
前編で日本の糸をたどり、中編でヴィレッジとパドックの発見を拾ってきたこの連載も、いよいよ最終回である。後編の主役は、華やかなワークスの記憶ではない。トップ争いの陰で耐久レースの裾野を支えた小さなコンストラクターたちと、その機械を今日も直し、走らせ続ける人々。そして一日の終わりに待っていた、忘れがたい光景である。
【画像】ポルシェ904だけではない!小さなコンストラクターや子どもたちも活躍するル・マン・クラシック・レジェンド(写真20点)
1. 職人たちの耐久レース
耐久レースの歴史は、956や962Cのような主役だけで書かれたのではない。彼らの車が等しく走る場所を与えられているのも、このイベントの美点である。
リアカウルを外し、整備が進むピルビームMP93。元BRMのエンジニアであるマイク・ピルビームが英リンカンシャーの旧BRM工房で設立した少量生産コンストラクターによるLMP2プロトタイプで、製作されたシャシーはこの1台のみ。露出したエンジンはル・マン近郊のJPX(マデール)製3.4リッター120度V6自然吸気で、約520馬力を発生する。車重は規定を下回る724kgに収まり、実戦ではバラストを積んで走ったほどの軽量ぶりだった。2005年のル・マン24時間にまさにこのゼッケン20でデビューし、当時ステアリングを握ったのがピエール・ブリュノーとマルク・ロスタン。21年を経て同じ車、同じ番号、同じペアがサルトに戻ってきた。歴史的競技車両のパドックは仕切りが少なく、こうした作業風景を間近に見られるのもル・マン・クラシックの魅力である。
ピットを離れるスパイスSE90C、1990年型。ゴードン・スパイスが興したスパイス・エンジニアリングは、グループ Cの小排気量カテゴリーであるC2クラスで1985年から4年連続のドライバーズタイトルを獲得した、この階級の支配者だった。コスワースV8を積む軽量な車体は、燃料と車重をさらに絞ったC2規定の申し子である。C2クラスがル・マンを走った最後の年が、まさにこの車の生まれた1990年。マルカツの片仮名ロゴが示す通り日本企業の協賛もこの階級では珍しくなく、バブル前夜の日本とヨーロッパ耐久の距離の近さを伝えている。トップ争いの華やかさの陰で耐久レースの裾野を支えた小さなコンストラクターたちにも、ル・マン・クラシック・レジェンドは等しく走る場所を与えている。
ドアを跳ね上げてピット作業を受けるスパイカー、ゼッケン85。風防に残る2003年ル・マン24時間の車検シールが示す通り、オランダの小さな航空機由来ブランドが同年のGTクラスに送り込んだC8ダブル12Rその車である。リベット打ちのアルミパネルやプロペラを模したエンブレムに、第一次大戦の戦闘機まで遡る社史への誇りが覗く。ミッドに積むのはアウディ系V8だ。そしてオーナードライバーのハンス・フーゲンホルツは、当時実際にこの車でサルトを走った本人であり、鈴鹿サーキットやザントフォールトの設計で知られるヨン・フーゲンホルツの息子でもある。ベルリネッタ・チャレンジにはフェラーリ348でもエントリーしており、週末を隅々まで楽しむ生粋のレース一家だ。
ヴィステオンカラーのパノスLMP-1ロードスターS、ゼッケン1。ミッドシップが常識となって久しいプロトタイプの世界に、あえてフロントエンジンで挑んだ異端児である。創業者ドン・パノスの信念のもと、ロウシュがチューニングしたフォード系6リッターV8をノーズに収め、独特の低いバリトンを響かせてル・マンには1997年から挑戦を続けた。1999年のワークスカーがまとったのがこのヴィステオンカラーで、同年のアメリカン・ル・マン・シリーズではBMWやアウディのプロトタイプ勢と真っ向から渡り合っている。ドライバーはオリヴィエ・ガラン。グリッド7では日産R90CKも走らせており、グループCとLMPという二つの時代を一人で行き来する週末である。フロントエンジンならではの長いノーズと後退したコクピットのプロポーションは、現代のハイパーカー世代には却って新鮮に映るはずだ。
リアセクションを露わにしたアウディR8 LMP、2002年型。カムカバーに刻まれた「Audi FSI Power」の文字が、この車の歴史的な役割を端的に示している。2001年に導入されたガソリン直噴FSIは3.6リッターV8ツインターボの燃費と応答性を大きく改善し、給油時間が勝敗を分ける24時間レースの戦い方そのものを変えた。この技術がやがて市販車へ降りてきたことも含めて、R8は「レースが公道を進化させる」というアウディの標語の体現者である。ミッションケースに鋳込まれたフォーリングス、断熱材を巻いた等長エキゾースト、そして脇に待機するタイヤウォーマー。カウルに記されたオーナードライバーの名はピエール・フィヨン。2012年からACO会長を務める人物であり、主催者自らがステアリングを握ってこの祭典の当事者であり続けている。
練習走行から予選へ、慌ただしく車列が組み替わるグリッド9のピットレーン。手前のガルフカラーはクラージュC65、2004年型。水色にオレンジのストライプは、俳優ジャン・ポール・ベルモンドの息子ポール・ベルモンドが率いたチームがLMP2クラスで走らせた当時の姿で、フォードエンジンを積んでル・マンを戦った。奥の赤い1台はピルビームMP91。エントリーはピエール・ブリュノーとマルク・ロスタンの組で、パドックで整備中だったMP93と合わせ、この名物ペアは2台のピルビームを持ち込んでいる。メカニックが車体を押し、ヘルメットを被ったドライバーが出走の合図を待つ。金曜夕方の予選枠に向けて、ピットレーンの温度が一段上がる時間帯である。
出走を待つグリッド7のプレグリッド。ナンバーボードの脇で最終確認が進むこの空間は来場者にも開放されており、グループCカーが目を覚ます瞬間を柵越しではなく肌で感じられる。手前の雲柄も涼しげなゼッケン80はロンドーM382。ル・マンの地元出身で、1980年に自らの名を冠した車で総合優勝を遂げた唯一の男、ジャン・ロンドーが興したコンストラクターの1982年型グループCカーである。フロントウィンドウには日除けの反射シートが載り、路面からの熱気の中でメカニックが黙々と手を動かす。背後に構えるのはリシャール・ミルのホスピタリティ棟。半世紀の時を隔てた機械と現代の祭典の運営が、ひとつの画面に収まった。
もちろん、主役たちも黙ってはいない。グリッド7には962Cだけで4台がひしめいていた。
ピットレーンで確認を受けるポルシェ962C、ゼッケン00。オーナードライバーのクラウス・アベレンはニュルブルクリンクを本拠とするフリカデリ・レーシングの創設者で、ポルシェ一筋のジェントルマンレーサーとして知られる。目を引くのはメカニックが掲げる黄色いボード。「DRIVER ID」「FUEL RESET」「1st GEAR」と、発進前の確認事項がそのまま書かれている。無線とデータが飛び交う現代のトップカテゴリーとは違う、人の目と声で回るヒストリックレースの現場である。グリッド7には962Cだけで4台がエントリーしており、グループC時代にこの車が果たした役割の大きさを、40年後のピットレーンが改めて証明している。
ガルウイングのドアを両側に開け、出走を待つポルシェ962C、ゼッケン7。白地に水色のブラウプンクトカラーは、1990年のル・マン24時間でヨースト・レーシングが走らせた仕様で、ドアにはハンス・ヨアヒム・シュトゥック、フランク・イェリンスキー、デレック・ベルという当時の布陣がそのまま記されている。ヨーストは1984年と1985年に956でワークス勢を破って連覇を遂げた、グループC時代を代表するプライベーターである。現在のエントラントはイヴァン・ヴェルクテールとラルフ・ケレナーズ組。ノーズに貼られたリシャール・ミルとル・ポワンのステッカーだけが現在を示し、それ以外は35年前のピットレーンと見紛う眺めである。
2. 直して、走る
歴史的競技車両の週末は、走る時間より直す時間の方が長いことさえある。グリッド10のプジョー908に、その縮図があった。
フロントカウルを外し、出走準備が進むプジョー908、ゼッケン16。2011年、規定変更を受けて5.5リッターV12ディーゼルの908 HDi FAPから世代交代した3.7リッターV8ツインターボディーゼルの「908」で、コクピット脇にはモンタニー、サラザン、ミナシアンと当時のワークスドライバーの名が残る。露出した足回りはカーボン部材とチタンの塊で、ブレーキダクトからダンパーユニットまで、空力に隠れて普段は見えないLMP1の精密機械ぶりを間近に観察できる。アウディとプジョーがディーゼルの覇権を争った時代の最終盤を担った車であり、サイドポンツーンのプレイステーションのロゴも当時のままだ。オーナーのスティーブ・ブルックスはこの世代のプジョーを複数所有し、欧州のヒストリックレースで走らせ続けている英国人コレクターである。
リアセクションを丸ごと外され、緊急作業を受けるプジョー908、ゼッケン16。カーボンのエアボックスの下に3.7リッターV8ツインターボディーゼルの補機類が露わになり、メカニックが上体を沈めて患部を探る。トーションバーやロッカーが精密機械のように組み付いた足回り、路肩の小石を拾ったままのスリックタイヤ。ワークスの手を離れて久しい最新世代のLMP1を個人が走らせることは、部品の確保から専門知識まで、グループ Cまでの世代とは次元の違う困難を伴う。それでもこの車がコースに出てくるのは、オーナーと専門チームの執念に他ならない。トラブルは歴史的競技車両の日常であり、それを乗り越える作業風景もまた、ル・マン・クラシックの見どころである。
作業を終えたプジョー908がピットを蹴って飛び出していく。先ほどまでリアセクションを外されていた16号車である。ヘッドライトに西日を受け、プレイステーションのロゴも誇らしげに加速する姿に、ガレージの緊張は跡形もない。かつてワークスの精鋭数十人が支えた機械を、いまは小さなチームが限られた時間で仕留め、走らせる。アウディとプジョーがディーゼルの覇を競った時代の遺産が現役であり続けるのは、こうした地道な仕事の積み重ねゆえだ。歴史的競技車両の週末は、走る時間よりも直す時間の方が長いことさえある。だからこそ、コースに戻る瞬間の音は格別に響く。
リヤサスペンションの微調整のためカウルを外されたペスカロロ01、ゼッケン15。ギアボックスの上に赤いスプリングを見せるプッシュロッド式のダンパーユニットが鎮座し、その調整のためには結局こうしてリアセクションごと露わにするのが早い。磨かれた等長エキゾーストの主はジャッド製V8。ル・マンの英雄アンリ・ペスカロロが自らの名を冠して興したコンストラクターの最終世代のLMP1であり、2012年にはOAKレーシングの手で走った素性を持つ。フェンダー脇にはベルギー王立自動車クラブのステッカー。ガルフ調の水色とオレンジをまとった車体は、フランスの育てたプロトタイプがいまベルギー人オーナーの愛情で生き続けていることを示している。奥に覗くもう1台の同系色はチームメイトの機材だろう。手書きの「LR」は左リア用タイヤの印である。
3. 未来のドライバーたち
リトル・ビッグマンに参加する子供たちのパドック。青いルノー・アルピーヌのミニレプリカに収まり、キャップを目深にかぶって出走を待つ姿は、もうレーサーそのものだ。リトル・ビッグマンは7歳から12歳を対象に、耐久レース史を彩った名車のミニチュアレプリカ(エンジン式と電動式がある)で大観衆の前を走るパレードで、本戦さながらにゼッケンとスポンサーロゴをまとう。フロントのラウンデルにはリシャール・ミルの名も見える。奥には赤いフェラーリ・スポーツプロトタイプの隊列。ル・マンの情熱が親から子へ受け継がれる瞬間を、これほど分かりやすく見せてくれる企画も少ない。パレード本番は土曜日、彼らの「決勝」である。
ポンツーンフェンダーの250テスタロッサを思わせるミニチュアのボンネットに、手書きの電話番号を添えた「FOR SALE」の貼り紙。リトル・ビッグマンの世界にも移籍市場は存在する。本物さながらの造形に磨き上げられた塗装、そして商談は親同士の仕事だ。次のオーナーの元でまた小さなドライバーを乗せてサルトを走るのだろう。ヒストリックカーの世界の縮図が、そのままここにある。
テントの下で出番を待つリトル・ビッグマンの機材たち。手前は1970年にポルシェへ初のル・マン総合優勝をもたらしたザルツブルクカラーの23号車を再現した917K、右端には戦前の名車BMW 328のミニチュアも見える。子供用と侮れない仕上げの良さで、ゼッケンやスポンサーロゴの再現も本格的だ。奇しくも本物の917が同じ日にパレードを走っており、実車と縮小版が同じ敷地に揃った格好である。7歳から12歳の参加者にとって、これが人生最初のル・マンになる。
4. 夕暮れの917
一日の終わりに、この土地の聖典が走った。
観覧車とポルシェ・エクスペリエンスセンターを背に、ポルシェ917の隊列が行く。ガルフブルーにグリーン、それぞれの時代の名リバリーをまとった機体が連なる光景は、この土地でしか成立しない。917は1970年にポルシェへ初のル・マン総合優勝をもたらし、翌1971年には長く破られなかった距離記録とともに連覇を達成した、同社の聖典というべき存在である。今回のル・マン・クラシック・レジェンドが競技対象とするのは1972年以降の車両。その枠の外にいる917は、レースではなくパレードという特等席で迎えられた。移動遊園地の観覧車が回る空の下を12気筒の重奏が流れていく、金曜の夕刻である。
夕陽の中を駆けるガルフカラーのポルシェ917K、ゼッケン22。1970年のル・マン24時間でJWオートモーティブが走らせた22号車は、デビッド・ホブスと二輪の伝説マイク・ヘイルウッドのコンビだった。豪雨のレースでヘイルウッドがコース上の停止車両に絡んで戦列を去った、あの年の1台である。空冷12気筒の平たく張り詰めた排気音、路面に伸びる長い影。デモ走行であっても、917とガルフブルーの組み合わせがサルトの夕暮れに置かれたときの説得力は別格だ。
そして、最後にこの1枚を。
パレードに向かうポルシェ907のコクピットには、ドライバーの隣にもう一人。助手席の主は満面の笑みである。プロトタイプスポーツカーは規則上「2座席」を備えることが求められ、しかし実戦でその席が使われることはまずない。書類の上だけの存在だった助手席が本来の役目を果たすのは、レースの緊張から解かれたパレードの時だけだ。コクピット脇に記されたハンス・ヘルマンとヨッヘン・ネーアパッシュは、1968年のデイトナ24時間で907の1-2-3フィニッシュを飾った面々。ネーアパッシュは後にBMWモータースポーツを創設する人物である。半世紀余り前の戦闘機械が、今日は二人分の笑顔を乗せてサルトを流していく。ル・マン・クラシック・レジェンドという祭典の幸福な本質が、この小さなコクピットに詰まっている。
結び
新しい時代、新しい熱狂。初開催のレジェンドが掲げた言葉に、偽りはなかった。グループCのタービン音も、NASCARのV8も、4ローターの咆哮も、この土地では等しく「歴史」であり、等しく現役である。そして何より、それらを走らせ続ける人々の手と、柵のこちら側で目を輝かせる観客との距離の近さこそが、この祭典の財産だと思う。
来年はヘリテージ、戦前からの巨人たちの番である。だがその前に、もう一度書いておきたい。935がクラシックと呼ばれる時代が来たのだ。我々の見てきた「現代」は、こんなにも豊かな歴史になった。
写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI