第1話では、譲二さんと一晩酒を酌み交わしただけで驚異的な意気投合っぷりを披露していた。まるで父が陽介ギフレさんに憑依して、譲二さんと思い出話に花を咲かせているように見えるほどだったが、今回の旅では、自分が“落合皎児の息子”であることを痛感する場面に、嫌というほど遭遇したという。
「あんまり認めたくないんですが、9割ぐらい親父と同じような感覚で生きていたんだなと思いました(笑)。決定的に似ているのは、人の目を気にして生きたくないということ。僕はこの旅をするまで、ちゃんと人の目を気にして、必要以上に人と親密になる必要もなく、自分の生活だけ守れていればいいんじゃないかと思っていたのですが、親父の書いた日記を読んでそれを理解するために、今まで身につけていた鎧を外して取り組まなきゃいけないと、僕の中の“こうちゃん”(父)の遺伝子がだんだんと発動していったんです」
初対面の父の友人・知人たちに、オープンマインドで接していく姿は、“短期間で父のことを知るためにはそれで臨むしかない”と、無意識に採っていたスタイルだった。
「クソ真面目に“僕、今大変なんです”という姿勢で行ったら、“かわいそうだね”と同情されて終わりだったと思うんです。でも僕は数か月でいろんなことを決断するために父のことを知らなければいけないから、そのためには初めから親友の関係のつもりでいこうと、遺伝子が“覚醒”したのだと思います」
「薄汚い魂の放出」と思っていた絵への感情変化
今回の旅で父のことを知るにつれて、その作品への印象も変化したという。特に、第3話で画家・落合皎児の原点であるスペインやスイスを訪問したことは、大きな出来事だったようだ。
「日本の知人に話を聞くと変人エピソードばかりで、もちろん“先生の絵はすごいんです”という人もいたのですが、向こうは芸術に対する感度が全然違うので、どう良くて、何が面白くて、どこが尊敬できるのかを全部言語化してくれるんです。中でも印象深いのは、オルランド・ブランコさん(ピカソやミロとも親交があった94歳の画廊オーナー)との会話ですね。親父がスペインで活動を続けていれば、とんでもない功績を残したといろんな人が言ってくれるのですが、オルランドさんは長野に移ってから描いた絵に対しても、“何も変わっていない“と言うんです。それを聞いて、僕がこれまで、親父のピークを過ぎた、ただの薄汚い魂の放出でしかないと思っていた絵にも、ちゃんと受け入れて認めるべきだという感情が生まれてきました」
自分の中に、徐々に父が降りてきているような感覚になっていったという陽介ギフレさん。「親父はアトリエに残していた絵に値段をつけていたのですが、僕が“これはあんまり良くないな”と思った作品はだいたい安くて、“これは良い”と思ったのはそれなりの値段がついていたんです」とのことだ。