毎日こつこつと積み上げるように働き、生きている私たち。そこに、にわか雨のように突如訪れる「病」。自分自身だけでなく、パートナーや子ども、親などの近親者が何らかの疾患に襲われることで、当たり前のように過ごしていた日々が一変することもあります。そして、病に対する大きな不安を抱えながらも、それでも働き、生きていかねばなりません。

生きるとは、働くとは、幸せとはなにか考えるシリーズ「生きる、働く、ときどき病」。今回は久保田圭一さんにお話を伺います。


都内で接骨院を営む久保田圭一さん(55歳)。息子の光一くんは生後4カ月で『家族性滲出性硝子体網膜症(FEVR)』という、視力低下などの症状があらわれる病気と診断され、これまで2回の手術を受けました。現在の光一くんの視力は、右目0.05、左目は0.01未満で、視覚特別支援学校に通っています。久保田さんに光一くんの子育てを通しての自身の変化などについて聞きました。全3回のインタビューの3回目(最終回)です。

✅前回までの記事:第一回 第二回

  • 久保田さん提供

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息子が見つけた大好きな“音楽”

ーー光一くんは、手話で歌う「サイン隊」と声で歌う「声隊」がともに演奏するインクルーシブ合唱団・ホワイトハンドコーラスに、声隊として参加しているそうです。参加のきっかけはどんなことでしたか?

久保田 息子が小学校2年生の頃、学校からホワイトハンドコーラスの参加者募集のチラシを持ち帰ってきたんです。その少し前に、妻がたまたまニュース番組でホワイトハンドコーラスのコンサートを見たばかりだったらしく、どこか運命を感じたそうです。息子もチラシを見て「やってみたい」というので、参加を決めました。

ホワイトハンドコーラスは、ろう者、難聴、全盲、弱視、車いすユーザー、障害がない人などが一緒に演奏する合唱団です。参加する前は、目が見えにくい子たちと、耳が聞こえにくい子たちがどうやって触れ合うのか、親としては少し不安がありました。でも子どもたちは、障害のあるなしや年齢などに関係なく、お互いの違いを自然に受け止めながらコミュニケーションしていて、その姿に驚きました。

ーー光一くんはもともと歌や音楽が好きだったんですか?

久保田 歌を歌うのは好きでした。息子が3歳の頃、車でペット・ショップ・ボーイズの『New York City boy』という曲を流したら、後部座席にいた息子が黙って聞いて「もう1回かけて」と何度も繰り返し聞きたがりました。そして何回かかけてあげると、息子は突然曲に合わせて「ニューヨーク シティ ボーイ♪」と歌いだしたんです。こんな幼い子がまさか洋楽を歌うと思わなくて、私たち夫婦はびっくりして大爆笑したことがありました。そんなふうに、小さい頃から音楽が好きな子でしたね。

親としては息子に運動にもチャレンジさせてあげたいのですが、目の病気があるために、体や頭などに衝撃が加わると網膜剥離が進行して視力に影響が出る可能性があるので、ブラインドサッカーや柔道などの競技は難しいんです。だからこそ、息子が音楽を見つけてくれたことは、私たちにとって救いであり、喜びでもありました。

ーーホワイトハンドコーラスの活動に参加して、光一くんにどんな変化や成長が見られましたか?

久保田 ホワイトハンドコーラスは、いわゆる習いごとではないんです。子どもたちが音楽を通じて楽しく自己表現するとともに、共生社会の実現を目指す社会活動でもあります。息子がその意味を理解しているかどうかは分かりませんが、歌うことにプライドを持って取り組んでいるように感じます。一生懸命歌うだけでなく、観客に向けて「伝えたい」という意識を持つ姿勢が育ったのは、この活動のおかげだと思います。

彼らの音楽にはいつも心を揺さぶられますし、コンサートでは涙してくださるお客さんも多くいらっしゃいます。

「目がよくないのは僕の個性」

  • 久保田さん提供

    久保田さん提供

ーー光一くんはどんな個性のお子さんですか?

久保田 明るくて屈託のない性格ですね、僕に似て(笑)! ただ最近は思春期に入りつつあって、ちょっとかっこつけるようにもなってきました。 そんな息子から聞いていちばんうれしかった言葉があるんです。それは「目がよくないのは僕の個性だから」というもの。この言葉は今も私の支えになっています。

息子が幼稚園の頃、妻と2人でファーストフード店で食事をしていたら、隣のテーブルの婦人たちが分厚い眼鏡をかけた息子を見て「この子、目をどうしたの?」と話しかけてくれたそうです。妻が事情を説明すると、善意で「あら、かわいそうに」と言ってくださったらしいんですが、息子は婦人たちに「かわいそうじゃないよ! ママは優しいし、パパは面白いし。目がよくないのは僕の個性だから」ときっぱり言ったそうです。妻からその話を聞いて、うれしくて泣きました。息子が自分の弱視を一つの個性として受け止めているからこそ、自然に出てくる言葉だと感じました。

ーー障害があると聞くと、かわいそうというイメージを持つ人もいますね。

久保田 もしファーストフード店で声をかけてきた婦人たちが、日常的に視覚障害のある人と触れる機会があったなら、きっと違う言葉で話してくださったのではないかと思うんです。だからこそ、知ってもらうことが大事ですよね。私がこうしてお話しすることで、息子のような個性をもっと知ってもらう機会が作れたらと思っています。

――光一くんは現在中学3年生だそうですが、将来の夢や仕事について話すことはありますか?

久保田 息子はスマートフォンアプリで音楽を作るのが大好きです。起きてすぐからリズムをつないで音を重ねて作曲することに夢中になっています。「パパ、新しい曲ができたから聴いて」と聞かせてくれることもあります。 将来は作曲家になりたいと言っていますが……どこまで本気なのかはまだ分かりません(笑)。でも息子が本気で目指すなら、もちろん応援したいと思います。

だれかをサポートする仕事は天職。家族との時間も大切に生きたい

ーー結婚を機に接骨院を開業した久保田さん。働くことと「よりよく生きること」について、どのように考えていますか?

久保田 仕事をする上で、私にとっての正義は「人のために何かをさせていただくこと」です。柔道整復師として、患者さまの体をサポートする仕事に信念を持って取り組めていますし、自分が誰かのために働けることに幸せを感じています。天職とも言える仕事に出会えて、ストレスなく働くことができて、ラッキーだな、と。

息子の用事に合わせて休診にさせてもらうこともありますので、家族との時間を大事にしながら働き続けることが、私にとっての“よりよく生きること”なのかな、と思います。

  • 久保田さん提供

    久保田さん提供

ーー今後、ご自身の経験をどんなことにいかしたいと思いますか?

久保田 生後4カ月で息子に視覚障害があると分かったとき、僕たち夫婦は重い現実を受け止めることができず、どうすればいいのかも分からず、希望を失っていました。そんな中で、妻がSNSで視覚障害の方のコミュニティを見つけて息子の病気について相談したところ、高校生くらいの方が「私も同じ病気です。今は普通に生活できていますよ。お母さん、大丈夫です」とコメントしてくれたことがありました。僕たち夫婦は、その言葉に安心して涙しました。息子の未来に希望が持てた瞬間だったんです。

その経験から、弱視という個性を持つ息子がただ普通に成長することが、だれかの希望になることがある、と知りました。だからこそ私は、息子が成長する姿を見守り、全力でサポートを続けていきたいと思っています。もし、どこかでお子さんの個性について悩んでいる方がいたら、元気に育っている息子の姿を見て希望を持ってもらえたら、と願っています。

監修の眼科医より

見えにくさを抱える方とともに生きる社会へ

視覚に障害を持つ方が社会の中で自分らしく生活するためには、何よりも周囲の理解と配慮が欠かせません。点字や拡大教科書、白杖の使用、音声案内、アクセシブルなIT環境など、さまざまな支援手段があります。特に弱視の方の場合、「見えているのに白杖を使っている」ことへの誤解も少なくありません。外見では分かりにくい障害だからこそ、本人が必要とする支援方法(例えば、ルーペの使用や画面の白黒反転など)を尊重することが大切です。

また、障害を“かわいそう”と捉えるのではなく、その人の“個性”として受け止める視点も大切です。見え方や感じ方が違うだけで、人としての価値は何一つ変わりません。日常のコミュニケーションや共に過ごす時間を通じて理解と共感が深まれば、誰もが安心して自分らしく生きられる社会に近づくはずです。

もしお子さんが「目が合わない」「目が揺れている」「物を見るときの様子が気になる」といった様子を見せたら、早めに眼科を受診してください。遺伝性疾患の場合には、家族歴や遺伝カウンセリングの視点も大切です。必要に応じてセカンドオピニオンを求めることも、安心して治療に向き合うための一歩となります。

医療がどれほど進歩しても、実際に病気や障害を抱える方の経験や家族の支えほど強い力はありません。医療者だけでなく、社会全体が当事者と共に考え、支え合う姿勢を持つこと。それが未来への希望につながると感じています。

視覚に障害があっても、音楽、スポーツ、学びなど、それぞれの得意分野で輝く方々がたくさんいます。多様な個性が互いに認め合い、支え合う社会へ、私たち医療者もその一助となれるよう努めていきたいと思います。