鉄道ファン待望の映像作品、Netflix映画『新幹線大爆破』の配信が4月23日16時からスタートした。全世界同時公開とのことで、海外からの評価も興味深い。筆者も鉄道ファンであり、前作のファンであり、今作を待望していた。
鑑賞後、筆者の感想は「樋口監督やりやがったな」(笑)。もちろん褒め言葉である。そして「JR東日本、よくぞここまで協力してくれた」。監督、俳優、スタッフを称え、本編の面白さも満足度が高い。JR東日本の度量の大きさにも感動した。
1975年版を先に見ることを強くおすすめしたい
Netflix映画『新幹線大爆破』(以下、2025年版)は、1975年に東映が配給した映画『新幹線大爆破』(以下、1975年版)の「リブート(再起動)」作品である。新たな舞台、新たなシナリオ、新たなキャストによって再制作された。リメイク(作りなおし)でも、オマージュ(影響を受けた新作)でもない。
しかし、これから2025年版を見る人に心得ていただきたいところは、2025年版は1975年版の「続編」であることだ。東映が1975年版の映像を提供しているから、「東映公認の続編」と言ってもいい。正面から「続編」と言えば新鮮味がなくなってしまうから、「リブート」という言葉を使ったのではないかと邪推する。
したがって、1975年版を見ていない人は、まず1975年版を見てほしい。2025年版をすぐに見たいと思っても、樋口監督作品のファン、さらに主役の草なぎ剛さんをはじめ、のんさんら出演する役者のファンも、いったん落ち着いて、1975年版を先に見ることを強くおすすめしたい。幸いにも、Netflixに1975年版があり、会員は追加料金なしで見られる。
1975年版は東海道新幹線が舞台だった。2025年版は東北新幹線が舞台となっている。草なぎ剛さんが車掌を演じ、のんさんが運転士を演じる「はやぶさ60号」が新青森駅を発車した直後、JR東日本本社のご意見承りセンターに電話が入る。機械音声で「はやぶさ60号に爆弾を仕掛けた。時速100キロ以下で爆発する。冗談では無い証拠に貨物列車に仕掛けた」と言い、実際その通りにコンテナ貨車が爆発する。この「貨物列車を爆発させて信用させる」ところが1975年版をなぞっている。
2025年版だけ見ると、「はやぶさ60号が新青森駅で停車するときに時速100キロ以下になっているから、ここで爆発していないほうがおかしい」と思うだろう。しかし、1975年版を見れば、この爆弾は「時速80キロ以上になると第1スイッチが入り、再び時速80キロ以下になると第2スイッチが作動して爆発する」という仕掛けになっていることがわかる。2025年版はどのようなきっかけで第1スイッチが入るかという描写がない。1975年版と同じだと思われるが、遠隔スイッチなど他の方法かもしれない。
また、1975年版は車軸から速度信号を爆弾に伝達する配線が必要だった。2025年版の現代はGPSによって速度情報を得られるから、配線に関する知識がなくても爆弾を作れるかもしれない。こうした知識も、2025年版の犯人像を納得するために必要な知識となる。
1975年版を先に見たほうがいい理由は、こうしたモチーフの継承だけでなく、2025年版の世界が1975年版の事件後の世界を描いているからでもある。2025年版で事件が発覚したとき、新幹線総合指令所で「109号事案じゃないか」というセリフがある。この「109号事案」こそ、1975年版の舞台となった「ひかり109号」を示している。このセリフを聞いたとき、1975年版を見た観客は「物語がつながっている!」喜ぶはず。それは、樋口監督が「10代のときに見た1975年版の感動を観客と共有したい」という強烈なメッセージになっている。
その上で見ると、2025年版がどれほど1975年版に敬意を払っているかわかるだろう。2025年版の中で、1975年版の名場面がいくつも登場する。予告編にあるような上り線走行切替えや、併走する列車からの機材受渡し、政府の停止命令に憤る運転司令長などだ。しかも1975年版のシーンがいくつか挿入されている。
そして2025年版のストーリーも、元をたどれば「1975年版の高倉健(が演じた犯人)が悪い」という展開になっている。犯人の動機に「109号事案」が影響している。したがって、1975年版を先に見ていれば、2025年版をより深く楽しめる。Netflixを視聴するには、最低料金の「広告付きスタンダード」で月額890円が必要になる。それでも、1975年版と2025年版を見るために1カ月だけでも入会する価値がある。
JR東日本の懐の大きさがすごい
1975年版は当時の国鉄から反発され、撮影について一切協力を得られなかった。だから撮影はゲリラ的に無許可で行われ、走行場面は模型を使っていた。模型だとはっきりわかるから違和感があるものの、物語に引き込まれて気にならなくなる。国鉄は「国の威信をかけた新幹線を爆発させる」というイメージに反発したようだ。しかし、完成してみると、テロに対して鉄道職員が活躍し、警察や政府と乗客を守る物語だった。
だからこそ、現代に鉄道会社の協力の下でリメイクしてほしいと思った。そう感じていた鉄道ファン、映画ファンも多かっただろう。その中に映画監督の樋口真嗣氏がいて、JR東日本が理解を示した。幸運なことだと思う。
もしかしたら、JR東海も協力したかったかもしれない。しかし、「のぞみ12本ダイヤ」の東海道新幹線で映画撮影に対応することが難しかったのかもしれない。2022年に公開されたハリウッド映画『ブレット・トレイン』の舞台は東海道新幹線だったが、セットとCGを使った架空の列車に仕立てられていた。ちなみに、原作となった伊坂幸太郎氏の小説『マリア・ビートル』は東北新幹線が舞台で、『新幹線大爆破』とは逆のパターンになった。
筆者は『新幹線大爆破』のリブートに喜んだものの、樋口真嗣監督と聞いたときに嫌な予感があった。樋口監督といえば、『シン・ゴジラ』で新幹線や通勤電車に爆弾を搭載し、ゴジラにぶつけた監督である。彼に新幹線を撮らせたら無事では済まないだろうと思った。
1975年版の映画予告編で、東海道新幹線の0系が爆発する。2025年版も、予告編でE5系同士が接触する場面があり、キーアートでもE5系の後部車両が爆発炎上している。これは登場人物が空想している描写か、それとも……。それは本編を見て確認していただこう。
それにしても、JR東日本の全面協力ぶりがすごい。実際の駅や車両を使った撮影を許可し、おそらくスタジオセットやVFXを使った場面に実車の資料を提供したことだろう。4月21日にYouTubeとX(Twitter)で配信された「新幹線大爆破 発車記念イベント」によると、撮影用の列車が7往復したそうだ。6時半に上野駅を出発し、18時半に上野駅へ戻る。撮影中にトンネルに入ると場面がつながらないため撮り直しという、大変な手間がかかっている。
鉄道をモチーフにした映画やドラマの撮影は、現実のダイヤとの戦いになる。筆者があるドラマのプロデューサーにインタビューしたとき、主人公は「乗り鉄」の設定だったが、後半は乗らずに走行場面だけ撮ったと苦労を語っていた。2025年版も、監督や役者だけでなく、制作スタッフとJR東日本の間のやり取りに相当な苦労があったことは想像に難くない。
新幹線の走行シーンは、VFX制作で定評のある白組が手がけている。1975年版の模型と同様、VFXとわかっていても物語に引き込まれてしまう。4月24日に開催されたウォッチパーティで、爆弾のデザインが庵野秀明氏であると樋口監督が明かした。エンドロールを見ると、庵野氏が代表を務めるカラーも制作に参加している。
それにしても、「こんな場面をよくJR東日本が許可したな」という映像が続く。おそらく「車内で死者を出さない」という約束だけがあり、それ以外はすべて許可されたのではないか。
1975年版は絶望で終わり、2025年版は希望で終わる
1975年版と2025年版は、物語のテーマが少し異なっている。1975年版の主人公は高倉健さん演じる犯人だった。高倉健さんは当時、任侠映画の大スターとして人気があった。1975年版の観客は、彼が演じる犯人の境遇に同情し、感情移入していった。だからラストシーンも悲しく感じる終わり方だった。この場面は2025年版にもインサートされる。
2025年版の主人公は草なぎ剛さん演じる車掌である。大変な状況の中で、冷静に職務を全うしつつ、最後に重要な判断を迫られる。斎藤工さんが演じた総括指令長も、最後まであきらめない。一縷の希望をつないで、衝撃的なラストへ「はやぶさ60号」は突き進む。
一方、運転士が女性だと知ったとき、居合わせた乗客の誰もが驚き、彼女の苛酷な経験と判断に敬意を持つ。運転士を女性にした理由は、「現代は女性が活躍している」というリアリティだけでなく、犯人と対峙する場面のためにあったのではないか。そして犯人は生きる意味を問い続けることになるだろう。そこにも希望はあると信じたい。
1975年版と2025年版の共通点は、困難に立ち向かう鉄道員たちのかっこよさだと思う。とくに2025年版は草なぎさん演じる車掌に共感する。彼はいつも冷静で、迷うことがあっても乗客の安全を守り、仕事に誇りを持っている。その姿勢は本物の鉄道員だ。のんさん演じる運転士も冷静で、ときに冗談を発して心を落ち着かせている。斎藤工さんが演じた総括指令長も冷静で、すぐに気持ちを切り替え、各列車へ的確に指示を与えていくところがかっこいい。
鉄道の知識がある人には、いくつか疑問符が付く場面もあると思う。たとえば貫通ブレーキとかデッドマン装置とか……。筆者はそんなとき、「自分に鉄道の知識がなければ純粋に楽しめたのに」と歯がゆく思う。映画のエンドクレジットも、「実在するものに着想を得ていますが、現実のものとは異なります」とあった。それはつまり、この映画に着想した模倣犯が現れたとき、映画と同じ方法では解決できないということでもある。そこが少し心配だが、この作品は鉄道の知識をなるべく忘れたほうが楽しめる。画面の中で活躍する人々に注目しよう。
そんな感想を持ちつつ、やはりこれだけは強調しておきたい。
「樋口監督、派手にやってくれましたね」
そこは予想通りだった。