日本テレビ系ドキュメンタリー番組『NNNドキュメント’24』(毎週日曜24:55~)では、『東日本大震災13年 生きる支え 私のこれまでとこれから』(テレビ岩手・ミヤギテレビ・福島中央テレビ3局共同制作)を、きょう10日に放送する。

  • 福島の小泉良空さん

2万2千人を超える死者・行方不明者と、原発事故による避難者は最大で16万人を超えた東日本大震災。大切な家族の命を理不尽に奪われ、原発事故で移住を余儀なくされた人たちは、泣き、迷い、多くの出会いを経て、それぞれの歩みを進めてきた。

岩手では、津波で祖母が行方不明となり「命を守る職」を選んだ23歳の警察官が。宮城では、妹の死から10年を経て、「思い出が消えてしまわないために」語り部を始めた20歳の女性が。福島では、原発事故で一時は住めなくなった故郷に戻り「私はこの場所で生きていく」と覚悟を決めて活動を始めた27歳の女性が…。震災当時は子供だった20代の若者3人、その歩みの途中には、それぞれの「よすが」=自分の大切なものに気づくターニングポイントがあった。

震災に限らず「大切なもの」を失った人が、絶望を乗り越える「心の支え」は、どれほど大切な存在なのか『NNNドキュメント』の「大震災シリーズ」105本目として「災害ニッポン」への新たなメッセージを、花澤香菜のナレーションで送る。

岩手:命の教訓 新人警察官の“よすが”

岩手県警・盛岡東警察署に勤務する海藤成樹巡査(23)は震災当時、釜石市立鵜住居小学校の5年生。三陸に古くから伝わる「津波てんでんこ(=「津波が来たらてんでんばらばらに逃げなさい」の意)」の教えを守り、子どもたちが手に手を取って高台へ逃げた「釜石の出来事(奇跡)」の体験者だ。千葉県の大学を卒業後、「未来の命を守りたい」「震災を経験した身としてたくさんの人に伝えたい」と警察官を志した海藤さん。震災当日、学校にいた子どもたちは全員、助かった反面、鵜住居地区では高齢者を中心に多くの犠牲者が出た苦い記憶が胸の中に淀む。そして、一緒に暮らしていた祖母のミネ子さん(震災当時59)は、現在も行方不明のまま。過酷な体験を通して警察官として歩みだした男性の生きる原点と心の支えを見つめる。

宮城:忘れないために 語り始めた二十歳の“よすが”

東日本大震災で2歳下の妹・春音ちゃん(当時6)を亡くした宮城県石巻市の西城楓音さん(20)。変わり果てた妹の姿を目の当たりにし、「ただ、怖かった」と振り返る。周りの友人は家族を亡くした人も家を無くした人もおらず、自分の悲しみや苦しみを誰かに話すことができなかった。思いを言葉にせず、10年が経った。言葉にしなかったのは、それが正解だと思っていたからだ。楓音さんは今年二十歳になり、語り部として活動を始めた。

楓音さんが今「一番怖いと思うこと」は、妹との思い出が消えてしまうこと。当時の感情を忘れないためにも、楓音さんは語り続ける。今、実家には「18歳に成長した春音ちゃん」が描かれた絵がある。楓音さんの夢に出てくるのも18歳になった春音ちゃんに変わったという。悲しみも、後悔も、吐き出すように語る楓音さんの言葉は、震災を知らない子どもたちの心に深く突き刺さる。語れない時間を過ごしてきた、楓音さんの「これまで」と「これから」を伝える。

福島:仲間とともに 27歳「大熊女子」の“よすが”

「もう大熊町ってないんじゃないの?」…福島第一原発が立地する福島県大熊町出身、小泉良空さん(27)は、取引先に言われてショックを受けた。中学2年で被災し、故郷を突然追い出された。放射能の影響で2019年、大熊町の実家は取り壊された。時間が経つにつれて、それでも自分が一番幸せでいられる場所は故郷の大熊町だと思うようになった。福島市での仕事を退職し、「復興の過程をこの目で見たい」と2021年、隣町のまちづくり企業で働き始めた。

故郷の大熊町には復興を後押ししようと県外から同年代の移住者が増え、良空さんには「この場所で生きていく」たくさんの仲間ができた。子どものころ、残りたくても残ることのできなかった故郷・大熊町。「中断された故郷の未来は、私たちが作っていく。大熊町はなくなってなんかいない。いつか、実家の跡地に再び家を建てるんだ」という思いを持って。