シトロエン新型電動2CVは、パリの景色になれるだろうか|メトロの壁に貼られた問い

ポルト・ド・ヴェルサイユ駅のホームに降りると、白いタイルの壁に真っ赤な2CVが貼ってあった。モンディアル・ド・ロート、つまりパリ・モーターショーの会場最寄り駅である。広告の隅には、フランスの自動車広告に義務づけられた例の一文が小さく入っている。短い移動なら歩くか自転車で。車を売る側が歩けと言うこの国で、シトロエンは今、78年前に大衆を車に乗せた車を、もう一度大衆に売ろうとしている。

【画像】今年のパリ・モーターショーで話題をさらったシトロエン「2 CV Concept」のディテール(写真20点)

10月11日、プレスデーの前夜にシトロエンが公開した「2 CV Concept」は、今年のモンディアルで間違いなく最も人を集めた1台だった。全長3.76m、目標重量1トン、電動のみ、2028年に欧州生産で発売、価格は1万5,000ユーロ前後。数字だけ並べれば小さな電気自動車の話である。けれどこの車の周りに人垣ができたのは、数字のせいではない。

なぜ今、2CVなのか

シトロエンは長い間、レトロデザインに手を出さなかったブランドだ。1990年代末の「2CV 2000」計画は初代C3に道を譲り、2009年のRevolte、2010年のSurvoltはスタイル検討で終わった。ジャン=ピエール・プルエの時代、デザイン部門は過去を振り返ることを良しとしなかった。

風向きを変えたのは隣人である。ルノーが電動のR5で成功し、R4、トゥインゴと続いた。フィアットも500で同じ道を歩んだ。中国勢が攻めてくる中で、欧州の老舗が唯一持っていて彼らに無いもの、それが「物語」だった。2025年6月にシトロエンの社長に就いたグザヴィエ・シャルドンは、就任直後にこの企画を立ち上げている。ステランティスの新トップ、アントニオ・フィローザの承認を得たのが2025年末。デザイナーたちに与えられた時間は16か月。最初のモックアップは投資家に見せるため、春に米国で急造された。

もう一つの理由は、ブリュッセルにある。欧州委員会は2025年12月、EU域内で生産する全長4.2m未満の電気自動車のために「M1E」という新しい区分を提案した。安全装備などの要件を10年間凍結し、各社のCO2計算では1台を1.3台と数える優遇枠だ。小さくて安い電気自動車を欧州で作れ、という政策である。シャルドンは言う。コロナ以降、欧州市場は毎年300万台を失い、そのうち6割が1万5,000ユーロ未満の車だった、と。失われた客を取り戻す車が必要で、その車にはM1Eという追い風があり、そしてシトロエンの倉庫には、まさにそのために生まれた車の設計思想が眠っていた。

ステランティス欧州ブランドのデザインを統括するジル・ヴィダルの言葉が、この企画の論理をいちばん正直に語っている。2CVは戦前、大衆に動力を与えるために構想された。今の課題は大衆に電動モビリティを与えること。状況は似ている。2CVと無関係な小さな電気自動車を作ることもできたが、この車がまさにその理念を体現しているのに、遺産を使わない手はない。ただし、と彼は付け加える。過去のモデルを蘇らせるには意味が要る。何でも復活させればいいわけではない。

78年前の要件書と、今の要件書

初代2CVの出発点は1930年代半ば、シトロエンを傘下に収めたミシュランから送り込まれたピエール=ジュール・ブーランジェの要件書だった。4人と50kgのジャガイモを運び、時速60kmで走り、燃費は3リットルで100km。畑を横切っても籠の卵を1個も割らないこと。帽子をかぶったまま乗れること。ブーランジェ自身がシルクハットをかぶって試作車に乗り込み、帽子が落ちれば不合格だったという逸話が残る。彼はこの車を「4つの車輪に1本の傘」と要約した。設計はトラクシオン・アヴァンを生んだアンドレ・ルフェーブル、ボディはフラミニオ・ベルトーニ、水平対向エンジンはワルター・ベッキアが液冷案を捨てて空冷にした。

1939年10月のパリ・サロンで発表されるはずだった250台の試作車は、開戦で蔵に隠された。1948年10月7日、グラン・パレの第35回サロンで3台が披露されたとき、ヴァンサン・オリオール大統領はあまり感心しなかったと伝えられるが、一般客は2時間並んで見た。翌年7月にルヴァロワ工場で生産が始まり、納車待ちは一時6年に達した。フランスでの生産は1988年にルヴァロワで終わり、最後の1台は1990年7月27日16時、ポルトガルのマングアルデ工場を出た。累計511万台。

新型の要件書は、ブーランジェのものより散文的だ。全長4.2m未満、EU域内生産、1万5,000ユーロ、重量1トン。だが読み替えれば中身は同じである。安く、軽く、必要なものだけ。コンセプトカー責任者のアントワーヌ・ガイヨ=ドルヴォンは、ガラスは一方向にだけ曲げれば安い、リアゲートは塗装せず黒い樹脂を直接成形した、バンパーはボディから独立させて単体で交換できる、と説明する。初代が「ブリキの缶詰」と笑われながら愛されたのは、安さを隠さなかったからだ。新型も安さを隠していない。そこは血が通っている。

何が残り、何が消えるか

コンセプトは量産車に9割忠実だとシトロエンは言う。残るのは、フェンダーの先に浮いた丸いヘッドライト(衝突試験は通るという)、独立したバンパー、2CVのレバーの精神を継いだシフトセレクター、ベンチシート風の座席。キャンバストップはおそらくオプション。

消えるのは、遊びの部分である。ブレーキに亀、アクセルに兎のペダル。フロントガラスの「48 / 90 / 26」のステッカー。ベルギーの漫画家ジャン=リュック・デルヴォーが描いた画面のイラスト。取り外せる前席ベンチは安全基準のため固定式になり、ヘッドレストが付く。ドアハンドルはコストの都合で他車種から流用される可能性がある。ドアポケットの卵置きが残るかどうかは、誰も明言しない。

そして骨格は、パリのものではない。業界紙Journal de l'Automobileによれば、新型2CVはリープモーターT03のプラットフォームを使い、次期フィアット・パンディーナと共に、ナポリ近郊ポミリアーノ・ダルコのパンダ工場で組まれる。中国資本のEVの骨にフランスの皮をかぶせ、イタリアで作る。ルヴァロワのセーヌ河岸で生まれた車の末裔としては、なかなか複雑な出自である。

国民車か、客寄せパンダか

さて、この車はフランスを代表する車になれるのか。

懐疑的になる材料は多い。M1E規制はまだ採択されていない。欧州運輸安全評議会は、安全要件の10年凍結は都市の歩行者と自転車に代償を払わせると警告している。規制が間に合わなければ新型は通常のM1として発売され、1万5,000ユーロという数字は崩れる。初代は田舎の車だった。畑を横切り、市場へ卵を運ぶために生まれた。新型は航続200km強、最高速110km/hの都市の車で、初代の客である農家の子孫は今、SUVに乗っている。ネットのコメント欄には、こんな車では町内を一周するのが関の山だ、卵置きはやりすぎだ、という声が並ぶ。

それでも僕は、この車に少し賭けてみたい気がしている。理由は三つある。

一つ目は、新型が初代より短いことだ。全長3.76mは1948年の初代より数センチ短い。復刻車が原型より小さくなったのは、ルクレールの言う通りおそらく史上初である。ニューミニもニュービートルも新500も、みな原型より一回り膨らんで帰ってきた。縮んで帰ってきた車は、懐古趣味ではなく、原型の思想を本気で読み直した証拠だと思う。

二つ目は、シトロエンがこの車をコンセプトで終わらせないと公言していることだ。ガイヨ=ドルヴォンは言う。20年前のような突飛なコンセプトではない、作れないものは見せていない、と。16か月の開発過程はドキュメンタリー「La Légende revient」になってPrime Videoで配信され、シャルドンはル・ブルジェに1,400の販売店を集めて企画を披露した。客寄せパンダを作るのに、ここまで退路を断つ会社はない。

三つ目は、初代だって最初から国民車ではなかったことだ。1948年の2CVはブリキの缶詰と嘲られ、大統領は顔をしかめ、ルノーの技術者は後に、あれを見てR4の構想を固めたと白状している。2CVが風景になったのは、安くて、壊れず、何にでも使えたからだ。愛着は後から来た。新型にも同じ順番が求められる。2028年、ポミリアーノから出てくる1台が、初代と同じように安く、壊れず、何にでも使えるなら、ペダルの亀と兎が消えていても、人はそれを2CVと呼ぶだろう。

ポルト・ド・ヴェルサイユのホームで、12号線の古い車両がきしみながら入ってきた。白いタイルと緑の縁取りは1910年からほとんど変わっていない。赤い2CVの広告は、その壁に不思議なほど収まっていた。溶け込めるかどうかを問うまでもなく、もうそこにいた。あとは2年後、この広告の車が本物になって、ルヴァロワではなくナポリから、パリの石畳に転がり出てくるのを待つだけである。

文:櫻井朋成 写真:櫻井朋成、シトロエン

Words: Tomonari SAKURAI Photography: Tomonari SAKURAI, Citroën