自分に言い訳をしていた…そんな介護疲れのアラフィフの精神的疲労を、津田が見事に好演。その後の、優しく気遣いができる性格なのに、元不良だった佃にあれだけ激しい言葉を投げつけるという芝居にも強い説得力を与えていた。

本当は「自分で選んだ」人生。でもそれを認めるには、自分の人生があまりにも報われなさすぎる。だから「自分の人生を奪われた」と思わないと、心がもたない。そんな紀介の想いがひしひしと伝わってきたのだ。

父を亡くし、必死に自分を育てた母への感謝。その母を、今は「重荷」と感じてしまう罪悪感。感謝しているからこそ、怒りを向けられない。優しいからこそ、溜め込んでしまったのであろう。佃に、過去の暴力について詰め寄っていく。

紀介の八つ当たりとも言えるその言葉にも真実はあった。イギリスの総合国立大学である「キングス・カレッジ・ロンドン」精神医学研究所の論文の筆頭著者である滝沢隆博士によれば、「いじめの影響は持続的かつ広範囲に及び、健康、社会、経済的影響は成人期に至るまで続く」とされている。つまり、いじめっ子や暴力を受けた側が思うよりも「いつまで経っても引きずる」というのである。

また、漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(集英社刊)でも、総体的に、(1)不良の更生は「物語」になる (2)しかし、いじめられた側の傷は「物語にならない現実」として残る…といったエピソードがたびたび描かれている。ギャグ漫画でもテーマとされる、普遍的な問題なのだ。

介護にいじめ。かように、紀介が抱えている問題は重く複雑だ。演じる津田は過去のインタビューで、声を担当した『トリリオンゲーム』では、「表面の数字的な性格と、内面の誠実さ・情熱の両方を丁寧に捉え、単純化せず人物像を立体化している」(オリコンニュース、2025年1月30日付)と語っており、ゆえに紀介という、静かに消耗していき、ある瞬間だけ爆発するという人物を“立体的”に演じられているのだと感じた。

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「不良カジュアル化」期に仲村トオル、江口洋介、織田裕二らを輩出

ちなみに劇中では、漫画『ビー・バップ・ハイスクール』の名が出ていたが、1988年当時は、不良ブームも安定期に入っていた。『ビー・バップ・ハイスクール』は、「不良のカジュアル化」「不良の記号化」として劇場版が大ヒット。仲村トオルというスターも輩出した。その「不良のカジュアル化」のはしりとなったのは、ほぼ間違いなく『湘南爆走族』(少年画報社刊)だろう(ちなみに、その劇場版は、江口洋介、織田裕二を輩出している)。そして、舞台となる1988年には、近年ドラマ化された『今日から俺は!!』(小学館刊)が連載を始めている。そう書けば、時代の空気感は伝わりやすいかもしれない。

『今日から俺は!!』を読めば分かるが、1988年には校内暴力は減少しており、どちらかと言えばバブル的消費の方へとカルチャーが移り変わっていた時期と言える。それでもまだ不良は存在し、筆者(※1972年生まれ/四国田舎育ち)もこの世代で、コミックで描かれるような「高校同士の抗争」は見てきたし、調子に乗っている者への(中学時代の紀介がされたような)「ヤキ入れ」というのも本当にあった。

『ラムネモンキー』は、こうした時代背景や、そこから発生した社会問題を実に見事に描いている。アラフィフのリアルが、ここにはある。介護のリアルも、そして人生のつまずきのリアルも…。同世代の人々は、懐かしみながら、共感しながら、若者たちには、「1988年は、こんな時代だったんだ」と、異世界でも見るように楽しみながら、この空気感に浸り、そしてマチルダ事件の真相を見届けてほしい。

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