埼玉県所沢市・ところざわサクラタウン EJアニメミュージアムで2024年5月6日まで開催中の『生誕50周年記念 THE仮面ライダー展』が、子どもから大人まで幅広い世代の「仮面ライダー」ファンの人気を集めている。

  • 写真左より志田音々、高岩成二、宮内洋

これまで名古屋、福岡、札幌、東京、静岡、大阪、宮城と各地で催され、好評を博してきた本展。今回は埼玉スペシャルアンバサダーとして、歴代「平成仮面ライダー」を演じてきた伝説のスーツアクター・高岩成二、そして『仮面ライダーギーツ』(2022年)で仮面ライダーハクビ/桜井沙羅役を演じ、殺伐としがちな物語に「癒し」を与える役割を担った志田音々がオープニングセレモニーの場に登壇。さらには、仮面ライダーシリーズ第2弾『仮面ライダーV3』(1973年)で仮面ライダーV3/風見志郎を演じたほか、『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)や『快傑ズバット』(1977年)など、70~90年代の特撮ヒーロー作品で縦横無尽に活躍してきた最高のレジェンド・宮内洋もかけつけ、ステージを盛り上げた。

ここでは、『THE仮面ライダー展』セレモニー終了直後3人にコメントを頂戴し、半世紀を超える歴史を持つ『仮面ライダー』の永遠なる魅力について語ってもらった。

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高岩成二 編

――オープニングセレモニーを終えて

「僕だけ素面で、仮面ライダーV3や仮面ライダーギーツと一緒にショッカー戦闘員たちをやっつけるという、ちょっと変わったアクションショーがありましたけど、まあうまくいったんじゃないですかね(笑)。

戦闘員をやっていたのは僕がアクションを教えている若い人たちでした。けっこう長く稽古をしてきて、僕がひとこと言えば大体のことをわかってくれるので、スムーズに進行できたなという思いがあります。彼らはまだ人前でアクションをする機会が少ないため、今回のショーはいい経験になったと思います」

――埼玉アンバサダーに就任したことについて

埼玉県出身の『仮面ライダー』出演者は佐藤健(仮面ライダー電王)とか、たくさんいる中で、あえて僕を選んでくださって嬉しく思います。ここ(所沢)方面は主にロケ撮影で訪れた場所という印象が強く、会場に着くまでの道のりで「ロケバスでこういうところ走ってたなあ、この景色、懐かしい」なんて思っていました。

――展示品を実際に観たときの印象は?

剣や銃などの武器や、ガイアメモリ、眼魂(アイコン)、フルボトルといったアイテム類はみな、撮影用の実物なんですね。久しぶりに観て、どれも「デカッ!」と驚きました(笑)。確か、これを使って戦ったよなあ……でも、こんなに大きかったかなあ? って自分でも思いましたからね。

平成ライダーは剣、銃、そしてベルトに装填するアイテムなどを使って戦うじゃないですか。撮影が始まってすぐのころは時間がある限り、手になじむまでずっといじり続けるようにしていました。ベルトにアイテムを入れるときでも、ふつうにスッと入れるのではなく、少しでもアクセントをつけて、観ている人たちに印象づけてもらいたい、と思って、ひとつずつ変化させるようにしていたんです。

――「THE仮面ライダー展」ここを観てほしい!

各作品の解説パネルに僕がサインさせていただいたので、期間中はぜひどこに僕のサインが書いてあるのか、探してほしいですね。3ヶ所にサインしているんですけど、1つは『仮面ライダーBLACK RX』(1988年)の10人ライダーのところ。ライダーマンを演じているのが僕です。だから「これ、俺!」とメッセージを入れました。ほとんど落書きみたいな感じ(笑)。たくさんの方に楽しんでいただきたいと思います。

志田音々 編

――『仮面ライダーギーツ』の思い出

私にとって『仮面ライダーギーツ』は、本格的なお芝居をした初めての作品でした。だんだん撮影に慣れてきたかなというタイミングで、合成の入る撮影を初体験したり……。周囲に何もない状態で演技をしなくてはいけなくて、頭をフル回転させながら想像力を働かせました。自分なりに苦労したので、映像が出来上がったときの感動は大きかったです!

――仮面ライダーハクビに変身したことについて

最初、沙羅ちゃんは仮面ライダータイクーン/景和(演:佐藤瑠雅)のお姉ちゃんだとしか聞いていなかったものですから、まさか自分が「変身」できるとは思いませんでした。アクション監督の藤田慧さんは、ハクビの変身ポーズを弱く、ダサく見せたいという思惑があったそうです(笑)。私としては妹(暴太郎戦隊ドンブラザーズ:オニシスター/鬼頭はるか役・志田こはく)の変身(アバターチェンジ)ポーズをちょっと入れ込みたいなと希望を出して、映像のようなポーズになりました。

――オープニングセレモニーについて

ファンのみなさんを前にして『ギーツ』のお話ができて、楽しかったですね。途中でヒーローショーに切り替わり、悪い人(ショッカー戦闘員)に捕まったりして、子どものころに観たショーを思い出してテンション上がりました。妹が出演した東京ドームシティ・シアターGロッソ公演(ドンブラザーズショー)を観ていましたし、楽しみながら登壇させていただきました。

――「THE仮面ライダー展」おすすめポイント

なんといっても『仮面ライダーギーツ』の展示スペースです。仮面ライダーハクビが展示されていますので、ぜひこちらをご覧になってほしいです。映像で観るのとは違う、実物ならではの存在感をぜひ体験しに来てください。私の出身地・埼玉県のいいところは、まず「人口が多い」!

人が多い=住みやすいということですよね。緑も豊かで、ほどよくビルも建っていて、不自由なく過ごすことができる県です。あと、草加せんべいがおいしい!(笑)。みなさん、ぜひ「THE仮面ライダー展」を観に、埼玉へ来てください!

宮内洋 編

――往年のヒーローショー伝説

私が風見志郎を演じました『仮面ライダーV3』はもう、子どもたちにすごい人気でした。テレビ放送当時、福岡にあった5つのデパート、そのすべてで『仮面ライダーV3』ショーをやっていたことがあったんです。4つまでは仮面ライダーV3=変身後が立ち回りをするんですけど、1つだけ「風見志郎ショー」、つまり私が出演して、変身しないでアクションするショーをやっていました(笑)。

――風見志郎から子どもたちへのメッセージ

1973年から1974年にかけ、風見志郎としていろんなアクションのアイデアを出し、命がけで取り組んできました。風見はデストロンのハサミジャガーに父と母と妹を殺され、最初は復讐心から仮面ライダー1号2号に「俺を改造人間にしてくれ!」と懇願しますが、ダブルライダーはその頼みを最初、拒絶するんです。仮面ライダーV3は私情で戦うのではない。悪がさんざん悪いことをして、それをこらしめるために戦うんだ……という部分を大切にしながら役を演じてきました。

それは私がいつも、子どもたちがテレビをどんな思いで観てくれているんだろう、と考えていたことにもつながります。50年前、私が演じる風見の姿を通じて、子どもたちが「ぼくもV3のようなヒーローになりたい」「風見さんのような大人になりたい」と思ってもらえるよう、強く願いを込めました。今回の「THE仮面ライダー展」でV3の展示コーナーを観たとき、私自身、あのころの熱い思いがよみがえってきました。

――宮内洋は「ヒーロー」一筋!

『仮面ライダーV3』が最終回を迎え、次にレギュラー出演したのが必殺シリーズの『助け人走る』(1974年/第20話「邪恋大迷惑」から)です。「島帰りの龍」という若い助け人で、中山文十郎役の田村高廣さん、辻平内役の中谷一郎さんと共演しました。クールだけど心に熱いものを秘めている龍もまた、ヒーローだという気持ちで演じていましたね。京都映画(現:松竹撮影所)スタッフによる光と影の演出が冴えていて、第21話「心中大恋憤」では、田村さん、中谷さん、私と夜道を並んで歩いていて、セリフを喋っている1人だけにライトを当て、喋り終わったらさっと暗くなる……みたいな、照明と撮影のテクニックに感銘を受けました。

今でも鮮明に覚えているのは、最終回(第36話)「解散大始末」です。棟梁(清兵衛/演:山村聰)や仲間たちを逃がすため、龍が捕り方相手に大暴れします。最後は捕り方のひとりを道連れにして、橋の上から落下し、そのまま浮かんでこない……という場面。

このとき、私が抱え上げて落としたスタントマンは、高橋利道(『仮面ライダーBLACK』大神官バラオム/『仮面ライダーBLACK RX』ジャーク将軍など)でした。川へ落っこちる段取りをつけているとき、助監督から「沈んだらすぐに起き上がらず、水の中で30数えてください」って言われてね。川に落ちたところをカメラで狙ってるというので、2人で沈んだままじっと30まで数えていました(笑)。懐かしい、京都の思い出です。

――「THE仮面ライダー展」にGO!

「THE仮面ライダー展」にはこれまで出てきた仮面ライダーがズラリと勢ぞろいしているんですね。昭和の時代の仮面ライダーと平成・令和のライダーとは、もう見た目がぜんぜん違います。いちばんビックリしたのは、顔に「ライダー」って書いてあるライダー(仮面ライダージオウ)でしたね(笑)。『仮面ライダーV3』の作品紹介パネルのところに「仮面ライダーV3 風見志郎参上」とサインを入れましたので、ぜひご覧ください。これからも、風見志郎=仮面ライダーV3は不滅です!

(C)石森プロ・東映

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