
長谷川白紙の2年ぶりとなるアルバム『素直な気持ちアルバム』は、歌詞とサウンドの両面で飛躍的な成長を遂げた傑作だ。
音楽家として/ノンバイナリーとして説明を求められる側に立たされがちなことや、単一の明快な理由が求められがちな風潮に対し、「無視」や「擬態」などの主題を据えて対峙する歌詞。その一方で、過去作に比べて格段に響きが豊かになり(特に低域が凄い)、作編曲の面でも複雑さと風通しの良さを絶妙に両立することで、直感的なポップさを大きく増したサウンド。この両軸が「15曲で15回オチる」ノンストップ形式のもと絡み合うことで、切実な訴えを楽しく貫く表現力が生まれる。アルバムというフォーマットだからこそ可能な、誠に稀有な作品だ。
今作の国内盤CDおよび日本語帯付きLPには、長谷川白紙本人による約6000字のセルフライナーノーツが封入されており、上記の歌詞表現や音楽的なコンセプトについてはここで完璧に説明されている(今作に惹かれた人は必読)。なので今回のインタビューでは、そこで言及されていないことを中心に訊かせていただいた。
リミッターを外して、素直な気持ちで
―今作のタイトルは『素直な気持ちアルバム』ですが、この「素直な気持ち」と「アルバム」にはそれぞれどういった意味が込められているのでしょうか。
長谷川:これについては、どうしても前作の『魔法学校』(2024年発表)と比べてしまいます。前作は、歌詞とか音響といった要素のすべてが、言語的に統合された目的のためにコンポジションされていたのですが、今回は、自分の語法の行き詰まりを感じたところもあったからか、かなり節操のない興味から出発しているんですね。その結果、音響と歌詞がどの曲でも分離しているんです。結着のゆるいパスタとソースみたいな(笑)。『魔法学校』と比較するととりとめがなくて、思いついたことをそのまま出した、統合されていない感じの作品になった。
その意味で、歌詞を概観してみると、あまりリミッターがかかっていない状態なんです。例えば「恩寵」や「我々不吉戦士」の歌詞は、私が深夜1時頃に居酒屋で喋ってる内容とほとんど同じというか(笑)、ちょっとだけ丁寧に書くとこうなる感じなんですね。だから『素直な気持ちアルバム』なんです。
たぶん、『魔法学校』と比較して、というのが自分の中ですごくあるんだと思います。精神の出発点みたいなものとして。作者だからというのもあるとは思うんですけど、自分の過去作はどうしても批判的に見てしまうんですよね。
―過去作は聴き返すこともありますか。
長谷川:すんごいたまに聴き返しますね。それこそ、作品を作り始めるときに、過去はどうやってたかなという感じで。いったん全部に対して自己批判する。そうすることで初めて、今やる意義のあることが見えてくると思うので。
―それで、ライブだと相当アレンジを変えられるじゃないですか。新作が出るまでの間に、過去作のアレンジを大きく変えてライブで演奏する。そこにも批判的な視点はあるのでしょうか。
長谷川:あれに関しては、そんなに自己批判的ではないかもしれないですね。例えばDJミキサーのテンポフェーダーを間違えて上げちゃったときみたいな、そういう音響的な快楽のほうが強いと思います。
―その音響的な快楽について、今回のアルバムではまさにそこが最も大きく変わった点の一つだと思っておりまして。特に低音、ベースに関しては、以前の作品よりも明らかに強く出ている。そこの魅力的な響きが、今まで長谷川さんの音楽にあまりふれてこなかった人たちにとってもすごく訴求力が高くなっているポイントだと思うんです。この低音というものについて、今はどう捉えられているのでしょうか。
長谷川:どうなんですかね。確かに強いとも思います。これは直接関係ないことかもしれませんが、『素直な気持ちアルバム』の制作前後に、そこに収録されない曲をたくさん作っていたんですよ。単純にレイジっぽいビートだったり、ドラムンベースっぽいビートだったりを、たくさん習作的に作っていた時期があって。そのときに、ローをどれくらい出したらどのジャンルっぽく聞こえるのかみたいなのが、自分のなかでわりと見つかってきたんです。ライブのアレンジもそうですね。過去曲でキック足りないから足す、みたいなことをしているんですけど、「足りない」と思うということはつまり、耳自体がローに慣れたことの裏返しでもあると思います。
いま『魔法学校』を聴くと、インタビューで低音の権威性がどうだこうだと言ってましたが、ちょっとナイーブですねあれは(苦笑)。当時と今とでは、意識が変わったというよりは習熟したと言うほうが強いと思います。
―わかりました。その流れでお聞きしたいのが、今回はバンドの演奏がたくさん含まれているということです。そもそも、どのようなきっかけでバンドとやることになったのでしょうか。
長谷川:これはですね、『素直な気持ちアルバム』はもともと、わたしの想定では全編「荊姫」みたいになる予定だったんですよ。非常に制限されたことをやるというか、それこそPCを一回も使わないバンドアンサンブルのみのアルバムを作ろうと思っていた。それで、そういうのを実際に音にするうえで、THE FIRST TAKEのときにやった人たち(「草木」のバンド、ドラムス:秋元修、ベース:宮地遼、パーカッション:相川瞳、サックス:松丸契)がかわいすぎて良いなと思った。それがバンドでやろうと思ったきっかけで、後からギターの(細井)徳太郎が加わりました。
そこから方向性が変わっていったのは、「後から入ってきた」というのが正しいと思います。急にパソコンのことがわかって楽しくなり、「これはパソコンするしかない」となってそちらの路線も増えた。それで結果的に今の形になりました。
―それでは、パソコンであらかじめ構築したアレンジをバンド演奏に変換していった箇所も多かったのでしょうか。それとも、バンド側からかなりインプットがあったのか、バンドの可能性をみて当て書きしたような場面も多かったのか。
長谷川:当て書きについてはそうですね。このフレーズは自分じゃ無理だけどあの人だったらできるだろう、みたいに考えて作った箇所はすごく多い。ただ、音を書く段階でバンドからのインプットがあったかというと、かなり少ないと思います。譜面的には、各々のアドリブソロ以外は書かれていますし。ただ、ドラムスやパーカッションは書いてない曲が多いですね。
Photo by Yukitaka Amemiya
クラブ小僧が作るノンストップ・アルバム
―ありがとうございます。それでは、アルバムの主題についても伺いたいです。セルフライナーノーツには「15曲で15回オチることを目的としている」と書かれていますが、それにもかかわらずノンストップ構成になっているのがすごく印象的で。この構成こそが繰り返し聴きたくさせる推進力の源泉にもなっていると感じるのですが、そういう作りにしたのはなぜでしょうか。
長谷川:これは単純に、わたしがクラブ小僧だからだと思いますね。わたしにとっては、音楽って途切れないのがデフォルトなので。
そこと「オチ」の両立については、これはもしかしたらクラブ小僧とそうじゃない人との感覚の違いもあるかもしれないんですけど、わたしが「オチ」と言っているのは、ほとんどが「時間軸上の裏切り」と換言できると思います。そしてそれは、パルスが揃っているほうが認識しやすいと思っていて。いったん間が置かれてから違う何かが始まるのだと、あんまり「裏切り」とは感じない。例えば、DJがミックスしていて、全然違うジャンルをBPMだけを共通項としてひとっ飛びに繋いだりするとき、「なんでだよ〜(笑)」みたいな感覚がある。それが好きなんですよね。だから、オールジャンルのDJが好きなのかも。
ブライアン・ファニーホウ(イギリスの現代音楽作曲家)が「パルスさえ聞こえていれば、すべてのテクスチャーは聞き分けられる」と言っていて。それが核心というか、自分の心根の一番深いところにあるかもしれないです。
―とてもしっくりきます。それでは、アルバムの曲順はどういった意図のもと構成されたのでしょうか。
長谷川:ノンストップで繋ぎたいことだけは確定していて、それぞれのデモを揃えていく段階で、繋ぎやすいBPMの順番からこうなったのはあります。歌詞に関しては、この曲の前だからこういう歌詞の曲、みたいな調整はほとんど入っていないです。
アルバムというフォーマットについての考え方は、『魔法学校』のときと意外と違わないかもしれないですね。「アルバムとは時間上の契約である」っていう大主題は、ほとんど変わっていない気もします。
その時間の使い方については……変わっているかもしれません。『魔法学校』のときは、「どれだけ一定の声が続いていたら、こういう人/身体だ、という想像を確立できるのか」というプロセスについて言及していたので、その時間上の契約の取り扱い方は、他者の想像力をもう一回こちらで創造するというやり方に終始していたんです。それに比べて『素直な気持ちアルバム』は、直線的というか、実時間以外の時間は考慮していない気がします。
曲と声、その作り方をめぐって
―それでは曲単位の話に移りたいと思います。ただ、いずれも非常に掘り下げがいのある作品ですし、セルフライナーノーツでも詳しく書いてくださっていますので……。長谷川さんご自身が特にピックアップしてふれたい曲をいくつか選ぶとしたら、どのあたりになりますか。
長谷川:作曲者としてすごくうまくいっていると思うのは、やっぱり「嘔吐」と「恩寵」なんですが、ウケが悪い曲だろうなとも思うのでどうなんだろう(苦笑)。
「恩寵」について言うと、ブロステップなどでは半音上がって下がるベースのモチーフがよく出てくるんですけど、それがコードトーンとして分割され、キーチェンジやモードチェンジの契機になっていて。これが曲中で繰り返し再現されることに関して、わりとうまくいったと思います。ランダムカットアップ的な感じも含めて。「嘔吐」はキーチェンジが見事ですね。
―納得です。ちなみに、今作の曲って、曲と歌詞のどちらが先にできたのでしょうか。
長谷川:ほとんどが曲ですね。同時にできたのは「蜜の主」くらいです。というか、ぶっちゃけ全曲で同じことを言っている。言っていることの通じようがありすぎて、どんな曲の上でも歌えるというのはあります。
―13曲目の「돌보미 마녀」(日本語読み:トルボミ マニョ 日本語訳:世話をする魔女)はどうでしょう。イ・ランさんに「荊姫」の歌詞を送ってその背景も説明し、”誘拐犯”である魔女といばら姫の会話劇を作って読み上げてもらい、その音声を長谷川さんが十二平均律上でトランスクライブして、バンドの皆様が演奏してできた曲で。それで、この曲においてその手法は主に魔女側のセリフで行われていると思うのですが。
長谷川:そうですね。というか、全部そうかもしれない。トランスクライブするなら魔女側だと思いましたね。違法な力がある側の人間なので。セルフライナーノーツでは「妖精」と書いたんですけど、音楽的な存在としてフィルターアウトされているのが魔女で、そうじゃないのが姫という構図になっていると感じます。音の面では、わたしが書いた譜面はトランスクライブされた部分のみで、それ以外は徳太郎のアドリブがかなり入っています。
この曲に限らず、ゲストの方々の人選に関しては、特にはっきりした意図はないですね。まず曲があって、この曲ならこの人というふうに自然に思いついてお願いした感じです。例えば、「きたれりルート」で月ノ美兎さんに歌っていただいたのは、月ノさんが欲しいから呼んだし、自分で歌うとクサすぎるからというのもあります。外そうとしているのが見え見えになってしまうんですよね。
―長谷川さんのボーカルについて言うと、今作は声のエフェクトの使い方も大きく発展した作品だと感じます。『魔法学校』のインタビューでは、オートチューンの使い方の良さや面白さを再発見したという話をされていましたが、今回に関してはどうなんでしょう。
長谷川:基本のポジションは『魔法学校』とあまり変わっていない気がしますね。オートチューンの面白さについての当時の発言、括弧書きの「音楽的」ではない声が「音楽的」なもので矯正されうる、というのはかなり良いことを言っていると思いますし(笑)、それ以上の気付きはなかったです。
―個人的に特に印象的だったのが「蜜の主」なのですが、これってけっこう変調してますか?
長谷川:これはほとんど変えてないですね。デモの段階ではもうちょいフォルマントがシフトしていた(ピッチを変えずに音色だけを変えていた)とも思いますが。
―ということは、あの声は素で出せる。
長谷川:素で出せますね。今や(笑)。こういう変化は、オートチューン物真似芸が堂に入ってきた感じだと思います。
伊勢音頭とノンバイナリーの追悼
―”素”というのに絡めていうと、長谷川さんご自身が描かれているアルバムジャケットをジョージ朝倉先生が担当されていますが、依頼の経緯はどのようなものだったのでしょうか。
長谷川:ヴィジュアルディレクターというか、視覚的な要素のすべての方向性を決めている竹久直樹という人間がいるのですが、その人とタイ料理屋さんで「イラストがいいと思うんだよね。しかも自分の」と話していた流れで「ジョージ朝倉先生どうですかね、受けてくれるかな」となったんです。それで言ってみたら、受けてくださったんですね。
理由は、わたしが単純に『ダンス・ダンス・ダンスール』のスーパーファンだからです。今回のアルバムの歌詞も、けっこう潤平(同作の主人公)っぽいのが多いと思いますね。
―なるほど。それでは、今回のアートワークがある意味で顔出しのような、今までの抽象画のようなものとは違ったイラストになった理由についてはどうでしょうか。
長谷川:これも月並みな言い方になってしまうんですけど、アルバムに合うからでしょうね。なんのフィルターもなく自分の気持ちを吐露している箇所が多すぎるので、これで抽象画みたいだったら怖すぎるというのもありました。
わたしが人生を賭けて言いたいことの一つは、こういう変なやつが隣に住んでいるかもしれないですよということなので。それの発露だとは思います。お好み焼きについてもそうですね。性的少数者だって、お好み焼き屋さんには行くということを(苦笑)。
―いや、それはもう当然ですよ。
長谷川:ものすごく当たり前のこと。でも、これがわかっていない人がすごく多いんですよ(苦笑)。

Illustration by ジョージ朝倉
―まったく。それではこの流れで、「失せ物知らず」と伊勢音頭について伺いたいです。この曲の主題については、セルフライナーノーツで「かつて日本にいたすべてのノンバイナリーへの追悼として書きました」「私の望みは──つまり広義の作曲上の望みは、これが伊勢音頭の変形として伝わり、人が知らず知らずのうちに死んだノンバイナリーを追悼することです」と説明されていますが、そもそもなぜ伊勢音頭なのでしょうか。
長谷川:伊勢音頭って非常に面白くてですね。伊勢音頭じたいの歌詞というか囃子の部分が何を意味しているのか、ということの学説がそもそも分かれていて。つまり、「伊勢は良いところだ、何をするにも伊勢が一番だ」と言っているとする説がある一方で、「それは関係ない、ただ語感の良いだけの言葉だ」という説もあるんです。まず、それ自体が面白くて。それから、各地の盆踊り歌の中など、伊勢と全く関係ないところでも伊勢音頭がよく出てくるんですね。囃子の一断片であるとか、伊勢音頭をそのまま歌うとかの形で。それで、音楽学者の川崎瑞穂先生が、「盆踊り歌の核心は積層性である」ということを言っておられまして。つまり、何でも交互に歌ってしまうのが盆踊り歌の真骨頂で、例えば伊勢音頭とドラえもん音頭が次々に、代わる代わる歌われるということが、盆踊り歌を盆踊り歌たらしめているところだと仰っているんです。それがすごく良いことだと思ったんですよね。
―なるほど。それで、その積層性が歌詞の面ではよく発揮されている一方で、音響的にはだいぶミニマムというか、合唱的な意味では声はあまり重ねられていないですよね。なぜこのようなアレンジに落ち着いたのでしょうか。
長谷川:これはですね、このアルバムの中で一番直接的に元ネタがある作品かもしれません。東京の下赤塚の盆踊りが元ネタになってまして、『日本民謡大観』などに収録されているので詳しくはそれを見ていただけるとわかるんですけど、旋法の使い方が非常に独特で。テトラコルド(完全4度(ドとファの間隔)に4音を配置した音階)っぽく聞こえない箇所が所々あるんですね。第3音がフラットしていたり、歌い方のクセもあるのかもしれなくて、単純にサウンドが面白かった。「失せ物知らず」については、これがわりと直接的な影響源というか、分析的な元ネタになっています。
盆踊り歌あるあるとして、曲名とかがないんですよ。その地域の盆踊りの歌だというだけで。ドラえもん音頭みたいな「曲」として成立しているもののほうが少ない気がします。
―『魔法学校』でも「禁物」で”いろは歌”に取り組まれていたりもしましたが(※いろは歌は平安中期の誦文でありイコール民謡ではない)、ここ数年で民謡への興味を深めてこられたのでしょうか。
長谷川:これも川崎先生にすごく影響されている気がするんですけど、積層性こそが日本の民謡のあり方であり、ひいては日本の音楽のあり方なんだろうなと思うんですね。とりとめがなくて、ともすれば簒奪的ですらある。なので、日本の民謡にアイデンティティとかルーツ的な意識があるというよりは、おそらく擬態とか積層といった言葉が、今回の自分の意図にフィットしたのが大きくて。
興味を持ち始めたタイミングとしては、『魔法学校』を作り終えたタイミングだからそれこそ3年くらい前になると思います。リサーチもその頃から始めていて。なので、今回のアルバムで一番時間がかかっているのはこの曲でしょうね。いろんな盆踊り歌を見たり聴いたりしに行ったし、いろんな先生にお話を伺ったりもして。
―リサーチを始められた時点では、「音頭」というものについてどういった印象を抱いておられましたか。
長谷川:擬態するならこれだな、とは思っていました。「失せ物知らず」については、すごく大雑把な、ほんとに意地悪な言い方ですけど、このままこの曲が正史のなかに加えられたらいいなと思います。個々人が知らず知らずのうちにノンバイナリーを追悼することになったら、これはかなりいいぞというか(笑)。わたしの野望としてはそういうのがあった感じですね。
―そのためのフォーマットとして、20世紀のポピュラー音楽、演歌とかでもなく、音頭を選ばれたのは……。
長谷川:人が無意識に触れるところが一番良かった、というのはあるかもしれないです。盆踊りであれば、音楽にまったく興味がない人も行くことがあるじゃないですか。それで踊ってみることもある。そういう領域の音楽が良かったし、音楽ってそういう面があると思うので。
音源のリンクを送りますね。YouTubeにですね、各地の盆踊り歌を誰にも頼まれてないのにアーカイブし続けている強者がいまして(笑)。このアカウントは非常に良いですよ。Mosaku Anchuは(笑)。リサーチのときに本当に助かりましたからね。Mosaku Anchuがいなかったらどうなっていたんだろう(笑)
「下赤塚の盆踊り唄・田植唄(東京都板橋区赤塚)」1985年2月27日放送、2016年2月28日公開、2026年8月26日時点の再生回数は317回
―これは、リサーチしていてたまたま見つけたんですか?
長谷川:そうですね。もともと『日本民謡大観』に下赤塚の盆踊りなどが掲載されていて、『日本民謡大観』のラジオ版みたいな番組で網羅的に取り上げられていたのがあったんですけど、そのアーカイブを逐一アップされていて。この人はですね、各地の盆踊りにも行って盆踊り歌を集めていたりもして。
―まさにフィールドワークですね。ハリー・スミス(名コンピレーション『Anthology of American Folk Music』を編纂した博識者)みたいな。
長谷川:いや〜、これは本当に偉大なアカウントですよ。登録者数2650人(取材日の2026年8月12日時点)。少なすぎですね。

Photo by Yukitaka Amemiya
―それでは、今のお話に関連して、長谷川さんが最近興味を持たれている対象、音楽や他の作品などについて伺ってもいいですか。
長谷川:一つは、ゲームのSEですかね。これはずっと興味がある対象なのですが、最近「音色の合成」というのが自分のなかで掴めてきたこともあって。Galen Tipton(「ボス・モワレ・FS」のミックスを長谷川白紙と共同で担当したほか、歌詞がアーティスト名の列挙になっている「窒息日記」でも言及)がそれこそ、マリオかなんかのゲームのキャプチャ映像に音をハメていくみたいな企画に参加していた記憶があって、それとかすごい面白かったです。あと、Freshman Biologyが去年の「自分のなかではすごく入ってきた」トップ音楽だった。こういうのを見ていると、SEというか、そういう領域の仕事への興味は相対的にすごく増えてきていると感じますね。フォーリーアーティスト(映像に合わせて生の音で効果音を制作する人たち)とかそのミキシングとか。
音楽的なことでいうと、これもずっと興味の対象であり続けていますが、ブラジル音楽は最近のほうがよく聴いています。ただ、発表年代的に最近の音楽というわけではなくて、レチエレス・レイチとかエルメート・パスコアールとか、トン・ゼーとかになっちゃいますね(笑)。年代的に最近というのであれば、My New Band BelieveとSieroと梅井美咲ですかね。Visible Cloaksの新譜も良かったです。
Freshman Biology:音楽家/サウンドデザイナーのMatt Boernerによるプロジェクト。インタラクティブな効果音やゲーム音楽なども手がけている
―ありがとうございます。それで、今後の活動についてなんですけど、まずはとにかくバンド編成のライブをやってほしいなと思います。
長谷川:まあ、そうですよね……。なんかこう、アルバムのままの形でやることはないだろうなという予感はあります。DTM的というか、変調の仕草があるアルバムなので、これらの曲をそのまま演奏してもあんまり面白くならないだろうなという実感がなんとなくあるので。それで言うと、ビルボードで3人(長谷川白紙・細井徳太郎・相川瞳)でやったやつ、ハーフヘアピンズと呼んでいるんですけど、あれはすごく良かったです。そこで今作の曲とかも先んじてやっていたんですけど、既にアルバムと全く違うアレンジになっていて。「我々不吉戦士」とかは半分のBPMでやっていたりもしたんですよ。あ、もしかしたらそういう感じになるかもしれない。ごめんなさい(笑)。
―あらためて、本当に素晴らしいアルバムになったと思います。今後の展開を楽しみにしています。
長谷川:ありがとうございます。

長谷川白紙
『素直な気持ちアルバム』
発売中
再生・購入:https://linktr.ee/honestfeelingalbum

『素直な気持ちツアー』
2026年10月25日(日)岡山・YEBISU YA PRO
2026年11月2日(月)福岡・BEAT STATION
2026年11月6日(金)大阪・GORILLA HALL OSAKA
2026年11月10日(火)北海道・札幌近松
2026年11月13日(金)愛知・NAGOYA JAMMIN
2026年11月18日(水)東京・The Garden Hall
出演:長谷川白紙
チケット料金:前売り¥6,000
チケットURL:https://w.pia.jp/t/hsgwhks2026/
