
ペナントレースも佳境を迎える中、横浜DeNAベイスターズのファーム拠点「DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKA」では、若手選手が1軍での活躍を夢見て研鑽を積んでいる。第3回は、今季ついに支配下登録を勝ち取り、念願の一軍マウンドにも立ったドミニカ共和国出身の右腕、ハンセル・マルセリーノに話を訊いた。(取材・文:石塚隆)【取材日:9月10日】
プロフィール:ハンセル・マルセリーノ
生年月日:2002年6月16日(23歳)
身長/体重:191cm/82kg
ドミニカ共和国出身の若手右腕。2021年オフに横浜DeNAベイスターズと育成契約を結び、入団後は神奈川フューチャードリームスへの派遣などを経て、着実に力をつけた。来日4年目の今季は支配下契約を掴み取り、一軍のマウンドも経験した。
来日4年目でつかんだ支配下登録
19歳のときに故郷ドミニカ共和国から遠い異国の地である日本へ――。
横浜DeNAベイスターズに入団して4年目のハンセル・マルセリーノは、今日も横須賀にあるDOCK(ファーム施設)で汗を流している。遠目から見ても目立つ風貌、コーチや選手たちと笑顔を交えトレーニングをし、良好なコミュニケーションを取れていることがうかがわれる。
「僕にとってベイスターズはファミリー。だから1日でも早くチームの力になりたいと思っているんです」
柔らかい表情でマルセリーノは言った。ブリーチされたドレッドヘアーがよく似合っている。
今季は育成契約から5月15日付で支配下登録をされた。待ち望んでいたこの日、萩原龍大チーム統括本部長からその旨を伝えられると、マルセリーノは目に涙を浮かべた。
「日本に来てから夢見ていたことだったので、本当にうれしかった。ここまですごく長かったですからね……」
実感がこもった感慨深い様子でマルセリーノはそう語った。
ストロングポイントは身長191㎝、長いリーチから投げ下ろすMAX157キロのストレート。さらに鋭く曲がるスライダーと打者のタイミングを外すチェンジアップが持ち味だ。支配下登録直前のファームでのスタッツは、14試合に登板し、1勝2敗4セーブ、防御率2.15。投球回数が14回1/3なのに対し28奪三振を記録するなど、ボールに力があることを証明している。
待ちに待った一軍昇格のチャンスが訪れたのはセ・パ交流戦だった。6月19日に横浜スタジアムで開催されるロッテ戦でマルセリーノは合流した。初めて経験する一軍の雰囲気をどのように感じたのだろうか。
「やっとこのときが来たかという感じでした。ただ実際にスタジアムにいくといつもと異なる環境であったり、お客さんの数もファームとは違うので、すごく気持ちが引き締まりました。ただブルペンでは周りのみんながすごく声を掛けてくれたりして、いい雰囲気で準備ができたので、楽しもうという気持ちでした」
「どうやって投げたらいいのか」経験したことのない緊張感
ただ、その楽しもうという気持ちは実際にマウンドに立つと霧散してしまう。合流翌日の20日の試合、1対4のビハインドの9回表、マルセリーノは初めての一軍マウンドに立った。ハマスタに訪れていた観衆の圧倒的な迫力に浮足立ち、経験したことのない緊張感が身体を固くした。
「どうやって投げたらいいのか、わからなくなるほどでした。フォームがおかしくなるほど緊張しましたね」
そしてアクシデントが起こる。1死一、二塁の場面、迎えた打者はベイスターズ時代に親しくしていた先輩のネフタリ・ソトだった。成長した姿を見せたかったが、4球目のストレートが抜け、ソトの頭部へ。戦慄の瞬間。幸い倒れたソトは「大丈夫だ」というジェスチャーを見せたが、マルセリーノは危険球により退場となった。
「本当に申し訳ないことをしてしまいました。あの後ですか? 落ち込むというよりも、自分自身に対しての怒りの方が多くて、感情をうまくコントロールできませんでした」
デビュー戦にして後味の悪い結果。ましてや相手は敬愛するソトである。メンタルを心配した宮城滝太らブルペン陣は、マルセリーノを全力でフォローしたという。
「本当にみんなには支えてもらって感謝しています。次の日にソト選手と話して、いろいろな言葉をかけてもらい、背中を押してもらいました」
ソトはマルセリーノに「インハイを攻めるのは当たり前だし、分かっていたから大丈夫だよ。気にするな」と、声をかけたという。ただ、一歩間違えば大事故になっていただけに、マルセリーノは反省を込めさらに投手として成長することを誓った。
その後、28日の巨人戦(東京ドーム)でマウンドに再び立つと、1イニングを2四球2三振、無失点で収め、これを最後に登録抹消されている。
わずか2試合の登板だったが、一軍という場所で戦うためにはなにが必要不可欠だと思ったのだろうか。マルセリーノはしばし考えると口を開いた。
「緊張感が格段に違う」難しさを感じた一軍マウンド
「やはりファームと比べると、マウンドに立ったときの緊張感が格段に違うことがわかりましたし、すごく難しさを感じました。ですから一軍抹消になってファームに来てからは、いろいろと課題はあるのですが、まずは一軍という環境を常に意識して行動しています。練習から準備、ブルペン入り、そして試合に至るまで。3万人の観衆はいませんが、ファーム戦でも大観衆のなかで投げている気持ちで日々やっています」
ようやく手が届いた一軍の世界。憧れの場所ではあったが、自分がここまで行けるとは、来日当初は考えていなかったという。マルセリーノは当時を振り返り正直に言った。
「来日して1~2年目は頑張りたいというよりも、ドミニカに帰りたいという思いが大きかったんです。1~2年目は試合というよりも練習することが多くて、量であったりメニューであったり、なかなか慣れることができませんでした」
異国での生活。今ではすっかり慣れたが、当時は日本食が口に合わず苦労した。そんなときマルセリーノを支えてくれたのは、ジョフレック・ディアスやスターリン、アレクサンダー・マルティネス、ウィルニー・モロンなど同じ境遇のカリブ出身の若手外国人選手たち、そしてともに切磋琢磨する若手日本人選手たちやチームスタッフだったという。
「日本の文化にも興味を持てるようになった」
「周りの人たちから声を掛けてもらって、一緒に走ったり、みんなと同じ気持ちで一軍を目指していることに勇気をもらいました。また3~4年目になり日本の生活も長くなると出会ってきた人たちやお世話になった人たちの影響で、日本の文化にもすごく興味を持てるようになりましたし、今はいいモチベーションで過ごすことができています」
マルセリーノは、コーチ陣にも感謝の意を忘れない。
「八木(快・ファーム投手)コーチには『一緒に練習を頑張ろう!』と常に声を掛けてもらいましたし、加賀(繁・投手)コーチ(補佐)からはウェイト・トレーニングについて、いろいろと面倒を見てくださったので、すごくありがたかったです」
そしてマルセリーノが「日本のお父さん」と呼ぶ入来祐作ファーム投手コーチの存在も欠かせない。
「優しくもあるけど、時には厳しい言葉を掛けてくださる存在ですし、本当にすごくお世話になっています」
支配下登録が決定したときや一軍へ行く際は、一緒にうれし涙を流したという入来コーチは、感慨深い表情でマルセリーノについて語る。
(取材・文:石塚隆)
【後編に続く】
【関連記事】
【了】