
「なるべく最小限の準備で」「高速道路とホテル泊はナシ」で、パリから1977年式プジョー104 SLで東京に来ること。ルナン氏がある日、朝起きてそう決めたのは昨年6月ぐらいのことだった。
【画像】パリから東京まで大陸を横断して自走!2万1000kmを走破したルナン氏と愛車プジョー104 SL(写真14点)
「思いつきは思いつきだけど、長年アタマの中にあったアイデアなんだ。行き先を東京に決めたのは、以前に旅行した時にすごく気に入ったから。でも、数万ユーロもする流行りのいかついSUVで辿り着けても、物足りないとうか、そうじゃない気がしたんだよね」
彼の愛車は1977年式プジョー104 SLで、インスタグラムへ彼が初期にした投稿の中では、フランスの県番22のナンバープレートを付けていた。
「29じゃなかった? 両親の実家があるイル・エ・ヴィレーヌ県(=県番35。29はフィニステール県、22はコート・ダルモール県)で買った車だから、いずれブルターニュ地方のナンバーだったことは確か。もう10年ぐらい乗っているよ」
プジョー104はルノーR5とほぼ同年代の横置きFFハッチバックで、当時プジョーが合併したばかりの別ブランド、シトロエンLNやタルボ・サンバと兄弟車だ。ルナンの愛車は「SL」というグレードで1124㏄の57ps仕様。名高いZSやZS2に次いでスポーティなバージョンで、当時のフレンチ・ハッチバック大衆車としては、気の利いた内装トリムや装備を備えている。
ちなみに彼が東京で車から降りたのはここ、東京タワーの駐車場が初めて。文字通り、彼の長い長い旅のゴールだった。ステランティス・ジャパンでプジョーのブランド&マーケティングを担当する小川隼平ディレクターから記念品を受け取り、夕暮れの東京タワーを眺めていたら、こみ上げてくるものがあったようだ。ルナン氏の目がたちまち潤んで涙がこぼれてきた。1年もかけてユーラシア大陸を104で横断するのは、それはそれは並大抵のことではないのだ。ちなみに電波塔としての必要性はともかく、フランスでは東京タワーはエッフェル塔のパクリだと少なからず思われているので、それを見上げて真剣に泣けてきたフランス人がいることに、少し大袈裟にいえば、時代が変わったんだなと思わされた。
「故障と修理はもう、数えきれないほど経験したよ。パスカルっていう、馴染みのガレージのメカニックが出発前、車検のために整備点検してくれたんだけど、ドイツまで無事に行けたらびっくりするって言われたほど」
燃料タンクに軽いヒビが入ったことで、困ったのは燃料が漏れるのはともかく、砂が燃料に混じってくること。時にはフランス本国の104クラブのフォーラムに投稿して、解決策を百戦錬磨のオーナーたちに尋ねたりもした。エグゾーストパイプのジョイントが焼け焦げて、低速で吹けなくなったとか、エンジンマウントがひとつ千切れたりもした。現地のガレージにもち込むこともあったが、最終的には自分で大抵の修理はできるようになったとか。カセットテープデッキ付のオーディオ近くの収納には、すぐ取り出せるように作業用の軍手が放り込まれていた。
「プジョーはフランスでは丈夫で信頼性が高いメーカー。壊れても、マイナートラブルばかりだったよ」
そうは言いつつも、小川ディレクターが乗って来た最新のプジョー3008ハイブリッドにも、ルナン氏は興味を隠さない。折角なので東京の道で、少し試乗することになった。
同じプジョー車とはいえ、104からは50年近くの開きがある。最新鋭のi-コクピットのモダンさ、小径のD型ステアリングが、「まるでF1みたいだ」とはしゃぎながら、ルナン氏は東京の道を楽しみ始めた。
「快適性のレベルが段違いだね。エアコンがオートで効いて、一部は電気で走るなんて、それこそ夢のようだよ(苦笑)。同じプジョーでも、こうも違うものなんだ。加速からステアリング、ブレーキのしっかり感もいいけど、内装までとても快適だね」
モダン・コンフォートだからといって、味気ないものではない。だからこそ自然に肯定できるものに仕上がっているし、そこが極東で右ハンドル仕様として相まみえても、フランス的なところ。ルナン氏とってはホームとして感じられる要素なのだ。
ところでルナン氏の道程だが、パリから東へ最初に越えたのはベルギー国境、ディナンの街へ。そこからドイツへ抜けてライプツィヒ、ポーランドとスロヴァキアからバルカン半島へ向かった。セルビアから北マケドニア、さらにギリシャとトルコを横断し、ジョージアからチェチェン地方を通過してロシアからカザフスタンに入った。
つまり彼は、最短距離で東京を目指した訳ではない。ここ東京タワーに着くまで、結果的に2万1000㎞以上を走ってきた。ウクライナ戦争が続いているため、ロシアとエストニアの国境が緊張関係にある以上、北からロシアに入ってたっぷり横断することは最初から避けた。もうひとつ避けたのは、外国人が領内を運転することが書類的にも実質的にも不可能な中国だ。ルナン氏は意図した訳ではないが、皮肉にも過去に戦場となったり大なり小なり紛争を経験した地の方が、結果的に安全に通過することができたようだ。
「ロシアには都合3度、カザフスタンに行く前と、カザフスタンからモンゴルを目指す時、あとはモンゴルからウラジオストックへ向かう時に入国したけど、フランスの軍隊や政府の関係者でないことを尋ねられたぐらい。ウラジオストクから日本へ行くのに、車を運べるフェリーは韓国を経由しなきゃいけない。最後は釜山から福岡に上陸したんだ」
そこから東京まで約2カ月近く、時間をかけて上京。途中の街々で仕入れた、山下達郎や沢田研二、YMOといった日本の古いポップスのカセットテープを、聴き込みながら走ってきた。また車内に積まれていた唯一フランスの音楽は、「インディアン・サマー」で有名な歌手、ジョー・ダッサンの日本版カセットテープで、これも道中で見つけたとか。昭和なもの、ニューロマンチックが今でもエモーショナルなのは、フランスの若者も同様のようだ。
ただし彼のコンテンツはこれで終わらない。彼のインスタグラム(royaldeluxe_gti)とYouTubeチャンネル(Détective Renan)で今回の旅は、まだ途中のトルコやジョージア辺りのエピソードまでしか公開されておらず、数カ月に1本ずつ、編集時間も公開までのスパンもじっくりとっている。とくにYouTube動画の方は45分前後と、尺は長め。インパクトの強い映像だけを見せる表層的なコンテンツからは、ほど遠い。長いカットを多用して、リアリティ豊かに現地の人とのやりとりや、その土地ならではの奇妙なものをじっくり見せてくれるような、良質のルポルタージュとなっている。彼の旅の趣旨に賛同したならば、投げ銭を募るサイトもあるので(https://fr.tipeee.com/detectiverenan/)、そちらもじっくり覗いてみてほしい。
文・写真:南陽一浩 Words and Photography : Kazuhiro NANYO