
90年代を象徴するピアニスト、ベン・フォールズの独占インタビュー。ベン・フォールズ・ファイヴの1995年デビュー作の制作秘話、9.11が変えた自身のキャリア、近況と知られざるエピソードについて深く語る。
ベン・フォールズ・ファイヴは9月4日、セルフタイトルのデビューアルバムの30周年を記念したスペシャル・ボックスセットをリリースした。パッケージには、ケイレブ・サザンがプロデュースした1995年のデビュー作に加え、スティッフ・ジョンソンがプロデュースした初期バージョンの未発表音源を、『Shelved First Attempt』と題したボーナス・ディスクとして収録。最初のレコーディングに「何かがしっくりこなかった」と感じたベンはケイレブを迎え、自身とベーシストのロバート・スレッジ、ドラマーのダレン・ジェシーの3人は、わずか3000ドルという乏しい予算で、5日間かけてアルバムを録り直した。
Rolling Stoneはベンに話を聞き、バンド初期の日々、ベビーグランド・ピアノを持ち込んでクラブで演奏するという大胆不敵な試み、そして大学生だったジェイソン・サダイキスが彼のピアノをステージまで運んでくれたときのことを振り返ってもらった。この独占インタビューでは、ベン・フォールズ・ファイヴが最初に解散した経緯や、2008年と2012年の再結成についても語り、今後のツアー計画についても少しだけ明かしている。さらに、9.11直後にツアーを続けていた数少ないアーティストのひとりだったこと、その当日にリリースされたソロ・デビュー作、そしてそれらが自身のキャリアにどのような影響を及ぼしたのかについても語ってくれた。
現在、ベンが力を注いでいるのが、プロデューサー兼音楽監督を務めるリンジー・クラフトの一人芝居ミュージカル『Weve Been Here Before』だ。ベンが音楽監督の仕事に携わるのは今回が初めてではない。2006年にはドリームワークスの映画『森のリトル・ギャング』の音楽を手がけ、2022年にはApple TV+のスペシャル作品『スヌーピーのショータイム! 小さなことでも大切に』のテーマ音楽を作曲。2025年には、同じくApple TV+の『Snoopy Presents: A Summer Musical』で音楽監修を務めた。同作は、『ピーナッツ』にとって35年ぶりとなるアニメーションのミュージカル・スペシャルでもある。
ニューヨークで短期間上演された『Weve Been Here Before』の公演から数日後、ノースカロライナ州の自宅にいるこのポップ・ピアニストに話を聞いた。
音楽監督としての新境地
―『Weve Been Here Before』のオフ・ブロードウェイ公演はいかがでしたか?
ベン:最高だったよ。回を重ねるごとに着実によくなっていったと思う。それが狙いでもあるからね。技術面を含めた完全な通し稽古すらできていなかった。初日に現地で初めてみんなと顔を合わせた。事前にワークショップをやってから持ち込んだわけでもない。いきなり不時着させたようなものだった。その場でやりながら覚えていったんだ。それって、ある意味クールだと思う。観客に見られながらリハーサルをしているようなものだからね。ただ、僕らはそういう言い方はしたくなかった。何かを上演する以上、一回一回が大切な本番であるべきだと思うから。毎晩、まったく違ったよ。観客がものすごく入り込んで、声を上げながら反応してくれる夜もあれば、どう受け止められているのかまったくわからない夜もあった。でも、そういう夜でも最後になると、あちこちからすすり泣く声が聞こえてくるんだ。拍手する代わりに、みんな泣いている。
―そもそも、音楽監督の仕事にはどのような経緯で関わるようになったのでしょう?
ベン:本当に少しずつ、いつの間にか入り込んでいったような感じなんだ。ドリームワークスの『森のリトル・ギャング』という映画で音楽を担当した。ミュージカルではないけど、脚本や、そこで何が起きているのかにも多少は関わらなきゃいけなかった。それはちょっと怖いことでもある。最終的にどうなるかは自分ではコントロールできない。自分がボスじゃないからね。それから何年も経って、『ピーナッツ』のスペシャルを2本手がけたあとには、脚本家に対して「あなたが書いた8ページ分を、僕なら1曲に置き換えられる」と自信を持って言えるようになった。「第2幕のあの大きな塊はいらないよ。そこは僕に任せて。そこで何が語られているのか、僕が見せてあげるから」ってね。
リンジーのプロジェクトには、僕にとって惹かれる要素がいくつかあった。ひとつは、(物語が)実話だったこと。もうひとつは、僕らのどちらも自分たちが何をやっているのかよくわかっていなかったこと。それが僕にとってはものすごく大切なんだ。ガレージ・バンドを始めた頃って、荒削りでも許されるんだよね。でも本当は、どんなプロジェクトにも同じ姿勢で臨むべきなんだと思う。巨大なプロダクションに飛び込むときも、リンジーの作品に飛び込んだときと同じように、それ以前にやってきたどの仕事とも同じように臨むべきなんだ。ドリームワークスの『森のリトル・ギャング』は、たぶん僕にとっていちばんフラストレーションのたまる仕事だった。おそらく当時の僕は、それが本当に、たくさんのパーツが同時に動いて成り立っているものだということを理解していなかったんだと思う。でも今は、いろんな仕事に飛び込んでいくことに自信を持てているよ。
『Weve Been Here Before』の公演でステージに立つベン・フォールズとリンジー・クラフト(Photo by MIchaelah Reynolds)
―昨年、ナショナル交響楽団の芸術顧問を辞任しました。それから1年が経ち、ケネディ・センターをめぐって起きた一連の出来事を今、どのように受け止めていますか?
ベン:自分の決断を誇りに思っているし、今もあの判断を支持している。でも、本当に最悪な気分だったよ。彼らはほかの政府機関や記念施設を次々と押さえ込もうとする前に、まずケネディ・センターに乗り込んできた。僕はそのやり方を見ていた。そこにある無知と傲慢さを目の当たりにしていたんだ。それで気づいた。政府のほかのあらゆる部門について、「彼らは同じことをやるんじゃないか」と僕が懸念していたことを、本当にそのままやるんだって……彼らは自分たちが何をしているのかわかっていない。それでいて、とてつもなく意地が悪くて、貪欲で、とにかく傲慢なんだ。
自分の決断はまったく後悔していない。すべて、僕が思っていたとおりになった。驚くようなことは何ひとつなかった。「残るべきだ。そうすれば中にいて力になれる」と言う人たちもいた。でも、船の上でみんなが死にかけているような状況では、誰かを助けることなんてできない。ただ沈んでいくだけなんだ。もし残っていたら、「ベン・フォールズはトランプが大好きなんだ」みたいなことになっていただろう。僕は駒として利用されるところだったんだ。
ナショナル交響楽団とのパフォーマンス
傑作デビューアルバムの舞台裏、9.11が変えたキャリア
―ベン・フォールズ・ファイヴのデビュー作で、これまで未発表だった最初のお蔵入りバージョンが今回リリースされます。スティッフ・ジョンソンと最初にレコーディングしていた段階で、「このアルバムは何か違う」と感じていましたか?
ベン:そうだったと思う。何とか好きになろうとするんだよね。気に入っている部分があるのはわかっているし、心血も注いでいる。もう深く入り込んでしまっているから、「これはいいものなんだ」って自分に言い聞かせ続ける。でも、サインはいつも身体に出るんだ。神経のどこかが「何か違う」と訴えている。あの感覚は、かなり頻繁にあったのを覚えている。ただ僕は、「まあ、これはものすごく大きくて重要なことなんだから」と片づけていたんだと思う。「おそらく人生で一度しかない、初めてアルバムを作る機会に予算を全部つぎ込んでいるんだから」ってね。友人のケリー・マッカーシーが来て、たぶん2曲くらい聴いた。彼女を見つけたとき、泣いていたんだ。「大丈夫? どうしたの?」と聞いたら、「私が今聴いているのは誰なの? あなたたちじゃない。この出来で本当にいいの?」って。それで僕らは、「うん、大丈夫だよ」って答えた。
彼女がレコードを気に入らなかったことをメンバーに話した。それから家に戻ったんだけど、うちの床には、ミキサー卓から録音したライブのカセットが一面に散らばっていた。とにかく物だらけでね。ダレンが「この前カンザスでやったライブをかけてみない?」と言った。それを聴いたら、彼が「これ、かなりいいじゃん」って言って、僕らも同意した。次にアルバムの音源をかけたら、そうじゃなかった。それで、「この感じをスタジオでどうやったら出せるんだ?」ってなった。
友人のケイレブ・サザンは、それまでインディーのパンク・ロック作品をたくさん作っていて、パラレル・コンプレッションという方法ならうまくいくんじゃないかと考えていた。当時、そういう機材を簡単に手に入れられる時代じゃなかった。ましてノースカロライナではね。だから彼は車であちこちを回って、借りたり、頼み込んだり、盗んだり、レンタルしたりして、使えるコンプレッサーを片っ端からかき集めた。それによって、僕らは思い切りダイナミックに演奏できるようになったんだ。それ以前、スティッフ・ジョンソンが録っていたときにそんなふうに演奏すると、彼は「おいおい、ちょっと待って」って感じだったから。
―自分たちのサウンドを抑え込まれているようには感じませんでしたか?
ベン:彼は責任ある仕事をしていただけなんだ。「これはいい音じゃない。君たちはこうやって演奏すると何かすごいことをやっているつもりかもしれないけど、音が団子になっているし、テンポも走っている」って。実際、そのとおりだった。だから僕らは走らないようにしてテンポを落とした。でもそうすると、今度は彼の仕事がさらに難しくなる。失われた勢いを、録音のなかでもう一度取り戻さなきゃいけなくなるからね。
リリース当時、テレビドラマ『ロングバケーション』でも大々的にフィーチャーされ、日本でヒットした「Philosophy」のパフォーマンス映像(上)。30周年記念エディションには、スティッフ・ジョンソンがプロデュースした初期試作音源が初収録される(下)
―今回の30周年に合わせて、ツアーを行う予定はありますか?
ベン:来年、いくつか候補になりそうな時期が見えてきている。ロバートとダレンと僕で、ある午後にあのレコード1000枚にサインしたんだけど、僕ら3人が「グループとして話し合った」と呼べるものとしては、あれが想像できる限りいちばん近かったと思う。その場にいて話を聞いていても、そうは思わなかったかもしれないけど、僕らはそこでツアーをやることに合意したんだ。最初は3、4公演、せいぜいやっても7公演くらいという話だったのが、今では数週間にわたってやる話にまで広がっている。現時点で僕が知っているのはそこまで。たぶん何回かに分けてやることになると思う。まだ決めることはたくさんあるけど、ツアーには出るよ。
―前回バンドでツアーしたときは、アルバムを引っ提げてのものでした。ベン・フォールズ・ファイヴの新曲が生まれる可能性はありますか?
ベン:ないよ。
―初のソロ・アルバム『Rockin the Suburbs』も25周年ですね。リリース日は2001年9月11日でした。当時はどんな状況だったのでしょう?
ベン:レコードが失敗しそうだなんて懸念を完全に吹き飛ばすものがあるとすれば、壊滅的なテロ事件ほどのものはない。あの出来事がアルバムに何をもたらしたのか考え始めたのは、何カ月も経ってからだった。同じレーベルにはボブ・ディランもいた。(編集部注:ディランの『Love and Theft』も同日にリリースされた)彼の作品は再リリースされた。それを見て、「ああ、僕のにはそういうのはないんだな」って思った。メディアからも相手にされなかったし、何も起きなかった。僕は音響スタッフひとりと一緒にバンで移動しながら、ひとりでそのアルバムのツアーをしていた。
―あの出来事の直後にツアーをしていた、数少ないアーティストのひとりでもありましたよね。
ベン:本当に直後だよ。翌日からだった。世界最大級のレコード会社から、考え得る限りのサポートを受けて、ものすごく作り込んだアルバムを出した。それが突然、足元からごっそり引き抜かれた。だから僕はピアノだけでソロ・ツアーをした。バンドでは何千人もの前で演奏していたのに、また100人くらいの客の前でやるところまで戻ったんだ。でも約18カ月後には、ピアノひとつで演奏するだけで、バンド時代の動員を超えるようになっていた。
普段はキャデラックかバンを借りて、僕ともうひとりだけで移動していた。ビーコン・シアターで2日連続公演をやって、そのあと『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』に出演して、それから自分のバンに戻る。30ロック(ロックフェラー・プラザ30番地)のどこか近くに、クソみたいなパーキングメーターに25セント硬貨を入れて停めてあったバンにね。外に出て、サインをして、それからバンに乗って走り去る。まるでロック・スターらしくないよね。この先どうなるのか、まったくわからなかった。おそらくもうキャリアは続かないだろうとも言われていたから、すべてを縮小したんだ。本当に小さな規模でやっていたら、そこからまた少しずつ積み上がっていった。
ある意味では、9.11が僕に新しいスタートを与えてくれたとも言える。あの出来事でアルバムはいったん死んだ。でもそのおかげで、今度はアルバムそのものの勢いだけで少しずつ広がっていくことができた。そのすべてが、僕らが一生のうちに経験するであろう最大級の悲劇の影で起きたんだ。まあ、クソ、今となっては何が起きるかわからないけどね。当時はそんなことを口にすることすらできなかったし、したいとも思わなかった。あの出来事が自分のキャリアに何をもたらしたとか、もたらさなかったとか、そんなことをクソ真面目に語るなんてね。僕らは建物から人々が落ちていく映像を見ていたんだから。今ではもう振り返ることのできる過去になったから、こうして多少は話せる。でも、それについてコメントするのは今でも妙な気持ちがするよ。
グランドピアノで切り拓いた独自の道
―グランドピアノを弾くことで知られていますが、初期は自分たちで搬入していたんですよね。いちばん無茶だった、あるいはいちばん強烈だった搬入の思い出はありますか?
ベン:まあ、全部それなりに無茶だったよ。『Weve Been Here Before』の最終日に、昔からの友人ジェイソン・サダイキスが来てくれた。彼は大学生の頃によくバンドを観に来ていて、早い時間から会場に来ていたんだ。1、2回、トラックからピアノを降ろすのを手伝ってくれたこともある。初期の頃から来てくれていた子たちのことって、覚えているものなんだよ。搬入のことは全部覚えていて、彼もほかの何人かと一緒に、ピアノをスロープの上へ押し上げてくれた。本当に寒かった。外はたしか−7℃くらいだったと思う。ピアノがトラックから落ちたことも何度かあった。
―かなり壊れたんじゃないですか?
ベン:想像するほどじゃなかったよ。ピアノを押していて、そのままステージに落っこちたことも何度かあったけどね。覚えているのはCBGBで演奏したとき、ステージからはみ出したピアノの脚の一本を椅子の上に載せたことかな。とにかく、あんなものを毎晩毎晩運んでいたこと自体が無謀だった。当時から狂っていたよ。でもその頃、あれによって僕らは自分たちだけの立ち位置を築けたんじゃないかと思っていた。ロックのステージ、パンク・ロックやインディー・ロック、グランジっぽいステージにグランドピアノを置いて、ものすごく大きな音で、速く、楽しげに演奏する。そこに自分たちならではの違いがあることは、はっきりわかっていた。同じ光景をエレクトリック・キーボードで想像すると、やっぱり同じものには思えなかったんだ。
―2012年にバンドを再結成しました。何かきっかけがあったのでしょうか?
ベン:2008年にMySpaceの仕切りで再結成ライブをやったんだ。ものすごいイベントになって、チケットは一瞬で売り切れた。それで集まって演奏してみたら、けっこうよかった。だから、「また一緒にやろう」と思った。でも、それが2008年で、実際にやるまでには4年かかった。当時は、アルバムを作らないなら再結成したくなかったんだ。今振り返ると、あの時点は必ずしも僕らが再結成するタイミングではなかったと思う。僕のソロ・キャリアは順調に進んでいて、大学を回って定期的にライブをするアーティストのなかでは、おそらくトップ2、3組に入るくらいの規模だったからね。
今は僕がまたソロ・ツアーをすることより、バンドが集まることのほうに、はるかに大きな関心があると思う。前回はその逆だったんじゃないかな。当時の僕は、バンドで何かをやることを、ある意味では負担になりかねないものとして見ていた。でも最近は、「今なら本当にしっくりくる」と感じるようになった。それで、「『Rockin the Suburbs』を再発したらどう?」という話も出た。でも僕は、「いや、実はそれは今やることじゃない気がする。今はロバートとダレンとやっていた初期のものに目を向ける時期だよ。そのほうがしっくりくる」って言ったんだ。
―2004年のウィリアム・シャトナーのアルバム『Has Been』で一緒に仕事をしていますよね。あれはどんな体験でしたか?(※カナダ出身の俳優。SFドラマ/映画『スター・トレック』シリーズのジェームズ・T・カーク船長役で知られる。俳優業の傍ら音楽活動も行い、『Has Been』ではベン・フォールズがプロデュースを手がけた)
ベン:完全に独創的で、際立ったアルバムを、僕はこれまでに2枚作ることができた。こういうものって、そうそう作れるものじゃないんだ。素晴らしいアルバムを作ることはできても、それが必ずしも、それまで聴いたことのないようなものになるとは限らない。ベン・フォールズ・ファイヴの最初のアルバムは、僕自身、それまで聴いたことのないものだったと思う。そして何年も経った今振り返ると、シャトナーのアルバムにも同じ感覚があったんだとわかる。
あれが一体どんなものになるのか、僕らにはまったくわからなかった。とにかく狂っていたよ。作り方にルールなんて何ひとつなかった。1週間で作ったんだ。そうやって作業を進めていたある日の途中で、シャトナーが「ベニー、時間を無駄にしてるぞ」と言い出した。僕が「いや、無駄にしてないよ。ちゃんと仕事してる」と言ったら、彼は「俺の業界では、撮影が2時なら、その時間に行って、ヘアメイクをして、現場に入る。一回やったら、それで終わりだ。さっさと帰る。俺たちはずっとここに座ってるけど、一体何をしてるんだ?」って。それで僕は、「いや、バンドのみんなは動物園に行ってるし、僕はこの歌詞のことを考えていて……」と答えた。そしたら彼は、「じゃあ8時だ。俺は8時にここにいるからな」って。物事の捉え方がまるで違うんだよ。
それでバンドを呼び戻したんだけど、何人かはLSDでトリップしながら動物園で動物を眺めていたところで、とにかくめちゃくちゃなセッションになった。僕がこれまで作ったなかで、いちばんドラッグまみれだったレコードはビルと作ったあれだよ。もっとも、ドラッグをやっていたのは彼じゃなかったけどね。
―これまで、自分の音楽が流れているのを耳にした場所で、いちばん意外だったのはどこですか?
ベン:電話で保留にされているときに、自分の曲が流れてきたことが何度かある。あれが妙だったのは、まさか自分の音楽が聴こえてくるとは思っていなかったからなんだ。その瞬間、自分の音楽の響きを、まったく別の視点から聴くことができた。「うわ、この女の子、変わったアルトの声してるな。妙だな。……あれ、ちょっと待て。これ僕じゃないか。ああ、もっと低い声なんだ。なるほど、今ならそう聴こえる」ってね。
自分では、特別に高い声をしていると思ったことはなかった。でも声の音色に、自分で認識していた以上に女性的に聞こえるところがあったんだ。ああいうふうに不意に耳にすると、「これ誰だ?」って思ったよ。
From Rolling Stone US.

ベン・フォールズ・ファイヴ
『ベン・フォールズ・ファイヴ(30周年記念エディション)』
日本盤:2026年9月18日(金)発売
4,400円(税込)
日本盤のみSHM-CD仕様/英文ライナー翻訳・歌詞・対訳付
試聴・予約:https://umj.lnk.to/BFF30
【収録曲】
CD1:オリジナル・アルバム(リマスター)
1. Jackson Cannery
2. Philosophy
3. Julianne
4. Where's Summer B.?
5. Alice Childress
6. Underground
7. Sports & Wine
8. Uncle Walter
9. Best Imitation Of Myself
10. Video
11. The Last Polka
12. Boxing
CD2:未発表初期音源
1. Underground - Shelved First Attempt
2. Julianne - Shelved First Attempt
3. Uncle Walter - Shelved First Attempt
4. Alice Childress - Shelved First Attempt
5. Evaporated - Shelved First Attempt
6. Dick Holster
7. Philosophy - Shelved First Attempt
8. Boxing - Shelved First Attempt
9. Emaline - Shelved First Attempt
10. The Last Polka - Shelved First Attempt
11. Eddie Walker - Shelved First Attempt
