ナレーションが一切入らないのも、この番組の特徴。そこには、「皆さんが撮ってきたVTRに“と、そこで…”とか、“3日後…”とか声を入れてしまうと、僕ら制作者が作った話に感じられて、没入感がなくなっていくのではないかと思ったんです」という狙いがある。ナレーションを入れないとシーンの切り替えがしづらく、時間尺が伸びてしまうが、「それよりも、こどもディレクターと親だけの空気感を、斎藤工さんたちと覗いてみるという構図を守りたかったんです」と判断した。

とはいえ、一般の人が撮影した映像素材をナレーションなしでつなぐのは、ディレクターの腕の見せ所。その編集で意識するのは、こどもディレクター本人の思いに沿ったVTRにすることだ。

「カメラを返してもらうときに、“やってみてどうでしたか?”と、気持ちの変化や本人の感情をしっかり聞いて、それに沿った編集にするという意識を、ディレクター陣で統一しています。何時間もカメラを回してくれたので、意にそぐわない形にはしたくない。その人の追体験をしていくVTRにしています。ディレクターには『オモウマい店』のスタッフもいますし、『ハイパーハードボイルドグルメリポート』をやっていた方もいて、みんな人と向き合ってきた人たちなので、そこはとても丁寧にやっていただいています」

一般の人に撮影してもらった素材を見て、逆に学ぶことも「めちゃくちゃあります」という。

「人が撮れていなくても、その現場の緊張感は伝わるということを改めて感じました。誰も映っていない机の画に、お母さんが“あんたもそろそろ50歳になるんでしょ?”と言ったら、息子さんが“そうだよ、もうおっさんだよ。信じられないよね”と答えるだけの会話があったんですけど、画としては何も撮れてなくても、その場の空気がすごく伝わってきたんです。

 それと、テレビって完成された物語を求めて、事前に構成をイメージしてそれに当てていくように撮っていきがちなんですけど、皆さんの撮ってきた映像は“入口”と“出口”が全然違うことがあるんです。従来のテレビだったら、最初に聞きたかったことを補完したくなるんですけど、結論がずれてもいいんだと思って、そこは上出さんとも話して、編集で順番を入れ替えてきれいな構成にするのではなく、リアルでいこう決めました」

身をもって“こどもディレクター”を体験「不思議な充足感」

北山D自身も親に対して「聞きたいけど聞けない」疑問があったが、それは第1弾の放送で実現した。内容は、13年前に離婚した両親に、別れる前の食卓のことについて聞きたいというものだった。

自らのプライベートをさらす上、母親に聞きながら思わず涙する姿も放送されたが、実際に自分が“こどもディレクター”になってみたことで、「こんなに緊張するんだとか、これは撮りにくいよなあとか、難しさを知りました。大人になってはじめて親と向き合うということの照れや、答えを聞いた時の不思議な充足感もあって、この機会じゃなかったら聞かずに終わってたなぁ」と、身をもって体験することができた。

それを踏まえて、作っていたVTRを見直し、修正を加えることも。

「親のもとに向かう道中が一番緊張するのでその部分を3秒伸ばしたり、黙ってしまうノイズだけの空間は普段なら切ってしまうところなんですが、この間が大事なんだと思って残したりして、もっとリアルに寄せていきました。そして何より、こどもディレクターの方が見終わった後に取材をして良かったと思っていただけるように、愛があふれるように描きたいと、本当に細かいところですが直しましたね」

また、この企画が成立したことに、テレビというメディアへの信頼感を改めて感じたという。

「あそこまで自分のプライベートを撮ってくれて、こちらに編集を任せて、放送させてもらえるということに、テレビがまだ信頼されているんだというのをすごく感じました。そこは、他のメディアにない部分だと思うので、テレビマンとしても一人の人間としても、人とまっすぐ真摯(しんし)に向き合う姿勢を、これからも突き詰めていかなければと思いました」