福士蒼汰が主演するフジテレビ系ドラマ『東京P.D. 警視庁広報2係』(毎週火曜21:00~ ※全話放送終了後、FODでseason2独占配信)の第3話が、27日に放送された。
今作はこれまで数多く制作されてきた“警察ドラマ”の中でも、知られざる“警視庁広報課”を舞台にした完全オリジナル作品。今回は「実名報道」をテーマに、広報、マスコミ、そして加害者、被害者とそれぞれが抱える“怖ろしさ”を克明に描いた。
勧善懲悪という安心を徹底的に拒絶
なぜ見続けているのか?――今作は、自分でもわからなくなるほど“怖ろしさ”に満ちている。
それは、私たちが知る由もない閉塞された世界の物語でありながら、驚くほど身近なリアル=地獄として迫ってくるからだ。
このリアルの根源は、善と悪を安易に切り分けない冷徹な視点にある。そしてそれは、理想の善が果たせない葛藤でも、一方的な悪を成敗できない苦悶でもない。ある立場に立てば善に見えるものが、裏を返せば悪へと転じる。何が正解かは誰にも決められない……そんな曖昧なさじ加減こそが現実であり、すさまじい恐怖を伴って私たちに突きつけてくるのだ。
今回の第3話は、山中で発見された5人の遺体を巡る「実名報道」の攻防が描かれた。他殺か自殺か判然としない段階で、実名を公表することは死者の尊厳を損なうのではないか? 従来のドラマであれば、主人公の新米広報官・今泉(福士)が「実名報道を阻止すべきだ!」と正義感を燃やして奔走するのが王道だろう。その方が勧善懲悪としてわかりやすく、視聴者も安心できるからだ。
しかし今作は、そんな安心を徹底的に拒絶する。「知る権利」という大義名分のもと、実名報道が社会の関心を呼び起こす側面を描く一方で、その後に訪れる過酷な余波も容赦なく映し出す。安易な暴走を許さない、単純な正解を与えない。そんな“分かりやすさ”を切り捨てていくのだ。
その“怖ろしさ”は、登場人物たちの有様にも宿っている。実名報道を先導したマスコミ側のテレビマン・稲田(金子ノブアキ)は、報道した“責任”に飲み込まれていく。そして被害者遺族たちは、実名によってプライバシーを脅かされる苦痛にあえぐ一方で、報道が「A子さん」に切り替わった途端、愛する娘のアイデンティティが消し去られるような歪みに直面する。何が正しく、何が救いなのか? その輪郭が溶けていく描写は、まさに正気を疑うほどの恐怖、地獄だ。
本来、恐怖の象徴となるべきは被疑者の川畑(猪俣周杜)のはずだ。自殺ほう助の知識を盾に、翻弄される人々をあざ笑い、牢屋で“高級焼肉弁当”を頬張るあの姿は、十分に猟奇的だ。しかし、彼が体現する記号的な悪が滑稽に見えるほど、現実のシステムや感情の機微がはらむ闇は深い。それこそが“怖ろしい”とばかりに今作は対比し、強調しているのだ。
鮮やかで苦悩に満ちた「隠ぺい」という伏線
さらに唸らされるのは、この“リアル”を成立させる構成の妙。今回、今泉が実名報道を強く追及しきれなかった背景には、前回の事件で描かれた“隠ぺい”があるからだ。ある状況下では善とされる実名公表が、別の視点では“隠ぺい”になってしまう。前話までのエピソードが鮮やかに、けれど苦悩に満ちた伏線へと“機能してしまった”のだ。
また、冒頭の何げない“新聞記事の切り抜き”が、後半における“世間の関心の薄れ”をさりげなく表現してしまった部分も同様。この一貫した重層的な積み重ねが、ドラマの説得力を盤石なものにしている。
この善悪のつかない“怖ろしさ”を体感することには、大きな意味がある。現代のSNSであふれる炎上騒動は、あまりに短絡的に善悪を切り分けようとする“軽薄さ”の象徴だ。私たちはこのドラマを通じて、逃げ場のない“怖ろしさ”を抱え、多角的な視点に思いを巡らせることを強いられる。テレビドラマという、広範な影響力を持つ媒体でこの問いを投げかける。その挑戦的な姿勢こそが、本作を今見るべき価値のある作品へと昇華させているのだ。






