
フィアット508と呼ばれるモデルは、イタリア国内で自動車の大量生産が始まった当時に作られた、最も成功したモデルの1台である。開発には、当時の名だたるエンジニアが参画。基本プロジェクトはトランクィロ・ゼルビ、アントニオ・フェッシァ、バルトロメオ・ネッビア、そして後にフィアットの名エンジニアとして知られるようになる、ダンテ・ジャコーザなどによって進められた。コンセプトは「低コストでありながら高性能」というもので、1932年にミラノで開催された、サローネ・デル・オートモビレで発表された。
【画像】最も成功したモデルのひとつと言われるフィアット508(写真5点)
この時発表された量産モデルはコンパクトセダンだけだったが、既にこの時、ギアのスタンドには後のスポルト・スパイダーとなるコッパドーロのプロトタイプが展示されていた。デザインはマリオ・レヴェッリ・ディ・ボーモント。世界初のフリーランス・カーデザイナーと考えられている人物である。
ベースエンジンは排気量995cc直4、20psのサイドバルブであったが、コッパドーロには36psのオーバーヘッドバルブユニットが搭載されていた。そもそもコッパドーロを名乗ったのは1934年からで、この年のジロ・ディタリア(正式にはGiro Automobilistico dItalia - Coppa dOro del Littorio)において、1100cc以下のクラスの上位4位までを独占したことから、このレースのCoppa dOroをとって名乗るようになった。というわけで、この車の正式名称としては、フィアット508Sバリラ・スポルトが正しい。因みにサイドバルブのエンジンは、コードネーム108S。オーバーヘッドバルブとなると108CSとなる。
バリラはイタリアのみならず、ヨーロッパ各国の、ポーランド、ドイツ、フランス、チェコスロバキアなどでも生産されていて、このうちドイツでは当時のNSUが、そしてフランスではシムカで生産されていた。
デザイナーのマリオ・レヴェッリは、1907年にローマで生まれた。彼のルーツは古い貴族の家系で父親は職業軍人、その影響で陸軍士官学校に入ったものの、1925年には自動車のデザインに目覚め、エレガントでありながら機能的な自動車デザインを考案し、すぐにトリノの自動車業界で名声を博したという。そして彼の才能に目を付けたのが、フィアットの社長ジョヴァンニ・アニェッリであった。
1929年初頭、マリオ・レヴェッリはフィアットの「Carrozzerie Speciali」部門とコラボレートを始め、非公式に管理職という立場を得ていた。もっとも、実際のところはフィアット経営陣の「エステティックアドバイザー」といったところで、彼は間接的にフィアットの全車種のデザインに影響を与えていたという。同時に彼はカロッツェリア・ギアのジァチント・ギアとも繋がりを持ち、彼らのために508スポルト・スパイダーをデザインした。マリオはこの車に本格的なレーシングカー的外観を与えるため、シートをオフセットして配置し、当時のグランプリカーと同じように、フレームにぴったりと収まる狭いボディを実現したのである。
また、リアエンドのデザインにある特徴的な昆虫の尾と称される部分は、当時のイギリスの蜘蛛からインスピレーションを得たものだという。
マリオ・レヴェッリのデザイン、ダンテ・ジァコーザをはじめとした開発陣による革新性を持った508は、単に見た目と高性能だけではなく、実際のレースやラリーなどでも高成績を収め、1935年のルマン24時間では総合18位、クラス2位の成績を残すなど、その活躍は目覚ましいものがあり、誕生から90年近く経った現在も、フィアットのモータースポーツ・レガシーをけん引するモデルとして、コレクターに愛される存在である。
ロッソビアンコ博物館に所蔵されていたコッパドーロは、シャシーナンバー045025を持つモデルで、正式な年式は解らないものの、1934年であろうということになっている。ボナムスのオークションに出品され、その際にドイツの登録書類、履歴(前所有者の詳細を含む)、各種写真などが車両に付属していると記されていた。
文:中村孝仁 写真:T. Etoh