文筆家の内田也哉子氏が、戦争で亡くなった画学生(=美術学校の学生)の作品を集めた美術館「無言館」(長野・上田市)の共同館主に就任し、14日、都内で行われた記者会見に出席した。
「あなたならではの社会とのつながりを持てるといいわね」
無言館は、97年に館主・窪島誠一郎氏による私設美術館として開館。日中戦争、太平洋戦争で戦死した美術学校の学生や卒業生の作品・遺品などの資料を収蔵・展示している。現在は、戦没画学生約130人による150点(天井画を除く)の作品を展示。収蔵点数は約700点におよぶ。
2022年には、日本テレビ系チャリティー特番『24時間テレビ』内で、無言館設立への窪島氏の奮闘を描いたスペシャルドラマが、劇団ひとりの監督・脚本で放送された。
無言館は、2005年に「無言館京都館 いのちの画室(アトリエ)」を立命館大学国際平和ミュージアム内に開設するなど、立命館と交流を続けてきたが、今回、正式に提携協定を締結。これに伴い、内田氏が窪島氏とともに共同館主を務めることになった。内田氏は、学生に向けた講演会など、若者たちとの対話や交流を深めていくという。
東海テレビのドキュメンタリー『戦後70年 樹木希林ドキュメンタリーの旅』で、内田氏の母である故・樹木希林さんが無言館を訪れ、窪島氏と意気投合した縁で、内田氏も無言館の成人式で若者たちに手紙を書くようになるなど、交流が生まれた。
内田氏は今回の就任について、「窪島さんに“僕と一緒に、無言館の二頭馬車で引っ張っていってくれませんか?”とお声がけいただき、はなはだ恐れ多く、こんな自分に何ができるんだろうと大いに悩みました」というが、かつて希林さんから言われた「そろそろ誰かの役に立てるような、あなたならではの社会とのつながりを持てるといいわね」という言葉に、背中を押されたと明かす。
そして、「戦争を知らない者として、けれど今なお戦争が絶えない世界に生きる一人として、歴史や現状から学び、窪島さんとともに無言館という稀有な美術館の存在を、皆様に精いっぱいお伝えできたらと思います」と意気込みを述べた。
「変な人なんです」「ちょっと似てます」
窪島氏は、内田氏の就任について、「100万の援軍を得たというか、遠くの灯台に火が灯った気持ちになりました。母子2代にわたって無言館に対する理解、美術館の持つ役目への理解、絆を深めてくださった上での今回の共同館主就任、よくぞご英断くださったということに、本当に心から感謝している次第です」と思いをコメント。
さらに、「也哉子さんの持つ若い感覚、瑞々しい感受性、何とも言えない温かい包容力は、必ずや若い世代に無言館の仕事がつながっていくということに対して、大きな大きな戦力になってくださると信じ、また願っているところでございます」と期待を示し、「私も83歳という齢を重ねて、もうアディショナルタイムの残り時間はそうないんですけど、也哉子さんと一緒に無言館の手綱を持って、助けてもらいながら、もうひと働き、もうふた働きしなければいけないなと自分自身に言い聞かせています」と心境を話した。
また希林さんについて、窪島氏は「あの人、変な人なんですよ(笑)」と回想したが、内田氏はすかさず「そういう変なところは、窪島さんもちょっと似てます(笑)」といい、親近感を覚えているようだ。