サーファーが持つ色気の正体

サーファーには、独特の色気があります。なぜか。それは、彼らが「諦念」を持っているからです。

諦念とは聞き慣れない言葉かもしれませんが、辞書を調べると、「物事の道理をさとり、迷いを去ること。諦めの境地に達すること」とあります。簡単に言えば、"賢く諦めること"です。「諦める」というとネガティブな印象を受けるかもしれませんが、その本来の語源は「あきらかにする」ことだと言われています。つまり、ポジティブな諦め。

サーファーはなぜ色気があるのか?

では、サーファーは、いったい何をあきらかにしているのか。

それは、"コントロールできることと、できないこと"だと僕は思っています。人間は、目の前の"波"という巨大な自然をコントロールすることは絶対にできません。うまいサーファーは、ただじっと波(=コントロールできないこと)を観察し、そのうねりを受け入れたうえで、「そこに自分がどう乗ってバランスをとるか」という自分の身体の動き(=コントロールできること)だけに集中しています。

  • ※画像はイメージです

    ※画像はイメージです

もしサーファーが、波を自分の思い通りにしようとジタバタしたり、波が来ないことに腹を立てて海を叩いたりしていたら、そこには少しも色気を感じないでしょう。

道理(=変えられない波)をあきらかにし、無理にどうにかしようとしない。これこそが「賢い諦めの境地」なのです。色気とは、賢い諦めの境地に至った人が、自分がコントロールできるものに集中した先に宿るものなのです。

コミュニケーションや人間関係も、サーフィンと似たようなところがあります。会話における"波"とは、相手の反応や感情。相手が笑うか怒るか(波がどう動くか)は、こちらにはコントロールできません。いくら相手に笑ってほしくても、「お前ら笑えよ!」と言っても笑かすことはできないですよね。自分にできるのは、その波の上で自分がどう振る舞うかだけなのです。

この"波は変えられないが、自分の乗り方は変えられる"というスタンスこそが、センスの矢印を自分に向けている状態の正体です。

すなわち、コントロールできない外側の世界と、コントロールできる内側の自分をあきらかにし、後者に全神経を注ぐ。センスよく生きるとは、この「コントロールできること」への集中力に他ならないのです。

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