――生前親交のあった古舘伊知郎さんは、自身のYouTubeで「一言で言うと、すっごい気が強い人」とも表現していました。

ものすごく意志が強い方でしたね。ああ見えて強情なところがあるんです。それが垣間見えたのは、『SHOW by ショーバイ!!』のパイロット版(試作版)を作ったときで、(解答者の)山城新伍さんが「ちょっとお手並み拝見」とばかりに、逸見さんにビーンボールギリギリを放ってくるですよ。それに、逸見さんが結構立ち向かっていったんですよね。あれを見て、結構気が強い人だなと思ったんですけど、あの食い下がっていく姿勢をものすごくプラスに捉えて、それがゆくゆくは逸見vs山城っていう『SHOW by ショーバイ!!』がヒットする一因にもなったんです。

――山城新伍さんとの対立軸は面白かったです。

当時の山城さんと言えば、『アイ・アイゲーム』(フジテレビ)で「チョメチョメ」とか言葉遊びを使って一世を風靡して、もうクイズ番組の司会者としては百戦錬磨ですよ。あれは1回目の放送だったかな、会話で霧にまつわる話の時「視界不良……司会不良!」と言ったり、「こっち(解答者席)と交代する?」って逸見さんにかましてくるんです。それに対して、逸見さんは弁慶に立ち向かう牛若丸のように切り返していく。そんなやり取りをしていくうちに、山城さんは逸見さんの持ってる天賦の才能を途中から完全に認めて、その対立軸を、番組を面白くする武器に使い出したんですよね。

  • (左から)逸見政孝さん、志茂田景樹、美川憲一=『夜も一生けんめい。』にて(逸見太郎氏提供)

――『SHOW by ショーバイ!!』以外にも、日テレでは『夜も一生けんめい。』『いつみても波瀾万丈』と3本のレギュラーを抱えていました。

『夜も一生けんめい。』は、タレントが持ち歌じゃなく、人の歌を歌うという番組で、逸見さんがいたからできた番組ですよね。お天道様の下を堂々と歩く昼間の世界代表の逸見さんと、夜の世界を泳いできた美川憲一さん、そこに田中律子、杉本彩という女性のアシスタントがいて、3代目が設楽りさ子ちゃんだったんだけど、彼女の最後の日にカズ(夫になる三浦知良)が来てトシちゃん(田原俊彦)の歌を歌ってくれて、とてもメモリアルな回になったんですよ。それで、カズとりさちゃん結婚式の司会を、逸見さんがやることになったんです。あれが、テレビ番組以外のイベントでいうと最後の司会だったと思います。

――93年8月ですね。

僕はあの結婚式のプロデューサーをやったんですけど、逸見さんに「司会のアシスタント、誰とやりたいか好きな人言ってください。僕が仕込んできますんで」って言ったんです。あの式には、主賓で渡邉恒雄氏(当時・読売新聞社長)と、うちからは氏家齊一郎さん(当時・日本テレビ社長)の両巨頭がいて、逸見さんが司会で断る人はそうはいないから、女優さんでも仕込めると思ってたんだけど、逸見さんは「高田純次がいい」って言うんですよ。「えー! 高田純次~!?」って驚いて(笑)。もう逸見さんは純ちゃんが大好きで、一度番組関係なく組んでやりたかったと言うんで(※)、ものすごい楽しみにしてましたね。純ちゃんもあんな感じですから、まあ面白い式になりましたよ(笑)

(※)…『SHOW by ショーバイ!!』に準レギュラー解答者として出演していた。

  • 『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』で逸見さんとMCタッグを組んでいた渡辺正行(右)と=93年『24時間テレビ』にて(小杉氏提供)

フジテレビの良さを日テレに持ってきてくれた

――『SHOW by ショーバイ!!』から日本テレビにはどんどん人気番組が生まれ、94年についにフジテレビを抜いて視聴率三冠王となります。

三冠王になるのは逸見さんが亡くなった1年後なんですが、日本テレビにとって恩人だと思っています。逸見さんがフジテレビの持っていた明るさを日本テレビに持ってきてくれて、雰囲気を変えてくれた感じがあるんですよ。これはみんな言ってました。当時の日本テレビは、すごく革命的な番組もやってたんだけど、チョモランマ(※)とか単発が多かった。そこに逸見さんがレギュラーで番組やってくれて、フジテレビの良さを自分ごと持ってきてくれたというイメージがありましたね。

(※)…世界最高峰のチョモランマ頂上から、世界初のテレビ生中継に成功した『チョモランマがそこにある』

――番組対抗の特番があると、日テレのいろんな番組の出演者やスタッフの皆さんが参加するので、そこから逸見さんの持っていた空気感が伝播していくというのがあったのでしょうか。

そうですね。そんな感じがありました。

●小杉善信
1954年生まれ、富山県出身。一橋大学卒業後、76年に日本テレビ放送網入社。制作局に配属され、『それは秘密です!!』『ほんものは誰だ』など公開バラエティ班でAD、『木曜スペシャル』の『世界びっくり大賞』などのディレクターを担当。その後、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』『夜も一生けんめい。』『いつみても波瀾万丈』『マジカル頭脳パワー!!』などのプロデューサーを務め、『24時間テレビ15』(92年)では「サライ」「間寛平マラソン」を企画。94年にドラマ班に異動し、チーフプロデューサーとして『家なき子』『金田一少年の事件簿』『星の金貨』『恋も2度目なら』を手がける。その後、編成部長、営業局長、編成局長、日テレアックスオン社長、取締役編成局長、常務、専務、副社長を経て、19年に社長、21年に副会長就任。22年から顧問、日テレアックスオン エグゼクティブアドバイザーを務める。