昨年の『日本レコード大賞』で新人賞に輝いた演歌の新星・梅谷心愛。目標にしていたというこの受賞に到達するまでには、福岡から一緒に上京して応援くれた家族の支えや、コロナ禍で活動ができない「人生で一番キツかった」という経験もあった。
そんな梅谷にインタビューし、歌手になるまでの軌跡やファンの存在、4月9日にリリースされる新曲「秘密の花」への向き合い方、さらにはドラマ『カルテット』愛、今後の目標にいたるまで、たっぷりと話を聞いた――。
中学の友達の前で「お祭りマンボ」を歌ったら…
――少し日が経ってしまいましたが、昨年末の日本レコード大賞新人賞おめでとうございます。
ありがとうございます。デビュー前から家族もそうですし、いつも一緒にいてくださる皆さんと一緒に目指してきた賞なんです。なので、決まったと言われても実感がわかなくて、レコ大の舞台に向けての練習を始めてから本番をイメージして思い描いていたのですが、実際には生放送ですごく緊張しまして、本当に一瞬の出来事でした。出番が終わって後でLINEを見たら「手が震えてた」「今日は緊張したの?」とメッセージが来ていたくらいで(笑)
でも、たくさんの方が見守ってくださって、ものすごい照明を受けながらデビュー曲の「磐越西線ひとり」を歌うと、「ここまで頑張ってきてよかった」「一緒に頑張ってきてくださった皆さんに、本当に“ありがとうございます”の気持ちを伝えたい」という思いにもなり、ずっと夢の中にいるような不思議な気持ちでした。
――歌との出会いは美空ひばりさんだということですが、そのきっかけはひいおばあさんなんですよね。
記憶はないんですが、私が3歳くらいの時から、ひいおばあちゃんにカラオケに連れて行ってもらっていたみたいで、5歳くらいの時にはひばりさんの曲を口ずさみ始めていました(笑)。小学生の時もずっとひばりさんの歌や昭和歌謡を聴いていて。その頃は一青窈さんの「ハナミズキ」とかが流行ってる頃だったので、「みんなこういうのを聴いてるんだ!」「J-POPってジャンルがあるんだ!」と驚いたのを覚えています。
――そこで美空ひばりさんからJ-POPに移るということにはならなかったんですね。
そうですね。やっぱりひばりさんを愛してしまっていたので、なびかなかったですね。
――友達とカラオケに行く時もひばりさんや昭和歌謡を歌われていたのですか?
はい。中学生になってカラオケに行くようになって「お祭りマンボ」を歌ったのですが、みんな乗り切れない感じの反応で。一緒に盛り上がろうとしてくれるのが申し訳なくなっちゃって、ちょっとずつJ-POPを勉強して、中学3年になってまた一緒に行くようになりました。
――そうした中で、7歳でヤマハ主催ミュージックレボリューション奨励賞を受賞したのを皮切りに、各地のカラオケ大会で次々に優勝されていきました。
地元のステージとかお祭りとか、大分とか佐賀とか九州のいろんなところで歌わせていただいて、それがすごく楽しかったんです。そういう活動を支えてくれた家族やおばあちゃんのおかげで、やっぱり歌が好きだなと思って歌手になりたいと思うようになりました。
『Momm!!』から『歌唱王』『カラオケ☆バトル』『博士ちゃん』へ
――そしてテレビ番組にも出られるようになりましたが、最初に出演されたのは何ですか?
9歳の時(2017年3月)に出させてもらった『Momm!!』(TBS)という番組です。歌唱中に会場の皆さんが「上手くないな」と思ったらボタンを押して、バーが下がっていて強制終了という今思うとめちゃくちゃ怖いルールなんです(笑)。周りは大人の皆さんなのでなおさらドキドキしちゃって、皆さんの優しさで最後まで歌えたんですけど、そこで「負けない負けない!」っていう気持ちで歌って心も鍛えられたなと思います。
――いろんなステージや番組で歌を披露されて、喜びや快感を覚えていったのでしょうか?
そうですね。9歳とかの頃は、正直歌はうまくなかったんです。今聴くと「うわーっ!」ってなっちゃうんですけど、私の歌を聴いてすごく笑顔になってくれたり、涙を流してくれる方もいて、「みんなが喜んでくれることがこんなにうれしいんだ!」と思って、歌手になりたい思いが強くなったと思います。
―― 転機の一つは、ファイナリスト3位になった『歌唱王』(日本テレビ、18年1月)ですね。
会場がめちゃくちゃ広くて、もうガクガクに震えながら歌ったんですけど、それがたくさんの方に知っていただくきっかけになりました。そこから頂くお仕事がすごく増えたんです。
――その年に『THE カラオケ☆バトル』(テレビ東京)に初出演されました。
毎回たくさんの方が見ている番組なので反響も大きかったのですが、10回呼んでいただいても1回も優勝できなかったのが悔しいです。
――さらに、『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』(テレビ朝日)に「美空ひばり博士」として出演するようになりましたね。
この番組で昭和好きの子とコラボさせていただく機会もあって、好きなものを同じ熱量で話せる友達ができたので、本当に楽しいです。しかも、デビューのきっかけの一つでもありまして。『博士ちゃん』を見た方が、声をかけてくださった歌の発表会に、今の事務所の先輩の丘みどりさんのマネージャーさんで、現在のチーフマネージャーさんが「東京で俺と頑張らないか?」と言ってくださったんです。