「マエストロ」ジウジアーロの名作4選|ロータス・エスプリ・ターボ編

次の舞台はイースト・アングリアのノーフォークである。1974年、マルチェロ・ガンディーニは特異な才能を発揮したランボルギーニ・カウンタックでセンセーションを巻き起こした。論議を呼ぶほど非現実的に見えたが、そのユニークな形は新たなトレンドを生み出したのである。

【画像】ジウジアーロの傑作その3:ロータス・エスプリ・ターボ(写真5点)

1984年ロータス・エスプリ・ターボ

ジウジアーロのロータス・エスプリはその2年後に登場した。ロータスによるカウンタックへの返答ももちろん大騒ぎとなった。創業者コーリン・チャプマンと後に社長となるマイク・キンバリーは、ジウジアーロがデザインしたウェッジ・シェイプのマセラティ・ブーメランとポルシェ・タピオ・コンセプトカーにいたく感銘を受けていたのだという。

それ以前の魅力的なロータス、すなわちマーク11やタイプ14エリート、エランは滑らかな曲線からなっていたが、エスプリはほぼすべて斬新な直線の組み合わせで成り立っている。ミドエンジン形式を突き詰めたらこうなるという可能性を表現したプロポーションと言えるだろう。ただし生産化に当たっては課題が山積していた。いつも予算が乏しいロータスはオースチン・アレグロのドアハンドル、GMのサスペンション部品など、多くを流用しなければならなかった。

その過程でジウジアーロの繊細な処理は思い切って省略されることもあったが、それでもエスプリのインパクトは強烈で間違いなくスーパーカーに見えた。たとえ樹脂製ボディの下にはロータス・ヨーロッパ譲りのバックボーンフレームが採用され、同様に4気筒ツインカムもいささか物足りないものだったとしても、である(1980年からターボエンジン)。

エスプリは1987年にピーター・スティーブンスによるフェイスリフトを受けたが、その際にもオリジナル・デザインの本質的な美しさが明確になった。さらに1996年にはついに、そのスタイルに相応しい専用のV8エンジンが搭載された。

オーナーの声:Peter Boita(ピーター・ボイタ)

この車は実は以前、2021年に『Octane』に登場している。「マン&マシーン」という記事に、プロのドラマーであるオーナーのピーター・ボイタとともに取り上げられている。このエスプリが当時も今も例外的な理由は、ピーターが新車で購入し、その後の36年間でわずか2000マイルしか走っておらず、あらゆる部分が出荷当時のオリジナルに保たれている点だ。

しかしながら、記事以降、オドメーターの数字は2倍以上に増えたという。一躍有名になった彼とエスプリは「ロンドン・コンクール」や「サロン・プリヴェ」の主役として頻繁に出かけるようになったのである。中でもクラシック・チーム・ロータスのロータス・ガーデンパーティに参加するためのノーフォークへの旅は特別だったという。それはエスプリの生誕50周年を祝うイベントであり、スペシャルゲストはジョルジェット・ジウジアーロその人だった。

「夢のようだったよ」とピーターは言う。「エスプリは往復のドライブでもまったく問題なかった。この車が取り上げられているマイク・テイラーの有名な本にジウジアーロのサインを貰った。別の紙にもサインしてもらって、後にそれを真鍮のプレートに移し替えたんだ。ジウジアーロは私のエスプリがオリジナルであることをほめてくれたよ」

「ファブリツィオ・ジウジアーロも彼のエスプリと一緒に参加していた。彼とはサロン・プリヴェで以前に会ったことがあり、その時に『凄い車だ!写真を撮って父親に見せなければいけない』と言って実際にそうした。その時父親はモーターサイクルでイタリアンアルプスを上っている途中だったらしいよ」

ピーターは他にも大改造した1968年VWビートル1500や1972年ロータス・エラン・スプリントDhc、1970年ポルシェ911Tシュポルトマチックなどを所有しているが、エスプリを以前よりも頻繁に走らせるようになったという。

「最初はやはりデザイン、その形に惹かれたが、今では様々な機会に乗っていくのが楽しい。いつでも特別だと感じさせてくれるんだ」

編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA

Words:Stephen Bayley Photography: Charlie Magee