フェアーグラウンド・アトラクションが語る日本での再出発、名作の誕生秘話、解散の真相

88年にデビュー・シングルにして全英ナンバー・ワン・ヒットとなった「パーフェクト」とその曲を含む名作デビュー・アルバム『ファースト・キッス』(The First Of A Million Kisses:全英第2位)で一躍大人気を得ながら、2作目のアルバムを完成させることなく、90年初頭に解散と、短命に終わった4人組、フェアーグラウンド・アトラクション(Fairground Attraction)。看板歌手のエディ・リーダーと全曲の作詞作曲を手がけるマーク・ネヴィンはそれぞれシンガー・ソングライターとして活躍してきたが、ドラムズのロイ・ドッズ、ギタロン(メキシコのアコースティック・ベース)のサイモン・エドワーズと共に、35年もの年月を経て、このほど遂に再結成を果たした。

そんな彼らが再出発の場所に選んだのが、この日本だった。89年の初来日時に名古屋のクラブ・クアトロのこけら落としに出演した縁もあり、エディは東名阪3都市にあるクラブ・クアトロを特別な場所と呼ぶが、6月末から7月にかけて、その名古屋クアトロの開店35周年を記念する公演も含めた3都市のクアトロと東京でのコンサートホール(ヒューリックホール東京)での2公演の計5公演が組まれた日本ツアーは全公演が即完売でどの会場もぎっしり満員の大盛況となった。開演早々2曲目にしてエディが感極まり、マークも涙を流した初日から、ロイが病気で欠席するも観客と一体になって、その穴を埋めたホール公演の1日目、そして、またもやエディが何度も感極まった最終日まで、毎晩会場全体が感動に包まれる公演が行われた。

このインタビューは初日を終えた翌日、エディ・リーダーとマーク・ネヴィンに話を聞いたもので、この前編ではバンドの結成に至るまでと名作『ファースト・キッス』、そして解散の真相について、後編では再結成のいきさつと既に録音を終え、9月に発売が予定されている再結成アルバムについて語ってもらった。なお、アルバムに先駆け、来日に合わせて、日本のみの4曲入り12インチEP『Beautiful Happening』が発売された。

2024年6月27日、渋谷クラブクアトロにて(Photo by Masanori Doi)

―昨夜のライブではまさに「美しいことが起こっていた」わけですね。

マーク:確かに起こったね。

エディ:素晴らしい時間だったわ。

―日本はずっとあなたたちには特別な場所ですよね?

マーク:ああ、そうだね。

エディ:地球の反対側にある異なった世界で、物の見方も違うはずなのにね。私たちは西洋の考え方の、欧州人と呼ばれる人間だけど、ここに来てみると、普通の人たちの暮らしは同じだし、音楽でつながりが生まれるの。何故かはわからないけど……たぶん日本も英国も島国だからかもしれない。物の見方が違っても、心を通わせられるわ。

マーク:僕らも魚(料理)が好きだしね。

エディ:そうよ、私たちもみんな魚が大好きだわ。

―ええ、日本と英国には国民性に共通する点が幾つもありますね。さて、今日は『ファースト・キッス』と9月発売のニュー・アルバムの両方について聞かせてください。まずは若き日のことから。このバンドの始まりは、基本的には歌手を探していたソングライターと良い曲を探していた歌手の出会いと言っていいんでしょうね。

マーク:ああ、そうだ。

―マークはエディのような歌声を探し続けていたんですか?

マーク:昔のことを思い出してもらわないといけないね。ソングライティングについて、今とは異なる文化があった。思い出すのは、とても若い頃に音楽が大好きになって、デヴィッド・ボウイとかを聴いていたんだけど、曲名の下に常に名前があるのに気づいた。これは誰なんだろうと不思議に思って、やがてそれが曲を書いた人だと知った。

エディ:括弧のなかの名前ね。

マーク:歌手とは別の人が曲を書いていると知って、僕にもできると思ったんだ。歌をうまく歌えなくても、その男になればいい。それでソングライターになったんだけど、当時想像していたのは、ロンドンに出て行って、曲を書いて音楽出版社に送ると、「エルヴィスが君の曲を録音したよ」と連絡がある。そんなふうにいくんだとね。でも、音楽ビジネスが変わってしまってね。それで、僕が交わした最初の出版契約が、コンパクト・レコードだった。

―トット・テイラーのコンパクト・オーガニゼーションですね。

マーク:1曲50ポンドで5曲買ってくれたんだけど、彼がダメ出しををした6曲目が「パーフェクト」だったんだよ。

―トットは「パーフェクト」を50ポンドで買い上げる機会を逃した!

マーク:50ポンドを節約したかったんだね。

エディ:話に割り込んでいいかしら。私もバック・シンガーの仕事をしていた頃に、デモを送ったわ。彼らはワルツが好きじゃなくって、契約を見送ったの。

マーク:そんなわけで、僕には曲を聴き手に運んでくれる手段が必要だった。”ヴィークル”なんて表現を使うと、荷物を運ぶための車みたいけど。

エディ:私はトロッコなのよ。

マーク:つまり、僕の曲を歌ってくれる歌手が必要だったんだ。でも、僕はバンドを組もうとしていて、エディは常にソロ・アーティストを目指していたから、そこに衝突があった。僕らはお互いが欲しいと考えているものを持っていたから、重なる部分も大きかったんだけど、違いもあった。常に力を競う僕らの間には衝突もあったんだ。

エディ:そこにはもっと深いものがあったわ。自分の創造力を抑えようとすることになるから。私は新人歌手で曲を求めている。でも、まだそれほど自信を持っていなくても、ソングライターでもある。彼はソングライターで、そこの部分は自分がコントロールしようとしている。それで歌手が必要で、その曲がどう歌われるべきかをわかっているんだけど、私の方もどう歌うかのアイデアがある。その2人を一緒にしたら、当然衝突が起こる。

私はこのことを別の状況でも知っているの。私はトラッシュキャン・シナトラズのジョン・ダグラスと結婚している。あのバンドはジョンが曲を書いて、私の弟フランシスが歌うんだけど、私は第三者の傍観者として、彼らの衝突を目にしている。両方とも相手の必要とするものを持っているけど、どのように歌うかについては意見がぶつかる。でも、彼らはお互いへの礼儀も知っていて、どんなふうに歌いたいのか聞かせてくれと話し合えるのね。

20代の私は「あんたの言うことなんてクソくらえ! 自分の歌いたいように歌うだけよ」と言っただろうけど、今はマークが私の歌い方から何を聴き取っているのかにもっと興味を持つようになったわ。だから、今は色んなやり方を試している。

マーク:うん。どちらかのやり方だけでなく、両方のいいところを取り入れようとしている。

エディ:ここはあなたの言うようにやった方がいいわね。でも、そこは……とね。

ファンタスティックな音楽性とその背景

―2人が一緒にやり始めた頃、「オルタナティブ・キャバレー」と呼ばれたシーンで歌っていたと聞きました。

エディ:オルタナティブ・キャバレーね。そういったシーンが生まれたばかりの頃だった。今やスタンダップ・コメディアンは新しいロックンロールで、全国で20から30カ所くらいの大会場をツアーしているけど、あの頃はまだ昔ながらのコメディ・クラブしかなかった。

マーク:そこにコメディ界の言わばインディ・ロックにあたるような連中が出てきて、それまでとは異なる小さなクラブや会場に出演し始めたんだ。英国で今コメディの人気が高い理由のひとりが、ボブ・モートマーで、自分のTV番組を持つほど、とても有名になったんだけど、彼も僕らと同じ頃に始めた。それが2年後には、彼は大ヒットしたTV番組に出演し、僕らはナンバーワン・ヒットを放つことになった。でも、僕らがそういった小さな店に出ていたときは、30分のコメディの間に3、4曲歌うといった感じだった。

―音楽的には好き勝手にやれた?

マーク:いずれにせよ、当時は僕らにぴったりの場所はどこにもなかったわけだから。86~87年の音楽界で起こっていたことは、僕らのやっていることから凄くかけ離れたものだったし、自分たちのやっていることが35年後にも東京のソニー・レコードから発売されるなんて想像もできなかった。そんなことを言う人がいたら、狂人扱いだったろうね。だって、僕らの音楽はファッショナブルで人気のあるものとは正反対だったから。でも、僕は自分のやりたいものをそのままやることについてはとても頑固だったんだ。

エディ:私に関してはすごく自信があった。マークは自分の曲が受け入れられるか不安を感じていたかもしれないけど、私は素晴らしい曲だとわかっていたし、それらをみんなに気に入ってもらえると思っていた。私が大好きなのと同じくらいに誰もが大好きになると信じていたわ。バーで(エルヴィスの)「ザッツ・オールライト・ママ」を歌えば、そのエネルギーで店内のみんなを夢中にさせられると知っているけど、私は同じようにそれらの曲のためにぴったりのエネルギーを持っていたから。それは歌手にとって、自分を解放する体験なの。だって、自分自身の書いた曲を歌うときのような恥ずかしさはないし、シャイになることなく「聴いて! これはファンタスティックな曲だから!」と叫ぶことができた。

マーク:それはお互い様だったよ。僕も自分のバンドを宣伝するのではなく、エディを紹介するんだから、「見てくれ! 彼女はファンタスティックだろう?」とね。

―フェアーグラウンド・アトラクションのジャズ、フォーク、シャンソン、ロカビリー、ニューオーリンズなど、様々な音楽がミックスされたサウンドはどのように生まれたのでしょう? ジャズ・ドラマーのロイ・ドッズ、ギタロンなんて珍しい楽器を弾くベーシストのサイモン・エドワーズを加えたとき、既にバンドのサウンドについてアイデアがあって、彼らを選んだ? それともたまたま彼らと出会って、こういったサウンドを持つバンドになったんですか?

マーク:僕のエトスは、ジャズ・ミュージシャンがポップ音楽をフォーク音楽の楽器で演奏するというものだった。

エディ:ハハハ。

マーク:そのアイデアの一部は、ビートルズの『ホワイト・アルバム』からなんだ。あのアルバムでは、たくさんのアコースティック・ギターが聞こえるけど、それらはポップ・ソングだ。それらの曲の方がエレクトリック・ソングよりも好きだ。アコースティックなポップ・ソングが大好きなんだ。そして、ジャズも大好きなんだ。フォーク・ミュージシャンの演奏スタイルはあまり好きじゃなくって、ジャズ・ミュージシャンの演奏が好きなんだ。ポップ・ミュージックが好きだけど、それをサウンドの枠組にした。かっちりと決めたわけじゃない、感覚に基づいて、これは正しくない、これも間違っている。これはいいね、と僕の頭のなかで線が引かれていった。エディもミュージシャンを加えることを心配していたね。

エディ:私はドラマーを加えたくなかったの。それまでに仕事をしたセッション・ドラマーはみんながファシストだった。彼らはここで入ってこいと勝手に決め、カウントを数えだす。「違う、違う、私についてきてよ」と言わなくちゃならない。私は自分のやりたいことを通す頑固な人間で、マークも付き合うのが大変だったでしょうね。フフフ。私にこうやれなんて言うことは誰にもできないわ。でも、あの頃はそうする必要があったの。

マーク:当時は僕らのどちらもがそうだった。

エディ:どちらも独断的だったね。

マーク:そんな2人の意見が合うときは強力なパワーが生まれたけど。意見がぶつかると悪夢だった。

エディ:そうそう。

マーク:ミュージシャンを探し始めたとき、最初に必要だったのがベース・プレイヤーで、それもダブル・ベースのプレイヤーが必要だった。サイモンはブリストルで知り合って、ロンドンのカムデンでばったり会った。ダブル・ベースも弾くよね?と訊いたら、「いや。でも、ギタロンを19ポンドで買ったばかりだ」と言うので、じゃあ、それを持って来てくれと誘った。

エディ:私はその楽器を見て、「だめよ、だめよ、そんな楽器はだめ!」と叫んだわ。

マーク:彼が巨大なウクレレのようなものを取り出したからね。でも、それを弾きだしたら、悲しく美しいサウンドだったんだ。僕らは「うわあ」と声を発するだけだった。

エディ:そして、それに合わせて、ロイがブラシでドラムスを叩きだしたら、「うわあ、なんて素晴らしいサウンドなの」と思った。アニタ・オディがジーン・クルーパのドラムズで歌っているみたいな,私好みのサウンドになったの。

ピュアなロマンティシズム、80年代のロンドンでの暮らし

―それでは、今回の来日に合わせて、ソニーからアナログLPで再発売もされた『ファースト・キッス』について、幾つかのキーワードと共に振り返りたいと思います。まずは、とてもロマンティックなアルバム」だということです。安っぽくない、とてもピュアなロマンティシズムに溢れた作品となっています。このロマンティシズムはどこからきたのでしょう。

『ファースト・キッス』来日記念再発盤(クリアーレッド・ヴァイナル)

エディ:私たちは40年代、50年代の音楽で育てられたから。

マーク:ジュディ・ガーランドとミッキー・ルーニーの共演映画とか。

エディ:彼はああいった映画が好きなのね。私はとにかくジュディ・ガーランドが大好きよ。私たちはどちらも音楽好きの親に育てられた。うちの父はエルヴィスの大ファンだったし、パーティーではみんなが歌った。子供たちも歌わなくちゃならず、お客さんがやってきたときはその歌を毎回歌わなくちゃならなかった。

そうそう、興味深い話なので、話させて。ニュージーランドに行ったときのことよ。ハカ (先住民マオリ族の戦いの舞い)は知っているでしょ? そこで先住民の首長が、君らも祖父母や両親の曲を歌う準備をしなくちゃならないと言うの。「どうして?」と訊いたら、「それで君が何者かわかる」って。どのように育てられたかは重要ね。本当に自由に音楽を楽しむ人たちと育って、音楽に取り組むとき、すべてのパレットを用いることを教えられた。私たちは流行だからとか、ビジネスとして成功するためにとかで音楽をやっているわけじゃない。自分たちの愛する音楽をやりたいようにやろうとしているのよ。レコードに吹き込むことになろうが、なるまいが、どういった方向に進もうがね。私たちは音楽に対しても、とてもロマンティックなヴィジョンを持っていたわ。

―エディ、前回会ったのは、19年のロンドン公演で、あなたは「舞台上で故郷に帰ってこれて嬉しい。(80~90年代に住んでいた)ロンドンは部分的に故郷の街だから」と挨拶して、「フェアーグラウンド・アトラクションの曲はすべてロンドンで書かれたの」と話しました。

エディ:ええ。ロンドンへのラヴ・ソングとも言えるかも。

―確かに、この作品は「ロンドンのアルバム」と言えますね。地名などの固有名詞が幾つも織り込まれているし。

マーク:うんうん。

―80年代のロンドンという時代と場所はどのように作品に影響しましたか?

マーク:まあ、僕はロンドンに住んでいて、それらの曲はぼくの人生についてだからね。ロンドンについて書くことにもなったわけさ。

エディ:あなたの場合、それはこのアルバムの曲だけにとどまらないわね。

マーク:地名の入った曲が好きだね。「ペニー・レイン」とか「ブルーベリー・ヒル」とか。ああいった曲が好きだし、僕の生活とロンドンは結びついていたわけだし。

―どの曲もまだ成功を収める前に書かれたわけですが、当時のロンドンでの暮らしを思い返すと、良い思い出ですか?

マーク:ああ、ファンタスティックだったよ。

―若く、貧しく、成功をまだ手にしておらず……。

マーク:ああ、みじめだった(笑)。

エディ:たぶん私の方が成功していたわね。だって、私はバック・シンガーの仕事で稼げていたから。ユーリズミックス、ギャング・オブ・フォー、アリソン・モイエ、ウォーターボーイズなどの仕事をした。ロイとサイモンはどうしていたか覚えていないけど、マークは電話の……なんだっけ? コール・センター? そう、コール・センターで働いていなかった?

マーク:そう、電話をかけてリサーチをする仕事だった。

エディ:信じられないわよね。この人があんなに凄い曲を幾つも書いていたのに、あんな苦しい生活をしていたなんてね。

私はエディット・ピアフにすごく入れ込んでいて、彼女のような「肉と骨のある」(中身のあるという意味)曲を歌いたかった。80年代には、もちろん素晴らしい音楽もあったけど、多くの曲が「ウー、アー、ベイビー」といった中身のほとんどないような曲だった。でも、マークの書いていた曲は物語の筋がちゃんとあって、中身がたっぷりあった。この間「ファインド・マイ・ラヴ」の歌詞をほとんど初めてのように、改めて読んでみたんだけど、主人公は部屋にひとり座っていて、まるで広い海のなかにひとりいるみたい。あの寂しさ、孤独感は明らかに当時のマークの本当の感情から生まれた。そうでしょ?

マーク:ああ、そうだ。あれを書いた場所は、テラス(連続住宅)の一番奥にあった家で、(歌詞の最初の2行にあるように)風はびゅうびゅうとうなり、門はガシャンと音を立てて閉まり、野良猫が泣いていた。そこに僕は独りぼっちでいたんだ。

エディ:だから、本当に嘘偽りのない実体験から書かれている。そして私のような感情的にオープンで、その気持ちを自分のものにして、その物語を語ることができる人が必要だったの。

スプリングスティーン、月、ワルツのリズム

―今の話につながってきますが、これは20代の男女の「若者たちのアルバム」でもあります。

マーク&エディ:そうだね。

―そういった点で、サウンドはまったく異なりますが、ブルース・スプリングスティーンの初期の作品のロンドン版みたいなものと言われたことはありません? つまり、若い男女が自分の育った世界から自由と可能性を求めて抜け出そうともがいている。

マーク:「ボーン・トゥ・ラン」とか?

―ええ、「ボーン・トゥ・ラン」とか「サンダー・ロード」とか、ああいった曲のロンドン版ではないか、と。例えば、人気曲「ハレルヤ」の歌い手は新しい恋人とカウンシル・ブロック(低所得者向けの公営住宅)から抜け出したいという思いを空に飛ばす凧に託しています。

マーク:うんうん。ここを抜け出して……もっと良い人生を見つけようと。

エディ:希望を信じてね。将来への希望を。

マーク:1980年、スプリングスティーンがアルバム『ザ・リヴァー』を発表して、ロンドンのウェンブリー・アリーナにやってきた。当時の僕にはチケットが高くてね。それでも会場に行った。なんとか入り込む手段はないかと思ってね。そうしたら、コンサートが始まって数曲で会場を去る女性がいて、未使用のチケットが2枚あると言うので、1枚16ポンドで売ってもらった。そうしたら、待って、こういうのも一緒にあるの、とくれたのが、バックステージパスだった! それで、アリーナ前方中央の席でブルースが「ザ・リヴァー」を歌うのを観て、終演後は生まれて初めてバックステージに行った(笑)。クイーン、ブームタウン・ラッツ、イエスと、ロックのレジェンドたちだらけさ。Eストリート・バンドのメンバーがやってきて、クラレンス・クレモンズは両腕にブロンドの美女を抱いている。凄い光景だった。酒はタダだしね。でも、やがてみんなが帰り始めた。ブルース本人は出てこなかったんだ。僕は絶対にブルースに会うんだ、と帰らずにねばっていたんだけど、結局誰もいなくなり、「もうお帰りになってください」と言われた。そのときにウェンブリー・アリーナに残っていたのは、僕とブルースだけだったわけさ。それで、ステージ袖を通って帰ったら、バンドやクルーの使う扉の向こうにブルースが座っているのが見えた。それがそのときのスプリングスティーン体験だ。

エディ:ブルースは紅茶の砂糖を借りに隣の部屋にやってきたりしないのね。

マーク:数年前にEストリート・バンドのゲアリー・タレントと一緒に曲を書いたんだ。彼は僕に会えて喜んでいたよ。彼は「パーフェクト」が大好きで、わざわざシングル盤を手に入れたそうだ。いつか、それにサインしたいね。

エディ:何人かのレジェンドに、あのアルバムをありがとうと感謝されたのよね。ポール・マッカトニーが握手して、「最高のアルバムだ」と言ってくれたでしょ!

―歌詞に繰り返し登場するイメージが「月」ですね。当時のあなたに何か特別な意味があったのでしょうか?

マーク:どうだろうか。確かに繰り返し表われ続けるね。

エディ:月は感情を映し出しているんじゃない? 月の存在が感情を生み出す。潮の満ち引きをもたらすように、無意識の行動の底流となっている。

マーク:昔から自然界にある象徴だね。或る時点で僕は象徴主義にとても興味を持って学んだことがあるんだ。自分の人生でたくさんの出来事がシンクロニシティ(共時性)を起こすので、その意味を探して、占星学者に古典的な象徴主義を学んだりした。そういったことも曲作りに反映しているのだろう。

―最後のキーワードは「ワルツ」です。全14曲中7曲がワルツのリズムを使っています。

マーク:母が70年代に英国でとても人気だったTV番組「Tales of the Unexpected」が大好きでね。そのエンディングの音楽がフェアーグラウンド(移動遊園地)の音楽みたいで、彼女はいつもこの曲が大好きと言って口ずさんでいた。その曲がワルツで、すごく大きな影響を受けたみたい(笑)。他にも幾つか理由があるとは思うんだが……。

―何よりも母を喜ばせたいと……。

マーク:まさにその通りだ(笑)。

エディ:ワルツの3拍子はファンタスティックな拍子よね。円を描くようで、世界が回り続けているのを表現するようでもあり……。

マーク:歌詞にもいい。詩的な雰囲気が醸し出されるね。

エディ:4分の4拍子はロックやポップには良くって、もっととがっている。

マーク:ワルツはもっと情景を描き出すようじゃない?

エディ:ワルツは映画で男女の俳優が抱き合って踊っているイメージでしょ。私たちの世代まるごとの存在は、父親たちと母親たちがワルツのダンスを学び、踊って愛を育んだおかげよね。

―ええ、単に音楽のリズムやスタイルというだけでなく、ワルツが意味しているのは、ワルツを踊る男女のカップルのイメージですね。

マーク:そうだね。それと、そこにペーソスがあるよね。悲しくて楽しい感情だ。すべてのことがほろ苦い。100%幸せでも、100%みじめでもない。常にその中間のどこかだ。「コメディ・ワルツ」という曲を書いた。「今夜はコメディ・ワルツを聴きたい」と始まる。だって、悲しい気持ちだから。それはパラドックスだ。すべての真実はパラドックスなんだ。どの曲もその意味は行間にあって、ビートの間にあるんだ。

エディ:それと情感たっぷりだわ。ピアフ(のフランス語の歌)を聴けば、その言語が理解できなくても感じられる。日本語だってそう。あの日本の歌手の名前はなんだっけ? 美空ひばりね。私は彼女の歌唱を敬愛している。何を歌っているかわからなくても、その感情を理解できる。感情が先に伝わってくるの。

解散の真相、35年後の「ビューティフル・ハプニング」

―これほどの素晴らしいアルバムを作り、大成功を収めたのに、バンドは長続きせず、2作目のアルバム制作半ばで解散してしまいました。その解散の本当の理由について、これまではっきりと語ったことがなかったように思いますが。

エディ:ええ。私たち自身もはっきりとわかっていなかったからなの。私たちのエネルギーがぶつかり合った。私とマークは家庭環境がよく似ていて、2人ともカトリックの大家族で育った。大人数の家族では自分の居場所を争って勝ち取らなくちゃならない。そして私たちはどちらも音楽における家族を探していた。だから、私たちはお互いにそういったことをバンドにも持ち込んだ。そして……たぶん……ねえ、ロールズ・ロイスの例えをしてたわよね? 運転してたら……。

マーク:ああ、車はニッサンでも何でもいいんだけど、車を運転してそこらを走っているつもりだったのが、気づいたら、レース・トラックを走っていた。そんなところを走る準備なんかまったくしていなかったのに、いきなりF1に出場したようなものだった。突然ヒットチャートの首位にいたんだから。うわあ!?という感じさ。あまりに速いスピードで、すごくクレイジーだった。

エディ:ええ、本当にあっという間の出来事だった。3月にアルバムを録音したんだっけ?

マーク:1月に録音して3月に発売されたんだ。

エディ:数カ月の間に……。

マーク:すべてが加速していった、すごく速く……。

エディ:そんな状況にみんなが影響を受けた。あなたはちょっとPTSD(心的外傷後ストレス症候群)のようになったし、私は妊娠した。アルバムの最後の曲「ハレルヤ」の最後の音を録音した直後に、妊娠検査テストのキットをみたら、妊娠していた。そしてあらゆることが変化していった。やがて私たちはどちらも離婚を経験することになったし。このバンドがすごく大きなものになってしまったのに、自分たちはどれほど大きくなったのかをよくわかっていなかったの。あのときにはね。

1989年、クラブチッタ川崎にて

―エディはソロ・アルバムでもマークの曲を歌ってましたよね。2人ともロイとサイモンとは一緒に演奏していた時期があったと思います。付き合いは続いていたんでしょ?

エディ: いいえ。私たちの仲は全然うまくいかなくなったの。それで解散した。その理由は、私たちはとても似たもの同士だからだと思う。

―兄弟喧嘩みたいなものだった?

マーク:まさにそんなものだった。うん、大体のところでは、そうだったね」

エディ:(オアシスの)ノエルとリアムのギャラガー兄弟みたいだったのよ(笑)。暴力はそんなになかったけど(笑)。ハハハ。

マーク:そんな感じだった。とても張りつめていたよ。今振り返ると、すごく笑えるけどね。彼女はまるで実の姉か妹だったみたい。

エディ:今マークが書いている曲の多くには、少なくとも私にはそう聞こえるんだけど、そこに無意識にも私たちへのメッセージがあると思う。(ニュー・アルバムに収録される)「ヘイ・リトル・ブラザー」はもちろん、「ビューティフル・ハプニング」もそうね、あれは他の人に書いた曲だけれど……。

マーク:アンドレア・ボチェッリのために書いたんだ。

エディ:だけど、彼は取り上げなかったのね(笑)。

マーク:(苦笑)。

※後編は9月20日リリースの最新アルバム『ビューティフル・ハプニング』に合わせて公開予定

フェアーグラウンド・アトラクション

『ビューティフル・ハプニング』 

2024年9月20日発売

12曲入り+ボーナストラック収録予定

ピクチャー・ディスク仕様(予定)/歌詞・対訳掲載

詳細:https://www.sonymusic.co.jp/artist/FairgroundAttraction/

フェアーグラウンド・アトラクション

『Beautiful Happening』(LP)

『The First of a Million Kisses』(LP)

発売中

詳細:https://www.sonymusic.co.jp/artist/FairgroundAttraction/

フェアーグラウンド・アトラクション公式:https://linktr.ee/fairground_attraction