
コンコルド広場に面したオテル・ド・ラ・マリーヌ。18世紀には王室の家具や調度を管理していた建物の中庭に、9月9日、一台の車が置かれた。車体は透明で、フレームは金色。近づくと、シートの白い布の中で小さな貝殻が光っている。周りにいた人たちの反応は皆同じで、まず笑って、それから黙って覗き込む。
【画像】存在感抜群! アート作品といっても過言ではない透明×ゴールドのシトロエン・メアリ(写真16点)
車種は隠されていない。透明なボディ越しに、フレームに貼られたシトロエンの銘板がそのまま見える。1968年、ドーヴィルのゴルフ場で発表されたシトロエン・メアリ。2CV系のシャシーに、量産車として初めてABS樹脂のボディをかぶせた、あの海辺のクルマである。1987年まで14万台あまりが作られ、フランス人にとっては夏休みそのものの形をしている。プラスチックの車だったからこそ、ボディを透明にするという発想が成り立った。発想したのはアントワーヌ・トヴェル。妻セシルとともにMaison Lacméという創作スタジオを立ち上げたばかりのアーティスティック・ディレクターで、Astre Mobileはその最初の作品、いわばマニフェストにあたる。
ボディを描かない
アートカーと聞けば、1975年にカルダーが塗ったBMW 3.0 CSLに始まる、ボディをキャンバスにする系譜を思い浮かべる。じつはその一台は、この1月、レトロモービルの前触れとして、まさにこの中庭に置かれていた。競売人エルヴェ・プーランがル・マンを走らせるために手に入れ、カルダーに託した「最初のアートカー」である。それから8か月、同じ石畳の上に現れたAstre Mobileは、その系譜をきれいに裏返す。ボディは描かず、透明にして中身を見せる。その代わりに、ハンドル、メーター、シフトノブ、シート、ホイールキャップ、エンブレム、鍵といった、普段は誰も作品と思わない部品を、12人のフランスの職人にひとつずつ託した。
会場で会ったアントワーヌは、この構想に2年かけたと言う。図面を引き、模型を作り、試作を彫り、その上で職人に手渡す。「これは車ではない。未確認走行物体であり、Maison Lacméの旅の始まりを告げる詩的な探査機だ」というのが彼の言葉だ。
土、水、空気、火
部品の一つひとつには、四大元素が割り振られている。土は白オニキスのホイールキャップ。石の彫刻家エルヴェ・オブリジが透明感と筋を見て選んだ石で、走ると4枚の円盤が回る星のように見える。水はシート。刺繍家オレリー・ラノワズレがフランスの3つの海岸で拾い集めた貝の欠片と真珠、金糸を、オートクチュールのツイードを思わせる生地に波が引いた跡のように縫い留めた。遠目には砂色の無地で、近づいて初めて貝が現れる。空気はメーター。羽根の象嵌師ジュリアン・ヴェルムーレンが、イヴ・クラインの青に寄せた群青の羽根で放射する太陽とアール・デコのパルメットを描いた。そして火は、真鍮の機構と金箔に宿る。
そのメーターの積算計は40 075 kmで止まっている。地球の円周だ。2000年以上前に棒と影だけでこの距離を割り出したエラトステネスへの目配せで、運転席は機械の場所から小さな天文台に変わる。
部品は車を離れる
アントワーヌが繰り返し口にしたのは「可逆性」という言葉だった。部品は車に付いているときだけが本来の姿ではない。ホイールキャップは2枚を外し、ロシア革の帯で面と面を合わせて繋ぎ、裏から光を通すとランプになる。石を外している間、車には装飾画家ピエール=イヴ・モレルがオニキスの筋まで描き写したトロンプ・ルイユの円盤が付く。走れば本物と絵の見分けはつかない。エンブレムは金のカンティーユで刺繍された天の川で、外せばブローチとして胸に留まる。セシルは会場で実際にそれを着けていた。
鍵は、アントワーヌが子どもの頃の落書きから起こした形を、漆芸家アレクサンドル・デュボックが漆で仕上げたものだ。内側には星空のような黒い漆が沈み、ねじ山は金粉の一線で隠されている。この鍵には双子がいて、キャップが同じシルエットのペンになる。鍵を包む黒い布は、日本の刀袋への敬意なのだと彼は言った。日本が好きなのだと。シフトノブの白い磁器の球には、妻セシルの指の跡がそのまま焼き付けられている。アトリエ・アルキエが4種類作った球のうちひとつは素焼きのままで、この車のために調合した香りを放つ。
シフトレバーの下、暖房のボックスには金色の板がはめ込まれている。アントワーヌが撮った46億年前の隕石の断面のマクロ写真を、ファニー・ブーシェがエリオグラヴュールの版に起こし、リーズ・リシャルドが金箔を施した。板は取り外せて、そのまま版として7枚限定の版画が刷られる。10年ほど前、僕が初めてファニーに版を頼んだのもブガッティの写真だったから、この板の前ではつい足が止まった。車の部品が版画の原版になる。ここまで来ると、この車はもう「装飾された車」ではなく、車の形をした12の作品の集合体である。
走れる、ということ
念のため書いておくと、Astre Mobileは走る。エンジンも変速機もメアリのままで、透明なボンネットの下に金色に塗られた空冷2気筒が見える。走れることをやめなかった理由は、日曜のシャンティイで分かることになる。
夕方、中庭の光が斜めになると、透明なボディの中で金のフレームだけが浮かび上がる。貝殻とオニキスと羽根と漆を乗せた小さなメアリが、名前の通り、星になりかけているように見えた。
Paris Design Week: Astre Mobile
会期:2026年9月9日〜27日、オテル・ド・ラ・マリーヌ中庭、入場無料
https://www.hotel-de-la-marine.paris/en/agenda/paris-design-week-astre-mobile
写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI