第83期名人戦は現在、第3局まで進行しており、藤井名人が三連勝をおさめ防衛にあと1勝と迫っています。どの対局でも名勝負が繰り広げられていますが、まず注目すべきは、藤井名人が一線級のプロ棋士ですら言葉を失うほどの詰みを披露した第一局かもしれません。
本稿では、2025年5月2日に発売された『将棋世界2025年6月号』(発行=日本将棋連盟、販売=マイナビ出版)より、永瀬拓矢九段にインタビューした第83期名人戦七番勝負第1局「棋士が惚れこむ将棋」の序文より、抜粋してお送りします。
第83期名人戦七番勝負で藤井聡太名人に挑戦するのは、不屈の棋士・永瀬拓矢九段。名人戦開幕2日前、永瀬九段は記者とともに、都内の中華料理屋にいました。そこで語られた心境とは。
(以下、抜粋)
麻婆豆腐を載せた炒飯を永瀬はうまそうに頬張っていた。
名人戦開幕の2日前。永瀬は王位リーグで羽生善治九段と対戦し、勝利した。私は観戦記を担当しており、話を聞かせてほしいと永瀬に感想戦後に依頼した。すると「お腹が空いたので、食事をしながらでもいいですか?」と言われ、東京・将棋会館近くの中華料理屋に入った。
食事を注文し、まずは指したばかりの王位戦の話をたっぷりと聞かせてもらう。永瀬は温かいウーロン茶を口に運ぶと「熱っ」とうめき、「猫舌なのを忘れてました」と苦笑してから、冷たいウーロン茶も追加した。話題は多岐にわたったが、3月末に行われた詰将棋解答選手権の話になると、
「若手時代は出場しましたが、いまは出ないですねえ。問題すら見てないです。藤井さん(聡太名人)から『問題を見たほうがいいですよ』と勧められたら、すぐに解きます」と永瀬は笑顔を見せた。
点心と麻婆豆腐が届くと、「炒飯が早くほしいです」と笑い、ようやくいい具合に冷めてきたウーロン茶を口にした。話題は自然に名人戦に移っていた。
「名人戦に自分が出られるという意識はあまりなかったですねえ」としみじみ言う。3月に敗れた王将戦七番勝負からの連戦で、「強くなっている実感があることが大きい」と王将戦では前向きな姿勢を見せていたが、それは変わらなかった。
「いまは勝負ではなく、実力を伸ばすことに重点を置いています」と語る。待望の炒飯が届くとすぐに麻婆豆腐を載せた。
「藤井名人と王将戦のあとに練習将棋を指しましたか?」
「指してないです。さすがに名人戦の開幕が近いので」
「藤井名人の顔を見るのは久しぶりでしょう?」
「1ヵ月はたっていないですよね。お顔は変わっていないと思いますよ」
そう言って永瀬はハハハと笑った。麻婆炒飯をたっぷりと詰め込みながら、永瀬は快活にしゃべっていた。気負った様子はない。
(中略)
(名人戦第1局終局後)感想戦を終えて日付が変わろうとした頃に椿山荘のロビーで永瀬と落ち合った。
本局を総括してもらうと、「藤井さんがうまかったですね」と語る。何度か「うまかったです」と繰り返したので、どういうことか尋ねた。
「私は対藤井戦の序盤では薄い形、自分の認識が浅い形を指されることが多かったんです。たまたまだと思っていたんですけど、そうじゃないことがこの将棋でよくわかりました。これはもう準備の差としか言いようがない」 永瀬だって序盤をすさまじく研究しているのではないのか。
「いまは実力を伸ばす土台を作っている最中なので、ソフトでゴリゴリに研究していません。昔はヤマを張って深く研究していたんですけどね。相手が指してきそうな変化を深く研究するんじゃなくて、知識を全体的に平べったくしている感じです。
結局、戦術面を重視しても強くなれないんです。ソフトに頼ってしまうと、自分の頭で考えることを邪魔してしまう。できるだけ自分の頭で考えて、ソフトで肉付けをする感じです。いまは作戦で相手を倒そうとせずに、実力をつけることに主眼を置いています」
(第83期名人戦七番勝負第1局【藤井聡太名人vs 永瀬拓矢九段】「棋士が惚れこむ将棋」 記/大川慎太郎)
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