フジテレビ系ドラマ『愛の、がっこう』(毎週木曜22:00~ ※TVer、FODで配信)が、10日にスタートした。
今作は『白い巨塔』(03~04年)や『昼顔~平日午後3時の恋人たち~』(14年)などのヒット作を手掛けてきた井上由美子脚本と西谷弘監督が再びタッグを組んだ意欲作。真面目でまっすぐな高校教師・愛実(木村文乃)と、読み書きの苦手なホスト・カヲル(ラウール)が出会い、お互いが本当の“愛”を知っていくラブストーリーだ。
主人公の相手がナンバー1ホストではなかった
恋愛ドラマの隆盛期が過ぎ、そもそも恋愛をしないことも個人の自由で当たり前となったこの時代。ラブストーリーを多くの視聴者に見てもらうためには、どうしても“飛び道具”が必要だ。よって最近では不倫や復讐、犯人捜しの謎解きから疑似家族など、様々な“飛び道具”を用いた恋愛劇が主流となっている。それがなければ物語を持続させることが難しく、視聴者にとっても見たいと思わせるフックが弱いのだ。
そんな現状を踏まえての今作。真面目な高校教師がホストと出会ったことによって繰り広げられるラブストーリーという概要からは、“ホスト”というワードからあからさまな“飛び道具”を感じてしまう。だが、それは全く違った。社会問題にもなっている、ホストにハマってしまう女性たちの心理、そこで働くホストたちの背景、はたまたホストを愛してしまうことは愚かなことなのだろうか…という、現代社会の有様はもちろん、愛の本質までをも描こうとする覚悟を秘めた作品に感じられたのだ。
安易な設定を用いて視聴者を引こうとする“飛び道具”という意味で、今作がそうではないと特に感じられたのが、主人公・愛実が恋に落ちるホスト・カヲルが、“ナンバー1”ではなく、ヒエラルキーにおいてかなり下に属していたことだろう。第1話の時点では、なぜカヲルがナンバー1ではない設定なのか、その背景の詳細は描かれていないのだが、主人公が恋に落ちるのがナンバー1ホストであったほうが作劇は簡単であり、共感も得やすかったはずだ。
しかしそうしないことによって、ホストであることの“記号化”を避け、さらに何らかの“意味”があるのではという奥行きを感じさせることに成功させている。その“意味”の中には、ホストとして成果を上げるために愛実を利用するのか?というラストシーンの部分も含まれるのだろうが、今後カヲルが“ナンバー1ではない”ことの物語が深く描かれるのだろう。
真面目な教師がホストに恋に落ちてしまう理由が、愛実がただただまっすぐであるというわけではなく、愚直なあまり過去に自分がストーカーのようになってしまったという“危うさ”が潜んでいることも、教師とホストを安易な形で結び付けない…ここも“飛び道具”にさせないポイントとなっている。もし、この2人を結びつけるとっかかりが、恋愛に免疫がない真面目な女性教師が、その瞬間のときめきのみで恋に落ちた――では、ホストはまさに“飛び道具”なのだ。
西谷弘監督にしか出せない緊張感
こうして脚本によって描かれた背景を、さらに奥行きのあるものにさせているのが、西谷監督による細やかな演出の数々だ。
冒頭の醜い姿で海へ転落する主人公、バックルームのジャグジー、父のボトルシップ、無下に踏まれたぬいぐるみ、駐車場の花火、無造作に受け取った札束、室外機に敷かれたハンカチ、屋上の夕景、そのきらめき…と、何げないカットやシーンの全てに明確な物語があるわけではない。だが気が付けば、それらの演出が気になってその奥行きが何なのかをどうしても探りたくなってしまう緊張感が生まれている。そんな作品は西谷監督にしか出せないものだ。
演じる役者たちから、描かれる物語から、細やかな演出から、今作を最後まで体感したい。