まれたそうですね。
前川:息子は今年中1で、去年が小学校最後の夏休みだったんですけど、その自由研究で「初めての楽曲制作をやりたい」と。
―自由研究で曲を作るというのが、前川さんの息子さんらしいですね。
前川:曲を作るにあたって約束事があって。「父ちゃんが音楽の仕事をしてるからこんなのができました」だと、友達からはスネ夫に見えるというか。周りの友達も「俺にもできるかも」と思えないとおもしろくないと思ったんです。だから、お金をかけず、パソコンに入っている無料のアプリで作ることをルールにしました。うちはMacだったので、GarageBandで作って。息子は吹奏楽部でパーカッションをやっていたし、ピアノも習っていたけど、楽器が弾けない子にはできないことはしない。簡単なループを繰り返して、そこに歌詞とテーマを落とし込む。そこがいちばん楽しくて、いちばん難しいところだったと思います。
―そのテーマが、夏の甲子園を目指す球児とセミの一生の対比だったと。
前川:その対比で「セミファイナル」という曲を上げてきて。あまりにもよくて、もうこれでいいんじゃないかと思うくらいでした。それをバンドで解釈して、メンバー全員が参加できる曲にした感じです。
―息子さんとの制作で、印象に残っていることは?
前川:曲作りは順調だったんですけど、最後の歌録りで苦戦していて。自分の声が嫌いだ、気持ち悪いって。めっちゃわかるんですよ。俺もそうだし、自分の声に満足しているミュージシャンなんて一握りだぜ、と話したんですけど、それで解けるわけじゃない。だから、曲作りは自己肯定のハンコを押していく作業なんだ、と話しました。このコードでいい、このメロディでいい、この声でいい。全部に自分でOKを出さないと完成しない。だから1回ハンコを押して、反省は次。そう話したら「もう1回やってみる」と言って完成しました。このやり取りができただけで、親子の自由研究としての意味は果たせた気がします。
―それをバンドで世に出した理由は?
前川:息子はもう声変わりして、あのときの声は出ないんです。ある一時期の記録を、どこにも行けないところに閉じ込めておくのは可哀そうだなと。彼が夏休みに完成させたから、僕らは1年後の夏にこれを旅立たせる。それで先行配信を夏の甲子園の開幕日にしました。
―親子の関係として、すごくいいですね。
前川:最近は、AIの進化もあって、曲が生まれること自体があまり特別じゃなくなってきていると思うんです。だからこそ、どれだけ出来のいい曲かより、そこに何が宿ったか。それが人間と音楽の付き合い方なのかなと。父ちゃんが人生を注いでいる音楽には、こういう糧もあるよと息子に伝えられた。それが大きなやる気になった曲です。
―1曲目の「Run Run Run」は、前川さんと宮平さんの共作による歌詞ですね。
前川:今回はプロセスを大事にしたかったんです。20年目をメンバー全員がちゃんと味わえるように、全員が活躍できるようにしたかった。それはマネージャーの意向でもありました。行裕は最後の曲(「はなのな」)をやるし、ほっといてもどんどん送ってくる。じゃあ頭は、直樹のやりたいことで飾れたらいいねと。
―宮平さんのやりたかったことというのは?
宮平:ライブの幕を開けるような曲が、アルバムの1曲目になればいいなというのがサウンド面でやりたかったことです。テーマは、バンドでツアーに出たら、その先で待ってくれている人がいて、その人に曲を聴いてほしいというもの。これは1、2年前から持っていたテーマでした。
―そのテーマをベースに、歌詞やメロディを書いていったんですね。
宮平:書いては真悟に聴いてもらったりしていたんですけど、長く引っ張りすぎて抜け出せなくなって、同じところをループしてしまったんです。期限が来て、できているところまで出したら、ほかの曲とテーマや言葉が被っていて、作りきれなくなってしまって。
―そこから、前川さんにバトンを渡したと。
宮平:テーマは引き継いで、真悟に曲を作り直してもらいました。アレンジは、元TOTALFATで、今はMONGOL800のサポートをしているKubotyにお願いしたんです。彼のプロデュースワークを聴いていたので、バンドの音としてがっつり出せそうだし、かりゆし58のことも理解した上でやってくれると思って。自分で作りきることはできなかったけど、こういうのがやりたかったんだよな、という形になりました。
―冒頭の銅鑼の音が、アルバムの始まりを告げていますね。
前川:ミックスで3回ぐらい「もっと音量を上げて」って言いました(笑)。うちらは、ライブで本物の銅鑼を鳴らせる数少ないバンドなんですよ。パーカッションの洋貴がいるから。その1発目は、ほかのバンドには鳴らせないやつにしたくて。

Photo by Jumpei Yamada
三線も砂利も音楽に──自由な音作りと「20年分の忘年会」
―中村さんは、今回初めて三線も弾いていますね。
中村:「かりっかりかりか」のイントロを弾いています。2月ぐらいに、3人で知り合いの三線教室に習いに行ったんです。
前川:もともとは表題曲の「結縁音」で三線を入れるつもりだったんです。アルバムのテーマ曲だし、沖縄サウンドに振ろうと。この曲は沖縄セルラー電話株式会社の創立35周年記念テーマソングで、スマートフォンが人間に話しかけている曲でもあって。行裕が三線を習いに行ったと聞いていたから、じゃあ行裕の初の三線レコーディングにしようと。でも「あれからどうなの?」と聞いたら、先生に人見知りしたのか、行ってないと(笑)。
一同:(笑)
前川:先生はネーネーズの上原渚さんで。熟練のスーパー沖縄ミュージシャンなんです。考えてみたら、ギターの2人が持つと、音楽的な興味から三線を持ったように見える。でも洋貴が持つと、本当に沖縄のお兄ちゃんに見えるんです。じゃあ洋貴が弾くべきだろうと。結局「結縁音」はギターになったので、その悔しさを「かりっかりかりか」に全部ぶつけました。
中村:めちゃめちゃ練習に時間がかかってます(笑)。
前川:ほかのパーカッションに手が回ってないんじゃないかってぐらい、フェスの楽屋からずっと練習の音が聞こえてきてね(笑)。
―3人で三線教室というのも、いい時間だったんじゃないですか。
宮平:沖縄だと周りにやる人がたくさんいて身近なんですけど、やってみたら考え方が全然違って面白かったです。
前川:三線って、始めるタイミングを逃すと、生半可な気持ちでは踏み込めない領域になっていくんですよ。先々週も齢81歳で芸歴70年の大先輩の島唄と三線を間近で聴いて。そういう人のそばで、初心者みたいに三線に目印のシールを貼っているわけにもいかないので(笑)。
―レコーディングは、一気に行ったんですか?
前川:6月、7月で一気に録りました。沖縄に住んでいるメンバーは長期出張みたいな感じで。改めて、慣れた気になっていた東京と沖縄の違いを感じて、つくづく俺たちは沖縄の人間なんだなと思いながら。
―それは、どういうところで?
中村:釣りに行けないところ(笑)。
新屋:毎日電車に乗ってスタジオに行くのも大変でした(笑)。でもそのぶん、沖縄じゃできない集中の仕方ができた。それがいちばんよかったんじゃないかな。沖縄にいたら返事もしないし、遊ぶものが多いから。
前川:一度サイクルをリセットして、新しく組み直したかりゆし58のリズムが収まっていると思います。
―「ユーモア」では、中村さんが様々な音を鳴らしていますね。アルバムのトレーラーに、砂利を踏んでいるシーンが収められていて、面白いなと思いました。
中村:みんなでホームセンターに行って、音が鳴るものを探したんです。
前川:今回は、作る工程にもそれぞれ意図があって。1曲目は、同い年のKubotyとの20年目にしての初めての出会い。逆に、昔から一緒にいてくれた人もいる。「オワリはじまり」をはじめ、代表曲のアレンジとプロデュースをしてくれた久保田光太郎さん。10年ぶりにご一緒したのが「スターリリー」と「ユーモア」なんです。
―久保田さんはどんな方なんですか?
前川:サウンドの素晴らしさはもちろんなんですけど、バンドを塊じゃなく一人ひとりとして見て、自分の人生をどう生きるかのヒントをくれる人で。10年ぶりに会ったら、最初に「洋貴のことが気になっていた」と言われたんです。あの頃はドラムで一緒にやっていたけど、手の調子が悪くて離れて、今はパーカッションで戻ってきた。もし洋貴が、みんなの邪魔にならないように楽器をコソコソ叩いていたら、寂しくて嫌だ、と。そこから打ち合わせが始まりました。
―どんなことを話されたんでしょう?
前川:それが、「パーカッションって無責任なんだ」って言うんですよ。俺が知ってるパーカッショニストは全員無責任で、曲の意図をわかっているのかわからないようなことをするのに、出来上がったら、それがないとその曲じゃなくなる。だから憧れなんだ、と。楽器かどうかに関係なく、音が鳴ればなんでも使う。それが彼らの自由さなんだと。
―それでホームセンターに。
前川:パイプをゴムスリッパで叩いたり、煙突の部品を叩いたり。「これはどんな音がする?」って回りながら。4人の自由研究みたいでした。そうやって「ユーモア」ができる一方で、沖縄の歴史に光を当てる「スターリリー」には、まったく別の深みのあるアイデアをもらえた。光太郎さんは僕らより10歳ほど年上なんですけど、音楽で自分の人生を生きるとはどういうことかを見せてくれる。バンドの現在地をキープするとか、数字を気にするより、もっと人生のほうに目を向けさせてくれたセッションでした。
―中村さん、印象に残っている音は?
中村:砂利を踏んで、キックの代わりにしたんです。これライブでどうやるんだろうって(笑)。
前川:光太郎さん曰く、マイクに乗っていなくてもいいんだ、と。お客さんに「あいつ何してんだ?」と思われるだけで、もう曲に参加している、と。目から鱗でした。今回は洋貴に向けられた言葉だったけど、僕もその感覚でライブを捉えられたら、自分を縛っているものを解けるかもしれない。どう再現するかより、マイクに乗ってるかなんて関係ねえ! 面白いだろ!と堂々とやれるか。そこに自己肯定のヒントがあるんだと思いました。
―ライブでは、砂利を用意して生で音を鳴らすんですか?
前川:16小節も持たないですよ。どんどん足でならされていって、底に足が当たって音がしなくなる(笑)。
―それもライブの見どころですね。11月からは、15年ぶりの全国ホールツアー「ハイサイロード2026 結縁音-YUIENNE-」がスタートします。どんなツアーにしたいですか?
前川:20年分の忘年会でいいんじゃないかなと思います。20周年の年を、実感を持てないまま半分以上過ぎた気がするんです。「20年やってきてどうでした?」と聞かれても、いまだに「あっという間でした」としか言えない。でもその年が終わっていく。節目にも終わりが来るという現実を、笑ってみんなと溶かし合う。それが僕の中の位置づけです。
宮平:最近SNSのコメントをよく見るんです。学生のときにライブに来ていたけど、結婚して仕事が忙しくなって来られなくなって、子どもが小学生になったから2人で行きます、という人がいて。自分たちも年を取って、同じように時間が流れてライフステージが変わったけど、もう一度会える。初めてツアーに行きます、という人もいる。誰かに会いに行くのが、ものすごく楽しみなツアーです。
中村:来年4月には日本武道館があるので、その準備になればいいなと。全国を回って元気を集めて、元気玉になればと思ってます。
新屋:いろんなところに行くので、どんな出会いがあるんだろうと、すごく楽しみです。まさにアルバムタイトルのようなツアーになったらいいなと思います。

『結縁音』(ゆいえんね)
かりゆし58
発売中
配信・購入:https://orcd.co/yuienne
初回限定盤(CD+Blu-ray):8,250円(税込)/434-LDKXD初回限定盤(CD+DVD):7,700円(税込)/435-LDKDV通常盤(CD):3,300円(税込)/436-LDKCD
収録曲
1. Run Run Run
2. 愛を編む
3. かりっかりかりか
4. 5820
5. 結縁音
6. ユーモア
7. スターリリー
8. Day tune
9. youth
10. セミファイナル
11. はなのな
初回限定盤には、2026年5月10日に大阪城音楽堂で開催された「かりゆし58 20th Anniversary 母の日のホームゲーム」のライブ映像全20曲を収録(Blu-ray/DVD共通)。
