15歳で母と離れ、約40年という時間を経て、再び同じ屋根の下で暮らすことになった――岡田美里が『徹子の部屋』で語ったのは、葛藤と覚悟が入り混じった母の介護の日々だった。かつて抱いた「置いて行かれた」という思いと向き合いながらも、「産んでくれたことに感謝、その1点だけで介護をする」と腹をくくった日々を振り返る。
堺正章と結婚後、カリスマ主婦として活躍
岡田美里は、26日放送のテレビ朝日系トーク番組『徹子の部屋』(毎週月~金曜13:00~)に出演。
タレント・堺正章との結婚後、“カリスマ主婦”として一世を風靡した岡田。その後2度の離婚を経て、4年前、60歳で現在の夫と再々婚。人生の節目を重ねるなかで、彼女が向き合うことになったのが母の介護だった。
母の介護のため山梨へ移住。しかし、一昨年、92歳で母は他界した。岡田は「最期までニコニコしていました」と静かに振り返る。「看取る前、最後に会いに行ったときには、(母が)『ありがとう、ありがとう』と言って、エレベーターに乗っていった。それが最期の言葉になりました」と明かした。
岡田が15歳のとき、両親は離婚。母は家を出た。当時について「母が出て行ったあとにどうなるのかということは、その時は想像もしていなかったんですが、いつもお腹が空いていて……父が食事を作ると言っても、あまり作るタイプではなかった」と回顧する。
長い年月を経て再び母と向き合うことになったのは、妹からの突然の連絡だった。
「もともと妹が見ていたんが、妹の家に孫が生まれることになって、突然、妹から『もう無理だから、美里ちゃんちにお願い』と言われたんです」
40年以上別々に暮らしていた母との同居。かつて抱いた「置いて行かれた」という思いもあり、葛藤は大きかった。「すごく知っているけど、知らない人という感覚だった」と当時の複雑な胸の内を明かす。
それでも、介護経験のある知人から「今やらないと絶対に後悔する」と背中を押され、「産んでくれたことに感謝、その1点だけで介護をする」と覚悟を決めた。
東京で続けていた手芸と料理教室を畳み、階段の少ないフラットな作りの別荘があった山梨へ移住。生活を一変させて母と向き合った。
「母に対して葛藤しながら介護するのはとてもつらかった」と率直に語る岡田。「お母さんだと思うから、ぶつかりそうになったり、イライラしてしまう。魂は別々で、この人は自分の魂の仕上げをしていて、私は修行をしているんだと思ったら、気が楽になった」と、自身なりの心の整え方を見つけたという。
そして、ある日施設に向かう際に、不思議な胸騒ぎを覚えた岡田。「ちょっと早く行こう」と家を出た直後、施設から母の容態を知らせる電話が入る。「最期は私の手を握って、老衰で亡くなりました」と、語った。
岡田が出演した26日放送の『徹子の部屋』は、Tverで3月5日まで見逃し配信中。
【編集部MEMO】
『徹子の部屋』は、1976年にスタートしたテレビ朝日系トーク番組。2026年で50周年を迎え、放送回数は1万2,000回を超えている。
