戦後80年プロジェクト「いまを、戦前にさせない」を展開する日本テレビでは、23日に「慰霊の日」を迎える沖縄の特集企画を、各番組で22日から放送する。

  • 「いまを、戦前にさせない」

23日週の『news every.』では、斎藤佑樹と桐谷美玲が“沖縄戦を生きた”10代の記憶と家族の思いを取材。斎藤は、沖縄戦で結成された主に14歳から18歳の「鉄血勤皇隊・通信隊」の足跡を追う。彼らは日本軍史上初めて、中学生の学徒隊が兵士として動員されたが、十分な訓練も受けないまま、戦場で多くの命が犠牲になった。

斎藤は、少年たちの遺書や遺影などが展示されている資料館を訪問。さらに「沖縄戦終焉の地」といわれる摩文仁の丘(まぶにのおか)へ。彼らはどんな過酷な環境で過ごし、最期の瞬間を迎えたのか。ぬかるんだ道を進むと、切り立った岩や急勾配の崖には、当時のものと思われる手りゅう弾や火炎放射器で焼かれた跡など、生々しい戦争の爪痕が今も残されていた。

桐谷は、沖縄戦で亡くなった祖父からの手紙を大切に保管している家族を取材。「いまを、戦前にさせない」プロジェクトに証言を寄せてくれた家族の元を訪れた。

戦況の悪化を機に、家族で暮らしていた沖縄から妻と2人の子どもを大阪へ疎開させた祖父。手紙には、家族が離ればなれになるつらさや、子どもたちへの深い愛情がつづられていた。その手紙を読みながら、桐谷が涙を流す場面も。

23日週の『news zero』では、櫻井翔が“壮絶な50日間”を生き抜いた男性を、藤井貴彦が平和の継承者を取材する。

80年前、沖縄・石垣島から疎開するため出港した2隻の船。海上で米軍機の空襲を受け、疎開船は尖閣諸島の無人島「魚釣島」に漂着した。無人島で始まった飢餓との戦い…“地獄の50日間”という壮絶な日々を生き抜き、救助された86歳の男性を櫻井が取材する。当時3歳の妹と乳児だった弟を亡くした男性が語る戦争の現実とは。

「同じ過ちを繰り返してはいけない」。戦後80年の今年、政府は有事を想定し石垣島を含む先島諸島の5市町村の避難計画を初めて公表した。もし今、住民が避難する事態になったら…沖縄戦が残した教訓と、住民の思いを伝える。

また藤井は、サッカー日本代表・森保一監督(長崎出身)と、森保氏を育成した元サンフレッチェ広島総監督で、被爆者でもある今西和男氏(広島出身)を取材。被爆地である広島・長崎と深いつながりがある2人に、受け継がれてきた平和への思いを聞く。

22日の『真相報道 バンキシャ!』では、次の世代へ“戦争の記憶”を継ぐ13歳双子姉妹の読み上げに密着する。

沖縄戦などで失われた24万人あまりの命。糸満市にある記念碑「平和の礎」にはすべての戦没者の名前が刻まれている。番組が取材したのは、沖縄戦で亡くなった人たちを思い出し、一人ひとりの命について考えるイベントだ。6月23日の慰霊の日まで、沖縄だけでなく全国・世界各地の参加者がリレー形式で平和の礎に刻まれている「戦没者の名前」を読み上げる。

そのイベントに参加する北中城村の13歳の双子の姉妹は、読み上げを前に祖先が亡くなった現場へ。そして、沖縄戦を経験した親族に当時の様子を聞く。

80年前、多くの一般人を巻き込み、激しい地上戦が行われた沖縄。当時のことを学んだ姉妹が、戦没者の名前を読み上げる。

二度と同じことを起こさないためにはどうすればいいのか。考えるきっかけに、『バンキシャ!』は、次の世代へ「戦争の記憶」を継承していくためのイベント、そして、それに参加した中学生の双子の姉妹を密着して伝える。

23日週の『Oha!4 NEWS LIVE』は、“食”から戦争を振り返る。沖縄料理店ではもちろん、コンビニでも広く目にするようになった「ポークたまごおにぎり」。ソーキそばやタコライスなどと並び"沖縄のソウルフード"のひとつとして知られている。

今や沖縄県内に限らず全国的に広まったおにぎりだが、そのルーツは戦後の沖縄にさかのぼる。「ポークの缶詰」と「アメリカ軍」の関係。そして、日米の食文化を融合して誕生した沖縄フード、その歴史をだどっていく。

【編集部MEMO】
同プロジェクトの“メッセンジャー”に就任した櫻井翔は「1945年から80年が経とうとしています。あの時代を、白黒写真の遠い過去の話にしないように。いまと同じような“日常”の中にいたと感じられるように。そして、いまの自分たちは、その地続きにあるのだと感じられるように。記憶に深く刻まれるような記録を積み重ねて参ります」と語っている。

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