生育環境に恵まれなくても、学歴がなくても、「人生は行動力とそれに伴う経験で決まる」と語るのが、中卒16歳で社会に出て、職を転々としながらもコンクリートポンプ車業界において都内ナンバーワンに登り詰め、年商15億円のグループ企業をつくり上げた小澤総業株式会社代表取締役会長の小澤辰矢氏だ。目標を達成するためには、なぜ行動と経験が重要なのか。その飽くなきエネルギーの源はなにか、どうすれば「天職」に出会えるのか――。澤円氏が話を聞く。
仕事の最大の目的は「金」だった
【澤円】
最初に、小澤さんの原点でもある、幼少期から10代の頃にかけての話をお聞かせください。著書『テッペン、獲ろうか。 中卒40歳・年商14億円経営者の失敗から学んだ「成り上がり論」』(KADOKAWA)に詳しいですが、かなり大変な幼少期を過ごされていたのですね。当時はどのような思いで暮らしていましたか?
【小澤辰矢】
世の中には自分より大変な人はたくさんいるはずですが、わたしもまあまあ大変だったとは思います。生まれてすぐに両親がわたしを置いていなくなり、祖父母の元で育てられました。最初の家族の記憶は、戻ってきた母と新しい父、その子どもの妹と弟とで暮らした小学校1年の頃です。とても貧しい家だったと思いますし、新しい父にはずっと虐待されました。
その後、親が再び離婚して母がわたしだけを引き取ってふたり暮らしになり、アパートを転々とします。そして、中学生のとき、母が3度目の結婚で上京するのですが、わたしはそこについて行かず、再び祖父母と暮らすことを決断しました。このときはじめて、いい悪いはさておき、「人生というのは自分の決断や行動次第で大きく変わっていくものだな」と感じましたよね。その後、いったん高校へ進学したものの、結局は中退して社会へ出ることにしたのです。
【澤円】
中卒で働くとなると、仕事も限られてきますし、苦労もたくさんあったのではないですか?
【小澤】
いや、それが当時は大変だとは考えていなくて、「土木作業でもなんでも仕事はあるから大丈夫だろう」という感覚でした。むしろ土木作業などは初任給がいいので、早く社会へ出てお金をたくさん稼ぎたいと思っていたほどです(笑)。
社会に出てからは、本当にいろいろな仕事をしました。最初に働いたのはガソリンスタンドでのアルバイトですが、当初はなかなか続かず、複数のガソリンスタンドを渡り歩きました。ただ、仕事のやりがいは感じていて、その後はじめて「歩合制」に出会った瞬間に、「売っただけ金がもらえるんだ!」と、仕事への向き合い方が一気に変わったことを覚えています。お客にガソリンを入れてもらうだけでなく、エンジンオイルや冷却水、ラジエーター、ATF、タイヤ、水抜き剤の交換など、油外収益(ガソリン販売以外の収益)をいかにあげるかに心血を注ぎました。
このとき、働くことを通じて、人生ではじめて人から評価を受けた気がします。お客にサービスを売るのが得意だったし、仕事に面白味を見出すようになっていきました。
【澤円】
働くことに面白味を感じつつも、根っこの部分では「いかにお金を稼ぐか」という点に仕事のやりがいを見出していた?
【小澤辰矢】
幼少の頃から生活(お金)に苦労していたので、仕事の最大の目的はどうしてもお金になりますよね。その後、18歳になると仕事の選択肢が一気に増えて、ホスト、解体工、鉄筋工、金融業など職を転々としました。あまりに飽きっぽい性格なのでどれも長続きはしなかったのですが、お金を稼ぐために自分なりに工夫して頑張っていましたよ。
ホストに関しては先輩たちが優しくて給料もよかったのですが、お酒が弱いのが致命的でした……(苦笑)。毎日吐きながら、それを隠して接客しているとどんどん疲弊していったのです。金融業も実入りがよく、お金を儲ける仕組みを学びましたが、グレーゾーンの商売に罪の意識を感じて1年も経たずにその場を去りました。
解体工や鉄筋工のときは、怖い先輩がいて現場の環境も劣悪でしたが、そこに“小さな裁量”がありました。この経験から、「やらされる仕事では能力は向上しない」と学びましたね。少しでもいいから自分で考え、工夫し、目の前の仕事をこなしていくこと。その経験がいちばん人を育てていくと考えています。
【澤円】
どんな仕事でも、成果を挙げるには自分なりの工夫が必要ですよね。小澤さんは、どのようにして工夫を思いつくのですか?
【小澤】
少し抽象的な説明になりますが、仮にゴールが10だとしたら、わたしは1から段階を踏まず、一気に10を目指すからだと思います。飽きっぽい性格なので、段階をすっ飛ばしてしまうのですが、そうなると自分でなんとか工夫を編み出すしかなくなるわけです。
ひとつのことを続けて経験を積めば人生は拓ける
【澤円】
そうして19歳のときに、小澤さんが「天職」だと語る「コンクリート打設」に出会われます。これはどういった仕事でしょうか?
【小澤辰矢】
コンクリートという物質は、人々の暮らし、インフラを支えているといってもいいほどいたるところに存在しますよね。そのコンクリートは、元々は固まった状態ではなく、生コンクリート(以下、生コン)という柔らかい状態のものです。この生コンを、むかしは一輪車やクレーンなどの人力で流し込んでいました。
しかし現在は、コンクリートポンプという圧力をかける装置で流し込みます。各現場にコンクリートポンプを運び入れて、生コンを流し込むその作業がコンクリート打設です。
【澤円】
でも、なぜこれが小澤さんの天職になったのでしょうね?
【小澤辰矢】
小さな理由としては、むかしから大きなトラックなどを運転したり、機械類がかっこよくて好きだったりしたことがあるでしょう。でも、大きな理由としては、コンクリート打設は最後の仕上げ工事ですから、現場で主役になれるんですよ。
生コンはすぐに固まるので、まさに時間との戦いです。また、失敗してもやり直しはできず、すべて壊すしかなくなるため、責任が大きい仕事でもある。そこで、そうならないためには現場の人たちに指示を出し、的確に動いてもらう必要があります。もちろん各場所に現場監督はいるのですが、この工程だけはすべて自分が指揮できました。それが快感でもあったのです。
また、わたしは短気な性格なので、素早く判断し動かなければならない仕事にも合っていたと思いますね(笑)。
【澤円】
それは面白いですね。一般的に「短気は損気」などといわれますが、まさに小澤さんの性格や思考パターンが存分に活かされる仕事だったわけですね。
【小澤辰矢】
そうなんです。性格や思考パターンが、仕事とマッチするのは重要なことだと思います。また、それまで仕事が長く続いたことがなかったので、「この仕事で真面目に経験を積めば、少しずつでも道が拓けていくのではないか」という期待、予感もありましたよね。
それまでのわたしは、職種を選ばずお金だけを目的に働いていました。でも、それは短絡的な考え方であって、ひとつのことを続けていれば、いずれその道のプロになることができます。経験さえ積み上げていくことができれば、やがてそれを「天職にしていく」こともできると実体験からも学びました。
画期的発明品「Dotcon(ドットコン)」とはなにか
【澤円】
小澤さんは、実は発明家としての一面も持ち合わせておられます。特に、建設業界で画期的発明といわれる「Dotcon」(以下、ドットコン)で、2年連続グッドデザイン賞(Good Design Award)を受賞されました。これはどのような商品ですか?
【小澤辰矢】
簡単にいうと、穴のあいた「透水系コンクリート」を打設するための専用パネルです。1枚のなかに筒状の部品が18個組み合わさった、約90センチメートル四方のパネルで、約1年半をかけて開発したものです。
普段わたしたちが歩くアスファルトやコンクリートは、水を通しません。そのため、雨などが降ると地表に浸透せず、すべて下水に流れていきます。雨は下水に流していいと思われる人もいるかもしれませんが、基本的に、雨は下水に流してはいけないのです。なぜなら、下水がマンホールから溢れ、川が増水して氾濫するなどの水害につながるからです。
ただ、いまは地表の多くがアスファルトやコンクリートで整備されているため、近年の水害の一因にもなっています。そこで、「物理的に穴のあいたコンクリートをつくればいいのではないか?」という単純な発想が、ドットコン開発の原点となりました。
【澤円】
発想としては単純ですし、造りもシンプルです。専門の技術者や研究者、業界の人なら思いつきそうなものですが、なぜこれまで実現されなかったのでしょう?
【小澤辰矢】
おそらく懸念点が多かったからではないでしょうか。例えば、穴がたくさんあいていると、「強度が落ちるのではないか」「つまずいて転ぶのではないか」といったような懸念です。実用化しても、被害が出れば責任問題に発展しかねないため、みんな二の足を踏んでいた面があると見ています。
でも、わたしはコンクリート打設で22年の経験を積みましたから、職人としての勘と経験がありました。それをもとにコンクリートの厚みや寸法などを試行錯誤し、実用化できると判断したのです。
もちろん、通常のコンクリートと比べれば強度は弱くなります。ですが、使用用途によってはなにも問題はないことが、大学の研究機関に協力してもらったデータとしても証明することができました。
人生を変えるのはバカ正直な「行動力」
【澤円】
話を伺っていると、小澤さんの人生を変えたキーワードは「行動力」だと感じます。誰もが思いつくことでも、実際に行動するのとしないのとでは雲泥の差がありますよね。
【小澤辰矢】
おっしゃる通りです。その「行動力」にも関わるのですが、わたしは漫画『サラリーマン金太郎』が大好きなんですよ。建設業界の話で勉強になりますし、なんといっても金ちゃんの凄まじいまでの行動力から勉強できることがたくさんあります。あそこまでの度胸はないですが、金ちゃんのように思ったことを自由に発言し、熱い思いで行動したいといつも心掛けてきました。
【澤円】
わたしも本宮ひろ志さんは大好きですが、金ちゃんの魅力は、なんといってもバカ正直であることですよね。また、他人に対してなにかしたいという利他の気持ちを持っていて、正しいと信じることに迷いなく行動する姿が気持ちいいです。
【小澤辰矢】
本当にそうで、わたしもやっぱりバカ正直かもしれない……(苦笑)。金ちゃんは、自分自身になにかしたいということが、まったくないんですよ。わたし自身も、自分自身のためには、別にもうなにもいらないなと思っています。
【澤円】
それは、社会に対して貢献することのほうが、お金を稼ぐことよりも「やりたい」と感じられるようになってきたということですか?
【小澤辰矢】
「やりたい」と思って、それをやり切ったときの達成感は何事にも変えようがありません。だから、何事も達成感を得たいとは思いますが、実はもう、なにかに取り組んでいるだけで気持ちがいいんです。
また、おっしゃるように、子どもたちの未来のために頑張るという視点が、少しずつ出てきました。自分の過去を思い返すと、この社会を子どもたちにとって少しでもいい場所に変えていきたいと考えるようになったからです。
日本一の児童養護施設をつくるという夢
【澤円】
先の話に関連しますが、いまの小澤さんの夢は、日本一の児童養護施設をつくることだそうですね。最後にこれについてお聞かせください。
【小澤辰矢】
まず、自分の子どもに関していうと、わたしは一度離婚しています。つまり、自分がそうした環境で育ったのがつらかったにも関わらず、自分の子どもに同じ思いをさせてしまったわけです。そこで、自分の子どもの未来にはきちんと責任を持たなければならないと考えていたところ、「待てよ」と。「それは自分の子どもだけではないだろう」と思うようになった。
大人が死んだ後も、子どもたちは生きていかなければなりません。でも、生育環境に恵まれない子どもたちは、スタートから大きくつまずいてしまいます。そのため、子どものうちから環境を変えていくにはどうすればいいかを考え、数ある選択肢のなかで、児童養護施設をつくるという夢に行き着きました。
わたしは昭和の田舎育ちなので、近所になにかと面倒を見てくれた人もいたんです。「あの子はさみしい子どもだな」と、周囲の大人は感じていたのでしょう。でも、核家族化したいまの時代にはそんな機会も珍しく、貧困にあっても虐待をされていても気づかれない現状があります。
だから、もう親が育てられないなら、あるいは親から離れたいと思うなら、駆け込める場所を社会につくりたい。そうした場所が、いまの社会にはもっとたくさん必要だと考えています。
【澤円】
災害支援なども行われていますし、小澤さんは人のことを放っとけない性格なんですね。
【小澤辰矢】
本当は、児童養護施設なんかない社会がいいに決まっています。そんな社会に少しでも近づけるように、微力ながら、稼いだ「お金」を人に使っていこうと考えています。
構成=岩川悟(合同会社スリップストリーム) 文=辻本圭介
小澤辰矢(おざわ・たつや)
1982年生まれ、静岡県出身。小澤総業株式会社代表取締役会長。高校中退後、16歳で上京。ガソリンスタンド店員、ホスト、金融業、解体工、鉄筋工など職を転々とし、19歳のときに「コンクリート打設」という天職に出会う。24歳のときに、1600万円以上するコンクリートポンプ車を頭金400万円で1台購入して事業を立ち上げると、開業当初から仕事が殺到。現在は、年商15億円のグループ企業の会長になり、コンクリートポンプ車業界において都内ナンバーワンにまで成長させた。著書に『テッペン、獲ろうか。 中卒40歳・年商14億円経営者の失敗から学んだ「成り上がり論」』(KADOKAWA)がある。
澤円(さわ・まどか)
1969年生まれ、千葉県出身。株式会社圓窓代表取締役。立教大学経済学部卒業後、生命保険会社のIT子会社を経て、1997年にマイクロソフト(現・日本マイクロソフト)に入社。情報コンサルタント、プリセールスSE、競合対策専門営業チームマネージャー、クラウドプラットフォーム営業本部長などを歴任し、2011年にマイクロソフトテクノロジーセンター長に就任。業務執行役員を経て、2020年に退社。2006年には、世界中のマイクロソフト社員のなかで卓越した社員にのみビル・ゲイツ氏が授与する「Chairman's Award」を受賞した。現在は、自身の法人の代表を務めながら、武蔵野大学専任教員の他にも、スタートアップ企業の顧問やNPOのメンター、またはセミナー・講演活動を行うなど幅広く活躍中。2020年3月より、日立製作所の「Lumada Innovation Evangelist」としての活動も開始。主な著書に『「やめる」という選択』(日経BP)、『「疑う」からはじめる。』(アスコム)、『個人力』(プレジデント社)、『メタ思考 「頭のいい人」の思考法を身につける』(大和書房)、『うまく話さなくていい ビジネス会話のトリセツ』(プレジデント社)、『得意なことの見つけ方 自分探しにとらわれず、すぐに行動できる技術』(KADOKAWA)などがある。
※この記事はマイナビ健康経営が制作するYouTube番組「Bring.」で配信された動画の内容を抜粋し、再編集したものです。