反町隆史、大森南朋、津田健次郎のトリプル主演で、“こんなはずじゃなかった”大人たちの再会と再生を描いた「1988青春回収ヒューマンコメディ」のフジテレビ系ドラマ『ラムネモンキー』(毎週水曜22:00~ ※TVer、FODで配信/FODで次話先行配信)の第4話が、4日に放送された。

今回は、津田演じる紀介にスポットライトが当たっている。今のアラフィフが抱える問題や、介護問題、いじめ…そして1988年の不良とはどんなものだったのか、解説する。

  • 津田健次郎 (C)フジテレビ

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【第4話あらすじ】自らが選んだ人生──紀介の気づきとは

吉井雄太(反町)、藤巻肇(大森)、菊原紀介(津田)は、体育教師の江藤から、マチルダこと宮下未散(木竜麻生)が酒臭い男に付きまとわれていたという証言を得る。しかし、それだけでは犯人を特定できない。

子どもの頃から絵が得意で漫画を描いていた紀介だが、今は両親が経営していた理容室を継ぎ、認知症になった母・祥子(高橋惠子)の面倒を見ていた。今からでも漫画を描いてみてはと助言され、紀介はアイデアを描き連ねる。

西野白馬(福本莉子)が働くカフェで、3人は隣の中学の不良たちとケンカしていたことを思い出す。肇と紀介が不良に絡まれ、そこへ通りかかった雄太が参戦したのだった。

肇が発掘した、カンフーの練習をしている中学時代の動画を見ながら、3人は当時の厳しい練習について語り合う。

そんな中、紀介はある記憶を思い出す。再び不良に絡まれた紀介は、練習で鍛えたカンフーの技で不良たちを次々に倒したというのだ。それは妄想だと思いつつも、紀介はマチルダが理容室に来た際に不良のリーダー格の男が外から覗いていたと話す。さらに、マチルダを殺した犯人はその男かもしれないと推測する。

漫画に取り組むために時間を確保したい紀介は、祥子の在宅ケアを増やそうとする。人の好き嫌いが激しい祥子だが、新しい介護士・三島ひろ子(奥田恵梨華)を気に入った様子で、紀介たちは胸を撫で下ろす。しかしそんな中、祥子が突然いなくなってしまう…。

祥子は無事見つかったものの、紀介は、母の介護のせいで自身が本当にやりたかったことができなかったと口走る。深刻な介護疲れを起こしていたのだ。そしてその夜、白馬から例の不良格のリーダーが今、介護施設の取締役をしているのを見つけたとの連絡が入る。

日を改めて、その施設へ訪れる4人。不良だった佃(東根作寿英)は、今やすっかり丸くなり、社会的意義を胸に真面目に働いていた。「若い頃はさんざんやんちゃをして…本当にバカだった。だが愛する妻のおかげで人生をやり直せた」と3人に謝罪する佃。

それでも、佃から殴られていた紀介は納得がいかない。介護疲れで心がすり減ったこともあったのだろう。「更生してさぞ気持ちいいでしょうね、昔の悪事をやんちゃと言い換えて」「傷つけられた方はどうなるんですか。今も同じ場所で苦しんでいる人もいるんだ。どんなにいい人になっても僕だけは君を許さない、ずっとだ」と食って掛かる。

だが、佃が美容室を覗き込んでいたのは、当時の祥子に見惚れていたから。そして佃は酒が一滴も飲めないということが分かった。犯人探しはまた振り出しに。しかし後日、雄太に佃から連絡が入る。内容は「映画研究会」があったレンタルビデオ店の店主が、マチルダに好意を抱いていたこと。しかも前科持ちだったという情報だった。

  • (C)フジテレビ

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認知症の母を介護する紀介の爆発

毎話恒例になった、物語冒頭の妄想シーン。第4話では、中学時代の紀介が螳螂拳(とうろうけん)を操って不良たちを叩きのめし、アニメ『ドラゴンボール』よろしく、かめはめ波っぽい気を不良に浴びせる。それを、不良をかばったマチルダが、気でかき消すといったものだった。

『ドラゴンボール』の連載が始まったのは1984年。1986年にはアニメ化され、1987年には最高視聴率29.5%を記録(※ビデオリサーチ調べ・関東地区、世帯)。原作者の鳥山明氏が亡くなった後も、その続編が今も続けられている。このムーブメントは日本を飛び出し、フランス、アメリカでもヒット。メキシコやアルゼンチンでは、視聴率80%という社会現象さえも起こしている。

まさにドラマの舞台・1988年を象徴するシーンから始まった第4話だが、そのハイライトとなるのは、認知症の母を抱える紀介の介護疲れ。そして、ラストの、過去にいじめや暴力で傷つけられた人が、過去を断ち切れずにいるといった諸処の社会問題だろう。

紀介のようなアラフィフの場合、自分も体力や気力が落ち始め、仕事や生活の責任も重くなり、さらにこれらが永遠に続くという絶望感から「逃げ場がない」と追い詰められる人々の報道が多々見られる。

その結果、紀介の場合、自らが漫画家への夢を断ち切ったのが、母の介護があったからだと記憶を塗りつぶしてしまっていた。しかし紀介は、雄太らのおかげもあり、病死した父の代わりに理容師となり、懸命に紀介を育てようとした母の姿を見て「自分もこの理容室を継ぐ」と、“自ら”決断を下していたことを思い出す。