元プロ野球選手で野球解説者の谷繁元信氏が14日、YouTubeチャンネル『[ラミレス公式]ラミちゃんねる』で公開された動画「【殿堂入り対談】マスク越しに谷繁がラミレスに囁いた言葉とは? 一流同士の腹の探り合い【谷繁元信コラボ(1)】」に登場。名球会入りを諦めていた時期があったことを明かした。

谷繁元信氏

「俺には運もあったと思う」と自己分析

今年、名球会入りした谷繁氏。「自分が27年できるってまず思ってなかったし、最初の頃は、積み重ねて27年もやってたなっていうのが正直なところ」と率直な気持ちを述べたうえで、「2000本さ、俺、打てないと思ってたの、正直」「だから1回さ、2500試合出た時に、名球会のメンバーの方に『すいません、特例で2500試合で名球会入れてもらえないですか?』って言ったぐらいだから」「その時に俺ね、1800本くらいだったかな? だから正直ちょっと諦めてたの」と告白する。

結果的に提案はあえなく却下されるも、「でも、やっていくうちに、『あれ? もしかしていけるんじゃない?』みたいな」と振り返ると、ラミレス氏は「あと、良いチームにいたと思うんだよね」といい、「チームによっては36~38歳ぐらいの選手だと、まだやれるけど出場機会を失ったりするよね」と持論。これに谷繁氏は「そうだね」「2002年からドラゴンズに行った。これがね、2000本も打ったし、3000試合もいけたし、最終的には27年という年数ができたポイントだと思ってるのね」とうなずきながら、「もしあのままベイスターズにいたらたぶん、俺打ててないし、ここまで長くやれてないと思う」「だから、俺には運もあったと思う」と自己分析していた。

【編集部MEMO】
横浜ベイスターズ、中日ドラゴンズ などで活躍した谷繁元信氏。2014年シーズンより中日ドラゴンズ選手兼任監督、2016年シーズンは専任監督を務めた。ベストナイン1回、ゴールデングラブ賞6回、最優秀バッテリー賞4回といった受賞歴のほか、27年連続本塁打および捕手としての試合出場のギネス世界記録、通算3021試合出場の日本プロ野球(NPB)記録なども持つ。