ジュリア・ホルターが語る官能的サウンドの裏側、『ポニョ』から学んだ愛と変容の旅路

ジュリア・ホルターが6年ぶりのニュー・アルバム『Something in the Room She Moves』を発表した。エレクトロニック・ミュージックとクラシック音楽をまたがる領域で独自の世界を築いてきたホルターだが、6作目となる今作では自身が弾くラップスティールやベース類を除いて弦楽器が取り払われ、フルートやクラリネットなど多彩な管楽器とシンセサイザーのハーモニーが浮遊感のあるサウンドのテクスチャーを構成している。

パンデミックの期間も挟んで行われた今回のレコーディングには、昨年末の来日パフォーマンスでもホルターと素晴らしい共演を披露したパートナーのタシ・ワダのほか、盟友ナイト・ジュエルことラモーナ・ゴンザレスを始め地元ロサンゼルスのミュージシャンが参加。アンビエント/ドローンの深い響きが『Ekstasis』(2012年)や初期の頃の作風を思わせる場面もある一方、肉体や感情の変化を扱ったテーマが作品全体を引き立てるしなやかでセンシュアルなムードが印象的だ。今回のインタビューでは、そのアルバムの話題に加えて、ホルターの背景に息づくロサンゼルスのミュージシャンシップ、そして今も繋がるインディペンデントな音楽コミュニティについて話を聞かせてもらった。

─去年の暮れに観たタシ・ワダさんとのライヴ・パフォーマンス、とても素晴らしかったです。

ホルター:うん、あれは本当に、本当にグレイトな体験だった。非常に良くオーガナイズされたイベントだったし、観客も本当に最高で。しかもとても美しい会場(東京・新宿にある淀橋教会の礼拝堂)だったし、だから私たちの音楽、タシの音楽にぴったりという気がした。それは、ローレル・へイロー(同公演で共に来日)も同様。私は彼女の大ファンで、他の会場で彼女が演奏するのは何度も観てきたけど、あの会場での彼女のパフォーマンスは、私が観たなかで一番好きなもののひとつ。全般的に言って、ああしてまた日本に行けたのはとても素敵な経験だったし……それにとにかく、日本で誰もが音楽に対してどれだけ愛情を抱いているか、いかに細部まで心を配って企画・主宰者側がショウを構成しているかが分かって最高だったし、うん、本当にポジティヴな経験だった。

─今回のアルバム『Something in the Room She Moves』には、前作の『Aviary』に続いてタシさんも制作に参加されています。タシさんとは継続して一緒に演奏を重ねられていて、互いに刺激を与え合う部分も大いにあると思いますが、今作に関してタシさんから受けた影響やインスピレーションを感じるところとしてはどんな点が挙げられますか。

ホルター:そうだな、概して言えば、私は……タシの和声学の側面、ハーモニーに関する関心にインスパイアされていると思う。ふたりであれこれやってみるし、コンポーザーとしての彼は本来……彼にとっての原点的なインスピレーションは、アルヴィン・ルシエ(ジョン・ケージやデヴィッド・チューダーと共演を重ねた実験音楽の作曲家)といった人たち――つまり同じピッチを維持し続ける、そういう概念に取り組んできた音楽のなかにあって。だから、いかにハーモニーが……うーん、どう言ったらいいだろう? 物事をシンプルに捉える、というか――私がタシの音楽を代弁すべきじゃないとは思うけれども、とにかく、タシの和声の感覚からインスピレーションを受けてきた。彼がどんな風に彼の作品のなかで連続するハーモニーやグリッサンドを扱うかや、音楽におけるユニゾンの機能だとか。それは私も本当に好きな面で、彼の作品のひとつにユニゾンの不可能性を探ったものもあるし……うん。ふたつの楽器が同じメロディを奏でても、それらはいかに決して”完全に同じ”にはなり得ないか、ユニゾンのそんなところに私はとてもハマっていて。MIDIみたいなものというか、機械が演奏するように周波数は同じなんだけれども、ふたりの人間が一緒にユニゾン演奏する、あるいは斉唱すると、どうしても完全に、厳密に同一で安定した周波数にはならないわけでしょ? だから、いろんな類いの非類似性がある、みたいな。同じことをやろうとしているのに、その実、ふたりの人間の違いがはっきり出る、と。彼の音楽で、私が強く反応するのはそこじゃないかと思う。

2018年、ホルターも参加したタシ・ワダ・グループの演奏

─先の公演でもタシさんが吹くバグパイプがとても印象的でしたが、今作ではそのタシさんのバグパイプを始め、フルートやサックス、トランペットなど多彩な管楽器が使用されているのが特徴的です。これまでの作品と比べて際立った傾向だと思いますが、管楽器の使用について、あるいはシンセなど他のインストゥルメンタルとテクスチャーを構成する上ではどのようなアプローチで臨まれたのでしょうか。

ホルター:今までにも、サクソフォン/クラリネット奏者のクリス・スピードとは一緒にレコードを作ったことはあって。でもたしかに、今回のレコードで彼は過去以上にプレイしている。私が求めていたのは……クリス・スピードとフルート奏者のマイアのふたりにレコーディング・セッションに来てもらい、既に私たちが作ってあった音源に演奏を重ねてもらう、ということで。私が見つけようとしていたのは一種の……(自問調に小声でつぶやく)管楽器に何を求めていたんだろう? そうだな…………このレコードの随所でサクソフォンとクラリネットを演奏してくれたクリス・スピード、彼に対して私がお願いしたのは基本的に、鳥のようなサウンドにチャネリングしてください、みたいなことだった。

─(笑)なるほど。

ホルター:(笑)。浮遊するような、とりとめのない即興というノリでね。で、たぶん自分が考えたのは、そうすれば素敵なコントラストが生まれる――あっ、そうだ、それはフルート奏者のマイアにも同じことが当てはまるっけ。ともかく、管楽器がそういう風に飛び回るように演奏すれば、強烈でとても流動的なフレットレス・ベースやグリッサンドするシンセ等、滑奏楽器との良い対比をもたらすだろう、と。それはナイスな対比、そしてテクスチャーだなと感じた。あと、フルートと一緒にやったのは今回が初で、あれは本当に素敵な新たな音色だった。もっとブレスが多い感じで――というか全般的に、ブレス感は自分が求めていたことだった。というのも、このレコードを身体の内側で感じる、とても直感的なものにしたかったし、その呼吸を感じる、そこに人間が息づいているのを感じる、というか。管楽器ならブレスまで伝わるし、たぶん、だから使いたかったんじゃないかな。

─音色面での違いはもちろんですが、異なる動きも持たせたかった、と。画家的なアプローチですね。

ホルター:そう。それに今回は特に、弦楽器を使っていない、というのもある。もちろんベースは除くけれども。フレットレスに、一部でダブル・ベースも使ったけれども、それ以外にこのレコードで弦楽器は登場しない。それから、過去に何度も仕事してきたサラ・ベル・リーが「These Morning」でトランペットをプレイしてくれたから、トランペットも含んでいる。

─加えて、今回のアルバムでは、これまでは他人に負うところが大きかったビートやドラム・プログラミングについても自身が積極的に関わったと聞きました。「Sun Girl」や「Spinning」でその成果を聞くことができますが、どんなことを意識して制作に臨みましたか。

ホルター:そうだな……さっきも言ったように、とても直感的なフィーリングのあるものにしたかったし、と同時にキャッチーさも持たせたかった……かな? うーん、自分があそこで何をしたかったのか、口で説明するのはむずかしい(笑)。ただまあ、私はビートを作りたかったし、ただし、とてもプリミティヴなやり方でそれをやりたかった。ビートをミックスするのも、シークエンサーで繋げるのも好きではないし、とにかく自分でビートをプレイし、重ね、ループする、というか。以前からずっとビートは自分で思いついてきたんだけど、これまでに何曲かで、コール・M.G.N.が洗練された、非常にナイスで凝ったビート・メイクをやってくれて。ただ今回に関してはほんと、自力でやったし(笑)、おかげで遊び戯れるような性質が備わったんじゃないかと思う。ビート作りは長いことやってきたし、自分の初期の作品では多く用いてきた。でも、パーカッション奏者と一緒に作るようになって以来、私の作ったビートを彼らにもっと巧みに処理してもらうようになって。ただ、今回いくつかのトラックでは、レコーディングをやっている間は自分でも求めていたのに気づいていなかった要素、フィル等を自分でプラスしていった。例えば「Evening Mood」や「Spinning」でね。「Sun Girl」ではベス(エリザベス・グッドフェロー)が一部でドラムを叩いてくれてるんだけど、非常にこう、コラージュしてまとめたもの、というか。ドラム・プログラミングをたくさん用いたし、今回自分のビート・メイクという意味で大きい曲と言えば、あの曲なのは間違いない。私の念頭には”リズミックなものを”という思いがあって、それにドラム・マシーン的な、非常にプロセスされた音色を持たせたい、というのもあった。それをあれこれ指示を出すよりも、自分自身でやってしまう方が良い結果を生む、ってこともたまにあるし。というのも、私は抽象的な、分散したビートを求めていたから。

今も深く繋がるLA音楽コミュニティ

─今作の収録曲では、あなたを始めラモーナ・ゴンザレス(ナイト・ジュエル)、ジェシカ・ケニー、マイア、ミア・ドイ・トッドの5人のヴォーカリストが歌声を重ねる「Meyou」もトピックだと思います。ホーミーも連想させるプリミティヴな歌唱が新鮮ですが、このコラボレーションはどういった経緯で実現したのでしょうか。

ホルター:あれは要は、自分のなかに浮かんだファンタジーというか(苦笑)。まず、あのメロディを思いついて――私は過去にもキャサリン・ラムといったコンポーザーの作品(2017年にTriangulumというプロジェクトに参加)で、この曲でやっていることに似た歌唱法を少し経験したことがあって。そこではユニゾンで歌いながら、様々な実験をやったんだけれども……それはともかく、だから数人と一緒にこういう風にまた歌うことに興味があったし、あの、いわば「Me」と「You」の2単語から成るメロディが浮かんだ時、どういうわけかこのメロディは自分がこのレコードで表現しようとしてきたことと通じている、そう思った。こうやって説明するとかなりダサく聞こえるけど(苦笑)、でも、あそこにあるのは……さっきの話に少し戻るけれども、タシの音楽に、彼がユニゾンを追求した作品とも繫がってくるし、今回私が強く求めていたもの、ぜひやりたかったのがユニゾンで、「5人の人間が一緒に歌うと、ユニゾンはどうなるか」ということだった。だから私たち全員が同じメロディを歌った、と。けれども興味深いのは、あの作品を聴き返すと、毎回自分の声を聴き分けられなくて(笑)。

─(笑)。

ホルター:あのトラックの開始部は私が歌ったはずなんだけど、不思議なことに、自分の声のようには聞こえなくて。まあ、ともかく、基本的に指示はシンプルなもので、単に実際的な理由から、まず私が歌い始め、徐々に他の4人が歌に参加していく。で、私たちはしばし離散し、そして再びひとつになる、と。だから回文みたいなものだし、唯一のディレクションは、各人に好きにやってもらう、だった。だから各自にとってのこの作品の解釈、あるいは「こうなってもいいだろう」と思うままにやってもらった。実は、あれは3テイク録ったんだけど、そのどれもみんな、もっとずっと長いピースで。結局カットしたんだけれども、あそこまで短くできるとは私たちも思っていなかった(アルバム収録ヴァージョンは5分55秒)。それこそ、ひとつのテイクは20分くらいだったし。

─そうだったんですか!

ホルター:うん。それくらい長く歌ったっていう(笑)。でも、あれはやっていて本当に楽しかった。そうだな、というわけで…………ごめんなさい、ちょっと言葉が浮かばないけど(笑)、そういう成り立ちだった。あ! だけどこう、意図的なところはあった。だから、誰でも構わない、単純にシンガーを4人引っ張ってくればいい、というものではなかった。言うまでもなく、歌い手はとても慎重に選んだし、それぞれまったく違う、でもみんな素晴らしい声の持ち主で。だからほんと、あの作品のキモは彼女たちというか、あれだけ異なる複数の声が同じひとつのメロディを歌うとどうなるか、そういうことだった。

─その参加した4人のミュージシャンのなかでも、ラモーナ・ゴンザレスはあなたと互いの作品で共演を重ねてきた付き合いの長い間柄になりますよね。あなたから見て、彼女の魅力はあらためてどんなところにありますか。

ホルター:うん、彼女は……私の大のお気に入りのポップ・ミュージックのいくつかを書いてきた人で。すごくキャッチーだし、本当にグレイト。声も素晴らしいし、彼女がプレイするのを初めて聴いた時のことは鮮明に覚えてる。彼女のツアーでバッキング・ヴォーカルを担当したこともあって、あれは本当に楽しい体験だった。彼女の音楽には常にインスパイアされるし、たぶん、とてもキャッチーな音楽を構築できる彼女の能力が、自分はとにかく好きなんだろうな。もっとも、ただキャッチーなだけではなくて、とんでもない深みを、詩的な深みも音楽に持たせることができる人でもある。うん、彼女の音楽には常にこの、詩的な深み、そしてハーモニー面での深みが備わっているけれども、それと同時に、それらをものすごくキャッチーにすることもできる、という。それに、初期の頃に彼女から衝撃を受けたことのひとつが、歌の背後に、しばしばとてもクリアーなアイデアが存在する、という点で。ほとんどもう、私からすれば絵画作品に近い、それくらい明解なヴィジュアルがそれぞれの歌に見えて。だから彼女は、各曲ごとに個別の何かを喚起させていた、というか。ある意味、私にはあんまり上手にやれなさそうな(苦笑)、そういうやり方で彼女は音楽を作っていたし、ひたすら感心させられた。とても複雑なのに、でも同時に本当にキャッチーなポップ・ソングを作れる、彼女のそういうところが大好きだな。でもそうは言いつつ、キャッチーなポップに限らず、彼女はバラードなんかも得意だし……うん、とにかく、彼女のメロディ・センスに、ヴォーカルに……ごめんなさい、この手の質問への頭の準備が整ってなくて、あっちこっちに話が飛んでる(笑)!

─ですよね、こちらこそ、すみません。

ホルター:(笑)いえいえ、気にしないで! 全然OKだし、話していて楽しいから! だからとにかく、彼女の表現力はすごく良いな、と思う。彼女の言葉の歌い方、あれは本当にナイス。どうやったらそれを説明すればいいかな、そうねえ、だから彼女の言葉の発語の仕方は……っていうか、これは今まで自分でもちゃんと考えたことがなかった点だけど、これは本当。彼女が言葉を発する、そのやり方が本当に好き。というのも、ほら、歌い手によっては――いやまあ、これは言語云々によっても差があるんだろうだけど、歌う時に、とある単語を特定の発音で歌うシンガーは多くて、ただしその発音は、文化的に育まれたアクセントとはまったく関連していない、という。で、そうした彼らの発音や特定の単語の発し方が、自分の耳にはやや不誠実っぽく響く、みたいな(笑)?

─(笑)なるほど。

ホルター:そう言いつつ、我ながら何を言ってるのやら……! だって、すべてのアートは、真の意味での作り手の反映ではないんだし……んー、自分でも何を言いたいのか分からない(苦笑)。とにかく、私は彼女の言葉の発音の仕方が好きだ、そういうこと。彼女はその言葉の持つ『音』を引き出している、と。うん、自分が言わんとしているのは、たぶんそれだと思う。

─それは、特にシンガーにとっては重要だと思います。

ホルター:うん、本当にそう。というのも、人々はたまに奇妙なアクセントを敢えて使って、とにかく、単におかしな発音の仕方で言葉を歌うことがあるし……んー、これは上手く説明できないな。それに、なんとなく意地悪を言ってるように聞こえるし。まあ、回りくどい言い方になったけれども、要は、私はラモーナの歌い方が大好きだ、そういうことで(笑)。

ホルターとナイト・ジュエルの共演曲「What We See」、dublab編纂のコンピレーション『Light From Los Angeles』(2013年)収録

─(笑)アルバムの話からは逸れますが、そのラモーナや、先ほども名前の挙がったコールマン・M.G.N.とあなたは、例えばdublabをハブとした地元ロサンゼルスのビート・シーンとも浅からぬ関わりを持たれてきた印象があります。そこには、Leaving Recordsを主宰するマシューデイヴィッドも含まれると思いますが、そうしたビート・シーンとの繋がり、あるいは同時代の地元の音楽シーンとどんな関わりを持ってきたのか/今現在も持っているのか、伺えますか。

ホルター:フフフッ! うん、今も関わっていると思うけど……ただまあ、なんというか私にはずっと、ちょっと妙な、”異なるジャンル/世界を行き来する”みたいなところがあって。

─ええ。

ホルター:だからさっきも言ったように、私の作るビートは超初歩的だし……自分はたぶん、Abletonを使いこなすことはないだろう、みたいな。ただ、私は……(笑)そうだな、自分が思うに……うん、Leaving、そしてdublabはどちらも新しい音楽を学ぶための素晴らしいリソースであり、今もそうあり続けている、そう思う。dublabもLeavingも、自分がとても感心させられるのは……一方はラジオを運営しつつイベント等々も企画・運営する組織、もう一方はレコード・レーベル、と違いはあるものの、どちらもとても上手く運営されていて、しかも自分たちのヴィジョンを貫いている、その意味では共通しているな、と。しかも変化しているし、若い世代をたくさん巻き込んでいて、だから複数の異なる世代が関わることになってもいて。それでも、両者はいまだにとてもインディペンデントな組織だし、彼らは自分たち独自のことをやっているだけなんだろうけど――しかもロサンジェルスみたいな場所でそれをやっている、というね。バラバラに分散した土地柄だし、そのぶん何かオーガナイズするのがむずかしい、みたいな。四方八方にシーンがちらばっていて、常に何か進行中だけど、思いがけない場所でそれが起こる。そんなこの街は常に、少々紛らわしい。だからロサンジェルスで組織を運営するのはあまり楽じゃないと思うし、ただその一方で、ちゃんとヴィジョンを持ったオーガナイザーにとっては実に多くの可能性に満ちた場所でもあって。

マシューデイヴィッドと彼のパートナーのディーヴァ、そして今dublabを運営しているマーク・”フロスティ”といった面々は、本当に優れた仕事をやってきた。何が起きているかを見極め、無名ながらも興味深いことをやっているアーティストを見つけ出し、彼らに様々なイベントでパフォーマンスする機会を与える、あるいは彼らの音楽をリリースする、そういう環境を保ってきた。で、私もそういうアーティストのひとりだったし(笑)、2007年に自分のやった最初のショウもdublabでだった。だからdublabは本当に、私を助けてくれた場だったし、それにLeavingのマシューデイヴィッド、彼は私の最初のレコード『Tragedy』(2011年)をリリースしてくれたし、あれは私にとってとても大きかった。というわけで、うん、あれらの人々すべてに本当に感謝しているし、彼らのローカル・シーンの維持ぶりはとても見事だし、最高だと思う。

dublabが2008年に配信したセッション音源

『ポニョ』から学んだ愛と変容の旅路

─ちなみに、今作は制作にあたって、娘さんが大好きなジブリ映画『崖の上のポニョ』にインスパイアされたと聞きましたが。

ホルター:(笑)ええ、そう。

─あの映画のカラフルな色彩感覚やアイデアに満ちた実験精神に加えて、生と死のはざまの世界を描いたような物語は、先ほども話に出た「身体性」、あるいは「Evening Mood」や「Materia」で描かれている「官能」や「肉体」といった今作のテーマと深いところで響き合っているように感じられます。

ホルター:そうだな、簡単に説明するには、まずざっと要約して、その上でいくつか突っ込んで話すのがいいかな。基本的には……子供の頃に、ディズニーの『リトル・マーメイド』を観てね。あれは子供時代の自分にとって本当に大きくて、ものすごく好きな映画だった(笑)。で、たぶん『崖の上のポニョ』も同じようなストーリーをベースにしていると思うんだけど、ただ、キャラクターとしては、私はポニョの方にもっとインスパイアされる、と。もちろん、2008年頃に公開された映画だから、私は子供としてあの作品を観ることはなかった。けれどもあの、”変身”の物語が好きでね。魚から人間に変身する、彼女は魚から子供に変わる、という。で、どういうわけか、私はこのレコードでは、その”流動性”に興味があって。レコードを作っていた当時、妊娠していたし、そうしたことを考えて……それに、COVIDもあった。だから多くの変化が起きていた時期だったし、人々も自分の身体にもっとフォーカスするようになり、また他者の身体から切り離されてもいた――ウィルスのせいでね。その一方で、私は妊娠に伴う身体的な変化も経験していたし(笑)、あれは初体験者にとってはかなり強烈だった。それでたぶん、私の頭に”トランスフォーメイション”が入り込んだんだろうし、その意味で『ポニョ』と関連があるんじゃないかと。

─なるほど。

ホルター:それに、”死する運命”というのもあった。今の質問で、あなたが「生と死のはざま」と言ったのはとてもいいな。というのも、生と死はこのレコードの大きな部分を占めていると思うから。作っていた間に娘の誕生を迎え、そして、まだ若かった甥の死と向き合うことになった。だから……そのふたつは隣り合わせというか、新たな生命が生まれるたび、一方で死も訪れる、みたいな。私たちみんないずれ死ぬわけだけど、特に、多くの愛情を傾けていた人が亡くなった時に感じる痛みやつらさというのがあって……。まあ、それはともかく、私は身体のことを、人生を経ていくなかで、そして死に至るなかで変容するものとして考えていた。人生を変えるもの/出来事の数々を通じての変化、と身体を捉えていた。

それから、”私たちが愛をどう変容させるか”についても考えた。私たちは自分たち自身の理解に取り組んでいるし、そうするうちに私たちも変化する、というか。例えば、自分の昔のレコードで私が対処していたのは、”遠くからひそかに憧れる”愛や、”あなたが誰かを追いかけ/誰かがあなたを追いかける”型のロマンチックな愛だったんじゃないかと思う。もちろん、私はロマンチックな愛にとても興味があるし、それも私の全体の一部なんだけれども、なんというか、長期的な愛に備わった”深さ”というか……これはたぶん、歳を取ったのも関わっているんだろうな――ほら、友情にしたって同じで、本当に長い付き合いの人たちとの関係って、何につけてもヘヴィになっていくものじゃない? だから、相手を長く知っていればいるほど、彼らとの関係に強烈さが加わっていく、みたいな。その相手が友人であれ、恋人/パートナーであれ……それに、自分の子供であれ(笑)、自分の母親であれ。とにかく、深い愛についてもっと知るようになる、そういうことだと思う。だから今の自分は、古風な”ひとりでひっそり慕う”愛、吟遊詩人的な愛だけではなく、深い愛についてもっと学んでいる、そんな気がする。私は大昔の中世の音楽にとても興味があったし、それは今も同様で。で、そうした中世の世俗音楽の類いには吟遊詩人がよく登場して、例えば”一度お会いしただけの淑女に捧げる頌歌”とか、彼女の面影をどれだけ慕っているか、みたいなノリで。

─(笑)。

ホルター:(笑)でも、私はそれって本当にロマンチックだなぁ!と思った。ただ、年齢を重ね、もっと学んでいくうちに、愛はそれよりはるかに大きいもの、ロマンチックな愛の歌以上のものだと分かってきた、みたいな。とにかく、そうしたことすべてが関わっているんだと思う。

─長期的な愛情は維持するのに努力が必要ですし、樹を育てるようなものですよね。大変だけれども、そのぶん最終的には素晴らしいものが生まれるのではないでしょうか。

ホルター:なるほど。

─対して、ロマンチックな愛は、エキサイティングな花火に少し似ているかもしれません。

ホルター:(笑)ああ、うん。

─「素敵!」と夢中になっても、時に、長続きしないこともあるかと。

ホルター:(苦笑)ええ、長続きしない、というケースもある。

Photo by Camille Blake

─月並みな質問で恐縮ですが、出産を経験したこと、あるいは母親になったことはアーティストとしての自分をどう変え、また自分が作る音楽にどんな変化や影響を与えたと感じていますか。

ホルター:ああ、そこはまだ、自分でも見極めようとしているところじゃないかと。あの経験がアーティストとしての自分を大きく、深いレベルで変えた、ということはないと思うけれども、ひとりの人間として言えば、今、自分自身についてもっと学んでいると思う。というのも……(苦笑)例えば、自分は注意力散漫だな、とか。フフフフフッ! 親になると、とにかく秩序立った生活をする必要があるし、どういう風に仕事し、パートナーと時間分担するか、そして子供のそばにいてあげて、サポートし、その場で集中して向き合う、そういった数々の術を学ばなくちゃならない。で、それらをやるのは、自分のようにちょっと元気の良過ぎるアーティスト/パーソナリティ(苦笑)にとっては楽じゃない、というところもあって……いや、楽じゃない、というのとは違うな。それよりも、時にそれらは課題になるってことだし、ただし、自分にとっては本当に良い意味での課題だ、と。それに、積極的にやりたい事柄でもある。私は愛情でいっぱいの人間だから。つまり、それは何も悪いことではないし、本当に歓迎すべき良いことであって。ただ、どうしたって私の作品を何らかの形で変えていくだろう、それは間違いないと思うけど、自分がその変化を完全に、100パーセント意識しながら、ということはないだろうな。

─分かりました。そろそろ時間ですので、終わらせていただきます。ありがとうございました!

ホルター:こちらこそ、本当にありがとう! バーイ!

ジュリア・ホルター

『Something In The Room She Moves』

発売中

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