連載:アナログ時代のクルマたち|Vol. 83 ポルシェ917/10

1955年にポルシェに入社したエンジニア、ヴァレンティン・シェーファー。彼こそ、ポルシェのターボ時代を切り開き、圧倒的な強さをもたらすこととなる、吸気システムを設計した人物である。

【画像】ポルシェ初のターボ・エンジンを搭載した最強レーシングマシン、917(写真10点)

2024年のインタビュー時に、すでに92歳になっていたシェーファーは、現在も健在。当時の様子を鮮明に覚えていると語った。

1970年代初頭、ル・マン近郊のテロシェ。そこにある小さなワークショップで、ポルシェワークスは、24時間レースに向けた準備を進めていた。当時のモータースポーツ部門責任者、フェルディナント・ピエヒ、およびテスト部門責任者ヘルムート・ボットがそこにやってきた。そして、ピエヒがシェーファーにポツリと語ったという。「ターボについてどう思う? 我々はCan-Amシリーズに参戦したいと考えているんだ」

ご存じの通り、ポルシェは1970年と1971年に、917を擁してル・マンおよび世界メーカー選手権(World Championship for Makes)で圧倒的な成功を収めた。だが、FIAはレギュレーションに手を入れ、1972年シーズンからは、チャンピオンシップから5リッター・スポーツカーが除外され、3リッター・プロトタイプカーのみにするという決断をした。このためポルシェ917は、スポーツカーレースの出場機会を失ったのである。その結果がピエヒの一言であり、Can-Amへの転向だったのだ。

Can-Amシリーズは、事実上レギュレーションがほとんどない、何でもありのレースであった。だからエンジニアにとって、想像力や技術的知識を発揮する上で、事実上何の制約もない「楽園」のような場所でもあったという。ライバルマシンには、800psのパワーを誇る8.0リッターV8を搭載するものもある。だから、ポルシェは917に搭載4.5リッターフラット16エンジンも開発していたが、重量が大幅に増すうえ、ハンドリング性能が不十分だったため、採用には至らなかった。

そこで浮上した解決策が、ターボ・エンジンである。とはいえ当時のポルシェには、この分野での実用的な経験を持つ者が誰もいなかった。もっとも、ターボ技術はすでに1905年には特許出願されていて、トラックのディーゼルエンジンなどには採用されていたものの、技術的には十分に熟成されたものではなかった。ターボチャージャーの仕組みは、燃焼後の混合気がシリンダーから排気系へと流れる際、そのエネルギーでタービンを駆動させるものである。このタービンはシャフトを介して吸気側のコンプレッサーホイールと連結されており、コンプレッサーが新鮮な空気を加圧してエンジンの燃焼室に送り込むことで、より効率的な燃焼を可能にする。

テロシェでのピエヒの一言は、917に搭載されていた4.5リッターユニットに、2基のターボチャージャーを装着し、最高出力735kW(1,000ps)を発揮させる計画に進化した。この時の機密保持は大変なものだったと、シェーファーは語っている。

こうして、ポルシェ初のターボ・エンジンを搭載したレーシングマシン、917/10が誕生する。ホッケンハイムで初のテストを担当したのは、ジョー・シファートであったが、そのテストですぐに問題が露呈することになった。加速時にパワーが予期せぬタイミングで急激に立ち上がるため、極端なアンダーステアが出たり、場合によってはスピンする傾向を示したのである。この予期せぬ挙動の原因こそ、いわゆる「ターボラグ」であった。つまり、加速時の反応が遅れるという特性があったのである。吸気側の圧力が十分に高まるまでにはどうしても時間がかかり、圧力が上がると今度は猛烈な勢いでパワーが炸裂する。アクセルを全開にし続ける時間が長いオーバルコースであれば、それはあまり問題にはならないが、タイトなコーナーや激しい負荷変動を伴うサーキットでは、ターボの特性を制御し、扱いやすくする必要があったのだという。

ポルシェのソリューションこそ、今は当たり前のウェイストゲートの追加であった。こうしてニューマシン917/10は、1971年のCan-Amシリーズから参戦を開始しているが、この年は実力を十分に出し切ることはできなかった。1972年のCan-Amシリーズに、ポルシェはターボ・エンジンを搭載した唯一のメーカーとして参戦し、そのドライバーとして、エンジニアリングにも精通したマーク・ダナヒューが起用された。カナダ、モスポートで開催されたレースにおいてデビューした917/10は、ダナヒューのドライブで、ラップレコードを4秒も短縮する快挙を達成した。このレースでダナヒューは、トラブルのため2周遅れになったものの、最終的には2位でフィニッシュ。その後、彼の怪我のために代役として出場したジョージ・フォルマーは、デビュー戦で勝利したほか、この年に6勝を挙げ、見事チャンピオンに輝いたのである。

917/10のワークスカーとしての参加は1972年シーズンのみで、73年のCan-Amシリーズには、さらに進化した917/30が投入され、ダナヒューは8戦中6戦に勝利した。残りの2戦は旧型となった917/10が勝利しているので、この年はポルシェが全勝したことになる。

ロッソ・ビアンコ博物館に収蔵されていた917/10は、シャシーナンバー015。13台作られたといわれる917/10では最後期に作られたもので、ヴィリー・カウーゼンに売却され、彼自身がヨーロッパのCan-Amともいえるインターセリエにおいて、1973年にニュルブルクリンク、およびイモラで優勝した個体である。1974年にもインターセリエに参戦しているが、勝利はシルバーストーンであげた1勝だけだった。その後、アメリカにわたり、ジェントルマンドライバーの手で複数のローカルレースに参戦したのち、再びヨーロッパに戻り、ピーター・カウスが購入してロッソ・ビアンコに収まった。現在はアメリカのチップ・コナー・カーコレクションに収まっているようである。

文:中村孝仁 写真:T. Etoh