テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、18日に放送されたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』(総合 毎週日曜20:00~ ほか)の第3話「決戦前夜」の視聴分析をまとめた。

  • (左から)池松壮亮、仲野太賀、白石聖=『豊臣兄弟!』第3話より (C)NHK

    (左から)池松壮亮、仲野太賀、白石聖=『豊臣兄弟!』第3話より (C)NHK

「やはり来たか。小一郎」

最も注目されたのは20時42分で、注目度75.8%。武士として生きることを決意した小一郎(仲野太賀)が、兄・藤吉郎(池松壮亮)のもとに馳せ参じるシーンだ。

かがり火が周囲を照らす中、織田の兵たちは慌ただしく出陣の支度に追われていた。隣国の大大名・今川義元(大鶴義丹)の大軍がついに尾張に侵攻を始めたのだ。大勢の兵士の中には藤吉郎の姿もある。丹羽長秀(池田鉄洋)から、松平元康(松下洸平)が大高城へ兵糧を運び込み、さらに丸根砦、鷲津砦へ攻めかかったと聞かされた織田信長(小栗旬)は、深夜であるにもかかわらず即座に出陣を命じた。これまでの、のらりくらりとした態度が嘘のようだ。

具足を身に着けていた藤吉郎がふと顔を上げ、にやりと笑みを浮かべる。そこにはすでに戦の準備を整えた小一郎の姿があった。腰には藤吉郎が贈った刀が携えられている。迷いを振り払ったその眼差しには、揺るぎない決意が宿っていた。「やはり来たか。小一郎」藤吉郎が満足げにつぶやく。小一郎がこの場に現れることを確信していたようだ。兄弟にとって初めての戦が今、始まろうとしていた。

  • =『豊臣兄弟!』第3話の毎分注視データ推移

    =『豊臣兄弟!』第3話の毎分注視データ推移

「やる気になった小一郎の目力がすごいな」

注目された理由は、生まれ変わった小一郎の姿に、多くの視聴者が注目したと考えられる。

中村の惨劇の記憶が強く残っているからか、小一郎は信長に義元との和睦を進言する。しかしその提案は信長の逆鱗に触れることになった。信長に自身の考えを完全に否定され、そんな信長に心酔する藤吉郎を理解できない小一郎は、戦が始まる前に直(白石聖)とともに中村へ帰ろうと誘う。しかし逆に説得され侍として下克上を目指すことを改めて決意することに。藤吉郎のもとへやってきた小一郎の目には、今までにない力強い光が宿っていた。

SNSでは「やる気になった小一郎の目力がすごいな」「ラストカットで小一郎の瞳にかがり火が映りこむ演出がカッコよかった!」「藤吉郎、何にも考えていないように見えるけど小一郎のことを誰よりも分かっているんだね」と、覚悟を決めた小一郎へのコメントが集まった。

信長と義元の争いの原因となった鳴海は現在の愛知県名古屋市緑区鳴海町を中心とする地域で、この時代には鳴海城を中心とした重要な拠点だった。鳴海城はもともと応永年間足利義満の配下だった安原宗範によって築かれた。別名を根古屋城という。

山口教継の離反や岡部元信の籠城など様々な事件の舞台となった。山口教継は戦国時代の尾張国の武将で、信長の父・織田信秀の家臣として活躍したのち、信秀死後に信長に反旗を翻し、今川家へ寝返った人物。鳴海城主として尾張南東部の要衝を任されていたが、最終的には義元により駿河で父子ともども切腹を命じられたとされている。

嫡男・山口教吉は1552(天文21)年に赤塚の戦いで19歳の信長と激突した。信長が当主となって初めての合戦と伝わっている。岡部元信は元は今川家に仕える重臣として活躍したが、今川家が衰退した後は武田信玄に仕えた。忠義ぶりと武勇で名を馳せた。

沓掛城は現在の愛知県豊明市沓掛町にあった戦国時代の平城。鎌倉往還と長久手方面へ向かう街道が交わる交通の要衝に位置し、戦国大名たちの軍事行動にも関わった城だ。応永年間(1394~1428年)頃に築かれたとされ、戦国期には地域豪族・近藤氏が城主となっていた。城跡は現在「沓掛城址公園」として整備され、土塁や空堀など遺構の一部が残っている。1560(永禄3)年の桶狭間の戦いの前夜、義元が宿泊し軍議を開いた城といわれている。

義元の進軍に焦る織田家臣団に、信長は「沓掛城などまだ遠いかなたではないか」と返したが、清須城から沓掛城の距離は約30~35km。現代の成人男性が1時間に歩く平均距離は約4~5kmといわれているので約7~8時間で到着できる。遠いかなたというほどの距離ではない。今川の軍勢はすぐそこまで迫っていたのだ。