福士蒼汰が主演するフジテレビ系ドラマ『東京P.D. 警視庁広報2係』(毎週火曜21:00~ ※FODでseason2独占配信中)の最終話が7日に放送された。

今作は数多く制作されてきた“警察ドラマ”の中でも、知られざる「警視庁広報課」を舞台にした完全オリジナル作品。社会性とエンターテインメント、そしてオリジナリティ――そのすべてが頂点で交差した、圧巻のラストだった。

  • (左から)福士蒼汰、金子ノブアキ (C)フジテレビ

    (左から)福士蒼汰、金子ノブアキ (C)フジテレビ

「警視庁広報」異色設定を最後まで貫いた強さ

本作はタイトルの通り“警視庁広報”の物語である。ゆえに、一般的な刑事ドラマに期待されるような、真犯人を追い詰めるスリリングや、新証拠を見つけ出すサスペンス、犯人確保に向けた派手なアクションだけではない魅力を描いてきた。

それは、捜査の最前線ではなく、その背後で情報を扱い、世論と対峙(たいじ)する広報官たちの苦悩と葛藤…多くの刑事ドラマが描いてこなかった“知られざる闘い”である。

しかし同時に、ゴールデンタイムのテレビドラマとしての強度を担保するために、本作は常にセンセーショナルな事件をフックにしてきた。警察官による殺人の「隠蔽」、連続遺体遺棄を巡る「実名報道」、誘拐と汚職が絡み合う「報道協定」、通り魔事件によって生まれた「加害者」、政治家の汚職へとつながる「リーク」――広報という“裏方”を主軸に据えながらも、その表層では常に強烈な事件がうねり続けていた。

もし本作が、単に派手な事件の“後処理”として広報を描くだけであったなら、そのスケールは見劣りしていただろう。しかし本作は違った。どれほど大きな事件が起ころうとも、その視点は一貫して「広報がどう伝えるのか?」に置かれ続けていた。そのブレない軸と強さこそが、本作のアイデンティティを最後まで支えていたのである。

そして迎えた最終話。そのバランスは極めて危うく、同時に見事だった。

  • (C)フジテレビ

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ダイナミックな“絵”の中に織り交ぜた繊細な仕事

22年前の爆殺事件の“真犯人”を名乗る大沼(大塚明夫)が、脱走し、立てこもり事件を起こす。物語としては、あまりにもわかりやすくキャッチーで、どこまでも“最終回然”としたクライマックスだ。巨大団地という舞台、緊迫する人質劇、生中継される現場。エンターテインメントとしての装置は、これ以上ないほど整っていた。

だが本作は、その“わかりやすさ”だけで物語を成立させなかった。なぜ彼は立てこもりという手段を選んだのか。その理由を、単なる動機ではなく、「情報がどう消費されるか」という文脈へとつなげてみせたのである。

センセーショナルであればあるほど、人は注目する。忘れられない事件になる。そこに自身の存在を刻みつけることができる。大沼のゆがんだ欲望は、これまで“情報をどう扱うのか”を問い続けてきた本作そのもの、写し鏡だった。

さらに秀逸だったのは、ダイナミックな“絵”の中に、あくまで広報の繊細な仕事を織り込んでみせた点だ。“規制線”で報道カメラの位置を調整し、現場に“死角”を生み出すことで突入のタイミングを隠す。一見すれば小さな操作に過ぎないが、それこそが広報官にしかできない“戦い方”であり、巨大な事件の裏側で機能するリアリティだった。

そして、この最終回における最大の白眉は、「CMによる90秒間」というトリックだろう。各局が一斉にCMを流すことで現場の中継を断ち、その隙にSITが突入する。この大胆かつシンプルな作戦は、警察広報という題材を選んだからこそ成立した唯一無二の解だった。もし他の刑事ドラマで同様の展開が描かれていれば、荒唐無稽に映ったかもしれない。しかし本作では、これまで積み上げてきた広報という職務のリアリティによって、その荒技に確かな説得力が与えられていた。

さらに、民放がCMに入る中で公共放送は「天気予報」だったというディテールも、説明ではなく映像でさりげなく描写されていた。この過不足のなさもまた、本作らしい誠実さだったと言える。

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“カルト”の影をわずかに残す…season2への余白

物語は、ここで終わらない。むしろ本作が最後に突きつけたのは、“解決”そのものの危うさだった。真犯人とされていた大沼は、結局のところ“真犯人ではなかった”。背後に存在していたのは“カルト”と、その内部に潜む工作員。そしてその事実は、公にされないまま処理されていく。社会の混乱を避けるために“真実”は伏せられ、“事実”として別の物語が提示される。ここで描かれたのは、単なるどんでん返しではない。「真実≠事実」という、極めて冷徹な現実だった。

私たちが日々受け取っている情報は、本当に“真実”なのか。それとも、誰かの意図によって整形された“事実”なのか。本作は、広報というフィルターを通して、その問いを最後に突き返してきたのである。

本作はFODでのseason2へと続いていく。本来であれば、より大きな謎やフックを残し、次作への期待を煽ることもできただろう。しかし本作は、“カルト”という影をわずかに残しながらも、それ以上を語らず、この物語単体としてあっけないほどの完結を選んだ。

だからこそ、この物語を“終わったもの”として受け取ることができなかった。むしろ、season2への期待を抱かせる余白として強く残ったのかもしれない。

ここで描かれた出来事、伏せられた真実、ゆがめられた事実…。そのすべては、今この瞬間もどこかで起きているのかもしれない。やはり本作は、現実と地続きなのだ。

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