報道によると、岐阜県の江崎禎英知事が7月1日の県議会で、LRTの検討を始めたことを明らかにしたという。議事録がまだ公開されていない上に、岐阜県のサイトにも掲載されていないため、詳細はこれから公開されるだろう。知事の談話をもとにルートを予想すると、LRT計画はかつて岐阜市に存在した「名鉄岐阜市内線の復活」ではなさそうだ。

  • 2005年に廃止された名鉄岐阜市内線の電車。道路を緑色に塗った部分が乗降用区画だったが、非常に狭く、自動車が行き交う道路を横切る必要があった。社会実験を行う以前はこの安全地帯すらなかったという(2004年、筆者撮影)

県議会後の知事のコメントによると、主要ルートは岐阜市と羽島市を南北に結ぶルートであり、岐阜羽島駅と岐阜駅を結ぶルート、岐阜市内を周遊するルートも想定しているようだ。つまり、主要ルートでは岐阜駅を通らないかもしれない。だからこそ「岐阜羽島駅」と「岐阜駅」を結ぶルートを付け加えた。そして岐阜市内周遊路線を挙げた。

南北ルートは岐阜駅を経由せず、JR線との連絡は西岐阜駅とする。このルート上には、「バロー羽島インター店」「スミ株式会社本社工場」「市民の森羽島公園」「カラフルタウン岐阜」「トヨタ紡績岐阜工場」「岐阜県庁」「西岐阜駅」「岐阜大学」「岐阜大学付属病院」などの大型施設があり、工場通勤、通院、通学、ショッピング、レジャーなどの需要が見込める。沿線に田畑も多く、新規開発の可能性も高い。

岐阜羽島駅と岐阜駅を結ぶルートは、南北ルートと一部を共用する。岐阜羽島駅は東海道新幹線の駅にもかかわらず周辺が落ち着いているが、LRTによって副都心的な発展も見込めそうだ。羽島市民会館付近で南北ルートに合流し、岐阜県庁の北側で分岐して岐阜駅へ向かう。岐阜羽島駅と岐阜市内を結ぶ路線として名鉄竹鼻線・羽島線もあるが、LRTは鉄道空白地帯を結ぶ上に、速度は遅いので、直接の競合はないと考えられる。岐阜駅にLRTを設置するなら、北口が広くて良さそうに思えるが、南口にも転用できそうな空間がある。

  • LRT構想で挙げられた地域を結んでみた。茶色が南北ルート、緑色が岐阜羽島駅と岐阜駅を結ぶルート、ピンクが岐阜市周遊ルート(地理院地図をもとに筆者加工)

岐阜市内周遊路線の予想は難しい。ひとまず観光名所の金華山と岐阜駅を結ぶルート、岐阜駅と岐阜県総合医療センターを結ぶルートを地図に示した。このあたりは地元関係者のほうが詳しいと思うので、私案を作ってみてほしい。もっとも、南北ルートでかなりの予算を使うと思われるので、優先度は低いかもしれない。

名鉄岐阜市内線、行政の「塩対応」で廃止されたというが…

岐阜市内では、2005年まで名鉄岐阜市内線があったものの、岐阜市・岐阜県側の「塩対応」を遠因として廃止に追い込まれた経緯がある。岐阜市議会は1967年に路面電車廃止を決議しており、その後も道幅が狭いことを理由に軌道内の自動車通行を許可した。この施策もあって、岐阜県警は道路交通法で禁止されたはずの軌道内自動車通行を取り締まらず、自動車交通の障害になるとして、停留場の構造物設置を認めなかった。

  • 廃止前年の新岐阜駅前停留場。自動車の侵入を防ぐコーンとロープが設置されていた(2004年、筆者撮影)

自家用車の普及による交通渋滞が原因で、電車のダイヤが安定しない状態が続き、乗客は減少していく。2003年、名鉄は岐阜市内の軌道および軌道と同規格の電車を運行する路線について廃止する意向を表明し、自治体と協議に入った。

その際、岐阜市は形ばかりの「路面電車交通社会実験」を実施し、ようやく道路に色を塗っただけの狭い乗降区画ができた。あわせて軌道内の車両通行も禁止した。しかし乗客数は回復せず、交通渋滞に拍車がかかる結果となった。

名鉄岐阜市内線は岐阜駅前停留場と長良北町停留場を結ぶ「本線」と、途中の徹明町停留場で分岐して忠節駅に至る「忠節支線」があり、忠節駅から先は名鉄揖斐線に乗り入れた。岐阜駅前駅~徹明町間で名鉄美濃町線も直通していた。この3系統がすべて岐阜駅前停留場に乗り入れたわけで、電車も道路も渋滞していたことが容易に想像できる。岐阜駅前行の電車も、やむをえず新岐阜駅前停留場で打ち切り、折り返すことが多かったようだ。

  • 岐阜駅前停留場は道路中央にあった。岐阜駅の高架化によって駅舎が遠くなり、道路整備の都合で新岐阜駅前停留場から岐阜駅前停留場まで休止していた。写真左上にあった軌道も撤去され、そのまま復活することなく廃止となった(2004年、筆者撮影)

その他、美濃町線の電車の一部が競艇場前停留場から田神線に乗り入れ、田神駅から名鉄各務原線に直通して新岐阜(現・名鉄岐阜)駅を発着した。田神線は1970年に開業した路線で、市議会の路面電車廃止決議の後に設置されており、路面電車区間の渋滞を避ける苦肉の策だったといえる。この路線も美濃町線とともに廃止された。

2004年、名鉄は岐阜市内線、揖斐線、美濃町線、田神線の廃止を表明した。事業者を変更して存続を探る動きがあったものの、いずれも自治体の財政支援頼みの計画だったため、岐阜市は承服せず、これら全線の廃止が決まった。当時、岐阜市内のバス事業者3社も赤字で補助金頼みだった。岐阜市は路面電車を切り捨て、バスを選択した。

  • 名鉄の岐阜市内線など軌道線の路線図と、LRT構想で挙げられた地域。青の実線は2005年に廃止された路線。青の点線は2003年以前に廃止された路線。赤の実線は名鉄の鉄道路線(地理院地図をもとに筆者加工)

岐阜県のLRT計画に対し、名鉄岐阜市内線が廃止された経緯を覚えている人たちから、「路面電車を追い出し、車優先の施策を続けておきながら、いまさら何を言ってるんだ」という怨嗟の声も聞こえてきそうだ。岐阜市の対応は路面電車に対するひどい仕打ちに見えるが、筆者が実際に乗った当時も、電車は自家用車やバスに進路をふさがれ、渋滞する状況だった。これを改善するためには、道路拡幅に伴う大規模な区画整理が必要に思えた。とはいえ、当時の岐阜市、岐阜県にそこまでの余裕はなかったと思われる。この頃、東海道本線連続立体交差事業と、岐阜駅の高架化に伴う駅前広場の整備が行われていた。

いまなら「新しいまちづくり」として、国の補助金を得つつ、商店や民家の集約化、道路拡幅など実施できるだろう。過去のことはいったん忘れ、新しい公共交通の誕生に期待したい。