「秋のこどもまんなか月間」となる11月。子どもや若者の成長を社会全体で支え、選択肢の幅を広げていく姿勢が求められています。
令和5年度の小・中学校で年30日以上欠席した不登校児童生徒は約34.6万人に達し、過去最多となりました。また、2学期は特に児童生徒の悩みが表面化しやすい時期とされています。
季節の変わり目で心や体が揺らぎやすいこの時期、「学校に行けない」という状況を、子どもと周囲の大人がどう受け止め、どんな選択肢を持てるのかが問われています。そしてここには、子どもの未来を支えるうえで大切なヒントがあるのです。
「どう支えたらいいのか分からない」。
目の前の子が学校へ行けなくなったとき、多くの親が最初に抱くのは戸惑いと不安です。何が正解なのか、どこまで関わればいいのか──その“揺れ”の中で、自分まで苦しくなってしまうことも。
そんななか、「不登校はチャンス」と語るのが、無料オンラインフリースクール「コンコン」を運営する福田遼さん(KADOKAWA刊『不登校をチャンスに変える一生モノの自信の育て方』著者)です。この言葉には、“学校へ行けない時間をどう捉えるか”という視点の転換が込められています。
なぜ、その時間を「問題」ではなく「チャンス」と見られるのか。
そして、その考え方はどのように子どもを守り支えていくのか。
書籍刊行を機に、その原点と背景を伺いました。
「不登校はチャンス」という視点
――福田さんが不登校を「チャンス」と捉えるようになった背景には、どんな出会いや気づきがあったのでしょうか? そもそもその視点にたどり着くまでに、ご自身の中でどんな変化が起きていったのかをお聞かせください。
福田 学校へ行っていない子どもたちと向き合う中で、自分の苦手や不安に真剣に向き合い、対処する方法を模索し乗り越える姿、好きなことや得意なこと、本当にやりたいことに出会い、驚くほどのスピードで変化する姿を何度も見てきました。その時、学校へ行かない期間は、自分の価値観を形成し、再出発するチャンスになるのだと思いました。
学校の外に出て、初めて見えた「子どもの本来の力」
――学校の現場にいらした頃と今とでは、子どもたちの見え方も大きく違っているのではないでしょうか。かつては見えづらかった子どもの姿や、あとから気づけた本来の力について、どんな実感がありますか?
福田 学校の教員をしていた頃は目の前の子どもたちで精一杯で、学校に行っていない子どもやその保護者の話を聞く余裕がありませんでした。
学校では、「子どもや保護者が頑張るべき」だといった責任論的な論調があり、そう思ってしまっている自分もいました。しかし、実際に話を聞いてみると、スマホやゲームといったのデジタルデバイスの影響、情報の多様化による当たり前のゆらぎ、コロナ禍による衛生観念の変化等、さまざまな社会の急速な変化の荒波に飲まれ、孤独に悩みを抱える親子の姿がありました。乗り越えようと一生懸命努力しているのにもかかわらず、従来の責任論的な見方で傷を負い、誰にも相談できなくなっていたのです。
学校現場は、常に全力で働いていて余裕がなく、個々の家庭や子どもたちの声に耳を傾ける余白がなかなかありません。そんな中でも、子どもたち一人ひとりの声に耳を傾けると、しっかりと自分の考えをもち、どうにか乗り越えようと努力をしています。一方で、がんばりかたが分からず、自信を失っているケースもあります。そういう子は、がんばっていないように誤解されがちです。
「子どもや保護者のせいだ」と単純化せず、誰もが前向きに頑張る子ども本来の力を信じ、彼らが学びをスタートできるよう、諦めずに、教育現場や社会のありかたを変化させ続けなければならないと思っています。
しんどさは「個人」ではなく「社会の構造」から生まれる
――不登校が増えている背景には、努力不足や家庭環境だけでは語れない“社会の変化”があるということですね。現場で子どもたちや保護者と向き合う中で、「この時代ならではの生きづらさ」をどのように感じていますか?
福田 学校に行かない子どもたちの増加には、スマートフォンの普及が大きく影響していると感じています。
スマートフォンには短期的な刺激が詰まっており、それによって脳内でドーパミンが大量に分泌されます。しかし、一時的に高まったドーパミンはすぐに落ち込み、無気力感や虚しさを感じやすくなります。つまり、スマートフォンを長時間使えば使うほど、「何かを頑張ろう」という意欲が下がっていくのは自然なことです。
一方で、現代社会ではスマートフォンを使うこと自体が前提になっています。そのコントロールを家庭に任されている現状の中で、どの家庭もその向き合い方に悩んでいるのが実情です。また、SNSを通じて多様な価値観に触れるようになり、「学校に行くのが当たり前」という価値観が揺らいでいます。その揺らぎの中で、心身に大きな負荷をかける学校生活を続けるのは難しくなっているように感じます。
いま、デジタルデバイスの普及や価値観の多様化とともに、学校と日常生活との間に大きなギャップが生まれています。だからこそ、「子どもの怠け」や「家庭の教育力の不足」といった個人に原因を求めるのではなく、社会全体で“どこに難しさがあるのか”を理解し、新しい仕組みや環境を整えていくことが求められています。子どもたちの生きづらさは、誰か一人の問題ではなく、社会の変化の副作用です。だから、責めるのではなく、共に新しい時代の育ち方を探っていく必要があると感じています。
立ち止まる時間が、子どもの心を再び動かし始める
――不登校の時間を親子それぞれがどう過ごすかは、とても大きな意味を持つと思います。福田さんは、その中でも「少し距離を取る」ことが大切だとおっしゃっていますが、なぜその“間”が必要だと感じているのでしょうか?
福田 親子が少し距離を取る時間が大切なのは、純粋に「お互いにしんどいから」というのがあります。どんなに親しくても、誰かとずっと一緒にいるとしんどくなるものです。
しんどい時に出てくる言葉にはトゲが出てきます。トゲのある言葉はトゲのある言葉を生み、関係が悪化していきます。一緒にいて、イライラしたり、モヤモヤしたりする時は、そっとその場を離れてお互いにリフレッシュすることが大切です。お互いの心の状態がいいと、前向きで温かい言葉が出てきます。
不登校は「子どもだけでなく、親にも訪れるチャンス」
福田 子どもが学校に行かない時間は、保護者にとっても大切な「学びの時間」になると思っています。
私たちは、どうしても「学校での評価」「できる・できない」という社会の物差しを通して、子どもを見てしまいがちです。そして「もっと頑張らなきゃ」「どうしてできないの」と、足りない部分に目を向けてしまいます。しかし、子どもが学校に行かなくなったとき、その物差しで見続けると、子どもの心はどんどん閉じていきます。その瞬間に初めて、「社会の基準でダメ出しをしても、子どもは前を向けない」ということに気づく親御さんが多いです。そこからようやく、子どもそのものに目を向けられるようになる。「できる」「できない」ではなく、「この子にはこんな良さがある」「ここにいてくれるだけでありがたい」と感じられるようになります。その気づきこそが、保護者にとっての大きな学びの時間です。
そして、親が「~しなさい」と指示する関わりから、子ども自身が決めたことを信じて応援する関わりに変わった瞬間、子どもは驚くほど表情を変えます。たとえば、以前は目を合わせなかった子が、自分の意思で話し始めたり、笑顔が増えたりする。そんな瞬間を何度も見てきました。「子どもを変えよう」とするのではなく、「大人が見方を変える」ことが大事なのです。
後編へ続きます。
福田 遼(ふくだ はるか):1995年福岡県生まれ。九州大学教育学部卒業後、5年間の小学校教諭を経て退職。その後8カ月にわたり世界各地の教育施設を訪問。2023年4月に学生時代からの旧友である秋山仁志とともに始めた「子育てのラジオ『Teacher Teacher』」ではMCを務める。2024年に株式会社Teacher Teacherを組織し、無料オンラインフリースクール「コンコン」をスタート。著書に、秋山仁志との共著『先生、どうする!? 子どものお悩み110番』(PHP研究所)がある。

