「日本を世界の銘醸地に」というビジョンのもと、世界品質のワインを持続的・安定的に生産するため、自社管理のヴィンヤード(=ブドウ畑)にて高品質なブドウを栽培しているメルシャン。長野県上田市では「椀子(まりこ)ヴィンヤード」を展開しているが、ブドウ畑の整備を進めたところ、地域の自然環境が回復したばかりでなく、最近では絶滅危惧種の昆虫や植物まで戻ってきたという。現地で関係者に詳しい話を聞いた。
■椀子ヴィンヤードの特徴
JR北陸新幹線の上田駅から車を走らせること30分あまり。標高約650mの陣場台地まで来ると、あたりは見渡す限り緑一色のブドウ畑が広がる。窓を開けると、爽やかな高原の風。遠くから聞こえてくるのは、ヒバリの鳴き声だろうか。
かつて当地は、養蚕農家が桑を盛んに栽培していた。しかし生産者の高齢化などにともない、1990年代には遊休荒廃地となってしまう。そこでメルシャンでは、日本ワイン醸造のためのブドウ畑を開墾。椀子ヴィンヤードを2003年に開園した、という経緯がある。
ブドウ畑の真ん中にポツンと建つのは、国際品種のワインを醸造している「椀子ワイナリー」。地域、自然、未来との共生を目指すブティックワイナリーで、昨年(2023年)より「シャトー・メルシャン 椀子ワイナリーSDGsツアー」も実施している。
椀子ヴィンヤードでは2014年より、キリンホールディングス、メルシャン、農研機構の3者が連携して生態系の共同研究を行ってきた。キリンホールディングスの藤原啓一郎氏は「もともとはブドウ畑が自然に与える影響を把握することが目的でした。すでに調査では昆虫168種、植物289種を確認していますが、その過程で、どうやら絶滅危惧種のチョウをはじめとする昆虫、そして草花の数も回復してきたらしいことが分かったんです」と話す。
昆虫や植物にとって、このブドウ畑の何が良かったのだろうか? 一般的に、日本国内ではブドウは(食用もワイン用も)棚栽培で育てられることが多い。しかしメルシャンでは、椀子ヴィンヤードにおいてブドウを垣根栽培してきた。定期的に草刈りなどの手入れが必要となるが、果実の風味がより凝縮できるメリットがあるそうだ。実はこの取り組みが、図らずも”草原を作る”ことにつながっていた。藤原氏は「自然環境のなかで、垣根仕立て・草生栽培のブドウ畑が良質な草原として機能し、生物多様性にポジティブなインパクトを与えていたんです」と笑顔になる。
ここで農研機構の楠本良延氏は、古き良き日本の農村には里山、水田、畑、河川、平地林があり、そのなかで多種多様な生物が生息してきたと振り返る。「でも、人間によって維持管理されてきた”二次的自然”とも言える農村がめっきりと減り、各地で里山が放棄されるなどした結果、そこを住み処にしてきた生物が絶滅の危機に瀕するようになりました」と楠本氏。かつて1880年代の日本は、国土の30~40%が草原だった。これが現代は1%まで減少してしまった、というから驚く。
ちなみに当地は2023年10月に、環境省より「自然共生サイト」に正式認定された。自然共生サイトとは、国が認定する「民間の取り組みなどにより生物多様性の保全が図られている区域」のこと。2023年前期には国内の122カ所が認定されたが、そのなかで唯一、椀子ヴィンヤードは民間事業者が経営を通じて生態系を豊かにしている好事例となった。
メルシャンでは、今後も希少種・在来種の再生活動に力を入れていく。直近の取り組みでは、ボランティアおよび地域の上田市立塩川小学校と共に、絶滅危惧種のオオルリシジミ(チョウ)が食草にしているマメ科のクララを増やす活動を実施。また農研機構とは新たな共同研究として、剪定したブドウの枝などを活用した「バイオ炭」による炭素貯留効果の評価などを進めている。
最後に、楠本氏は「日本ワイン用のヴィンヤードでは、ワイン生産と生物多様性の回復が両立できることが証明できました。ワインを作ることで、副次的に自然が守られています。植生回復の試みも良好です。椀子ヴィンヤードは、CSV活動を通じた生物多様性保全の良好な事例として評価できます」とまとめた。
椀子ワイナリーでは現在、テイスティングのできる5つの有料ツアーを実施中(いずれも要予約)。ワインを存分に楽しめる定番の「椀子ディスカバリーツアー」(約100分、4,000円)や、広大なヴィンヤードを歩いたあとワイナリーでワインとランチBOXを楽しめる「椀子ウォーキング&ランチツアー」(約150分、1万円)などを用意している。開催日程などの詳細はホームページを確認のこと。
このほかワイナリー2階のワインショップでは、約30種類のワインやオリジナルグッズを販売している。