DHがあれば…指名打者ならキャリアを伸ばした可能性のある大物選手6人。も…

 8月4日、リーグ理事会において2027年からセントラル・リーグでも指名打者制(DH制)が採用されることが決定した。現役選手にとってはチャンスが広がった一方で、もっと早く導入されていたらと思いを馳せる野球ファンも少なくないだろう。今回は、DH制が採用されていたら、現役生活が伸びていたかもしれない20世紀以降の引退選手を取り上げたい。

阿部慎之助

投打:右投左打

身長/体重:180cm/97kg

生年月日:1979年3月20日

経歴:安田学園高 - 中央大

ドラフト:2000年ドラフト1位

 

 現在は読売ジャイアンツの監督として指揮を執る阿部慎之助。現役最終年にも打率.297をマークしており、DHがあれば間違いなく出場機会が伸びていただろう。

 

 中央大から2000年ドラフト1位で巨人に入団。プロ1年目から開幕スタメンを勝ち取り、127試合出場、打率.225、13本塁打を記録。規定打席には届かなかったが、「打てる捕手」としての才能を早くも見せた。

 

 

 翌2002年には打率.298、18本塁打、74打点の好成績を残し、捕手部門のベストナイン、ゴールデングラブ賞を初受賞。その後も長年にわたって巨人の主軸捕手として活躍。

 

 2012年には打率.340、27本塁打、104打点の好成績を収め、首位打者・打点王・最高出塁率を獲得しシーズンMVPを受賞した。

 

 2015年からは内野手にコンバート。その後も年齢による衰えはあったものの、毎年2桁本塁打を放つなど長打力は健在。

 

 現役最終年となった2019年にも主に代打などで95試合に出場し、打率.297、7本塁打をマーク。同年の日本シリーズでも本塁打を放つなど、打者としては一線級の成績を収めた。

 

 以降は巨人の二軍監督、一軍ヘッドを経て2024年シーズンから監督に就任。昨季はチームを4年ぶりのリーグ優勝に導いたが、DHがあればもう少し長く現役生活が続いていたかもしれない。

金本知憲

投打:右投左打

身長/体重:180cm/88kg

生年月日:1968年4月3日

経歴:広陵高 - 東北福祉大

ドラフト:1991年ドラフト4位

 

 2球団で輝かしい成績を残した金本知憲。晩年は故障により守備に苦しんでいただけに、指名打者なら出場機会を増やせていたかもしれない。

 

 1991年ドラフト会議で4位指名を受け。広島東洋カープに入団。1995年に24本塁打を放ち、レギュラーに定着。

 

 

 翌1996年には打率3割をマークするなど強打者として頭角を現し、2000年には136試合に出場。打率.315、30本塁打、30盗塁の成績を残しトリプルスリーを達成した。

 

 2003年にFA権を行使し、阪神タイガースへ移籍後もチームの精神的支柱として活躍。2005年の優勝時には全144試合に出場し、打率.327、40本塁打、125打点を記録。

 

 しかし、2007年以降は故障との戦いに。2010年には外野守備に支障をきたすシーンが増加すると、同年に連続フルイニング出場記録が1492試合でストップした。

 

 その後も通算1500打点、通算2500安打など大記録を達成し、2012年に現役引退。2016年からは阪神の監督も務めた。

 

 現役晩年は故障による守備難が目立っていただけに、DH制があれば打撃記録をさらに伸ばしていたかもしれないと想像させる強打者だった。

高橋由伸

投打:右投左打

身長/体重:180cm/87kg

生年月日:1975年4月3日

経歴:桐蔭学園高 - 慶應大

ドラフト:1997年ドラフト1位

 

 代打の切り札としてして活躍しつつも、突然の引退、監督就任で現役生活に幕を閉じた高橋由伸。DHがあれば違う形もあったかもしれないと想像してしまう選手の一人だ。

 

 慶應大から1997年ドラフト1位で読売ジャイアンツ入りし、プロ1年目から打率.300、19本塁打と鮮烈デビュー。

 

 

 以降、常に高打率と長打力を兼ね備えた万能外野手として長く君臨し、2007年には133試合に出場し、打率.308、88打点、自己最多の35本塁打を放った。

 

 2008年以降は度重なる故障に苦しめられ、スタメンでの出場機会が徐々に減少。それでも、勝負どころでのバッティングは健在で、2013年には2桁(10本)本塁打を記録した。

 

 現役最終年となった2015年も主に代打の切り札として躍動。77試合の出場で打率.278、代打打率.395を記録するなど衰えを感じさせない打撃力を披露していた。

 

 しかし、同年は原辰徳監督の辞任により、後任として高橋が監督に就任。就任3年間で優勝はなかったが、若手の育成に努め、岡本和真らを一軍定着させるなど後に繋がる実績を築いた。

 

 天才打者の突然の幕切れも、指名打者制度があればまた違った展開となっていたかもしれない。

アレックス・ラミレス

投打:右投右打

身長/体重:180cm/100kg

生年月日:1974年10月3日

経歴:サンアントニオデパウラ高 - インディアンス - パイレーツ

 

 打撃面では申し分ない実力を発揮していたアレックス・ラミレス。守備難が課題となり出場機会を減らしただけに、DHがあればまだまだ戦力として考えられていたかもしれない。

 

 メジャーリーグでのプレーを経て、2001年にヤクルトスワローズに入団。来日1年目から138試合出場、打率.280、29本塁打、88打点の好成績を記録し、チームのリーグ優勝、日本一に貢献。

 

 

 主軸打者として定着し、2003年には全試合に出場、打率.333、40本塁打、124打点、189安打の成績を収めて打点王・本塁打王・最多安打の3冠に輝いた。

 

 2008年からは読売ジャイアンツへ移籍。首位打者、本塁打、打点王など数々の打撃タイトルに輝く活躍を見せた。

 

 打撃では好成績を残し続けた一方、守備に課題を抱えており、巨人を2011年限りで退団。2012年からは横浜DeNAベイスターズに活躍の場を移した。

 

 2013年にはNPB通算2000安打を達成するなど変わらぬ打撃力を発揮していたが、やはり守備面での課題が改善されず、出場機会が減少。同年限りでDeNAを退団した。

 

 NPB通算打率.301、380本塁打と十分に素晴らしい成績を残したレジェンド助っ人だが、指名打者制度が有れば更に数字を上乗せしていただろう。

和田一浩

投打:右投右打

身長/体重:182cm/90kg

生年月日:1972年6月19日

経歴:県立岐阜商 - 東北福祉大 - 神戸製鋼

ドラフト:1996年ドラフト4位

 

 遅咲きの名選手として名高い和田一浩。現役最終年も3割に迫る数字を残しており、指名打者として出場出来れば好成績を残せていた可能性があった選手だ。

 

 強打の捕手と注目され、1996年のドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受け入団。捕手としてレギュラーに定着することは出来なかったが、外野手に転向すると才能が開花。

 

 

 2002年に115試合に出場、初めて規定打席に到達し、打率.319、33本塁打、81打点という好成績を記録。翌年から不動の外野手として活躍し、2005年には首位打者、最多安打のタイトルを獲得。

 

 2007年にFA権を行使し、中日ドラゴンズへ移籍。中日でも主軸を担い、2010年に最高出塁率のタイトルに輝くなど、リーグ優勝に貢献。2012年にも全試合出場を果たした。

 

 2015年にも79試合に出場し、打率.298をマークするなど、一定の成績を収めながらも同年限りで現役引退。

 

 通算2050安打を放った屈指の強打者だったが、守備負担の無いDHがあれば数字を更に重ねていた可能性が高い。

前田智徳

投打:右投左打

身長/体重:176cm/80kg

生年月日:1971年6月14日

経歴:熊本工高

ドラフト:1989年ドラフト4位

 

 「天才」と評され、球界を代表する好打者として活躍した前田智徳。大怪我の影響で出場機会を減らしただけに、指名打者があればキャリアがもう少し伸びていたかもしれない。

 

 熊本工高から1989年ドラフト4位で広島東洋カープに入団。高卒2年目にしてレギュラーに定着し、外野手としては史上最年少でゴールデングラブ賞に輝くなど、頭角を現した。

 

 

 同年から1994年までに外野手部門で4年連続となるゴールデングラブ賞、3年連続となるベストナインを獲得するなど、球界を代表する外野手となった。

 

 しかし、1995年にアキレス腱断裂の大怪我を負い、この年以降は故障との戦いに。それでも、翌1996年に復帰を果たすと、同年から4年連続で打率3割越えを記録。

 

 その後も怪我に苦しみながらも卓越したバットコントロールでヒットを積み重ね、2010年以降は代打の切り札としても存在感を発揮した。

 

 2012年には56試合に出場し、打率.327、出塁率.408をマーク。変わらず代打での勝負強さを発揮していたが、2013年限りで現役を引退。

 

 通算打率も3割を超える球界屈指のヒットメーカーだったが、DH制度があればまた違った野球キャリアとなっていたかもしれない。

 

 

【了】