恥ずかしながら…、と最近は前置きした方がいい雰囲気だが、ここは敢えて堂々と言わせてもらうと、僕は喫煙者だ。
はっきり言ってたばことは、人生を豊かにするものだといまだに信じている。 非喫煙者に言わせるとそれはニコ中特有の錯覚、勘違いだということになると思うけど、まったく個人的な感覚として、一服すると本当にリラックスできるのだから仕方がない。
■デザインも機能も吸いごたえも価格も一際優れ、勝負に出た感のあるJT『Ploom X』
JTの電子加熱たばこデバイス『Ploom X』シリーズを愛用している。
専用たばこスティックは「メビウスRED OPTION」という、少し甘いフレーバーがついたメンソールが気に入っていて、1日に20本入り1箱弱を吸う。
2021年夏に発売開始された『Ploom X』は、JTグループが総力を結集して開発した、高温加熱型のたばこ用デバイスで、“次世代のグローバル共通モデル”と位置付けられている。
デバイスは表面にボタンのない、非常に美しい滑らかなデザインで、たばこの吸い応えは抜群に良い。
定価は発売当初3,980円だったが、2022年11月からは1,980円に値下げ。
しかも、他メーカーから乗り換えすれば、780円で買えるキャンペーンを長く継続している。
専用たばこスティックの価格も、僕が吸っている「メビウス」シリーズは、2023年3月にそれまでの570円から500円に引き下げられた。
ライバル各社のものと比べると1割程度安いし、何より値段がどんどん上げられるのがデフォルトであるたばこ関連商品で、この時代に“値下げ”というのが驚きだった。
『Ploom X』の機能性やデザイン、また価格設定やキャンペーンの連打などを見ると、JTは海外勢に押され気味だった加熱式たばこ業界で、いよいよシェアを奪い返すため本腰を入れたのだなと思える。
現在、僕の手元には3個の『Ploom X』デバイスがある。
デバイスなんて一個あれば事足りるのに、なんでそんなに持っているのかというと、最初に買ったやつはうっかり落としてしまい、スティックを差し込む部分を覆う上部の蓋が取れてしまったからだ。
もしかしたら現行品は改善されているのかもしれないけど、この蓋の取れやすさが、当初の『Ploom X』の唯一の弱点だったと思う。
でも、蓋がなくてもたばこを吸うのに支障はないので、そのまま継続して使っていたのだが、やっぱりカッコ悪いので色違いでもう一個追加購入。
一つは持ち歩き用、もう一つは車の中に置いておくようと使い分けしていた。
そして先日、11月に発売されたばかりの『Ploom X ADVANCED』が、今ならキャンペーン価格の980円(定価は1,980円)だということを知り、ついまた乗せられて買い求めてしまった。
ちなみに『Ploom X ADVANCED』にも引き続き乗り換え割引キャンペーンは適用されるので、他社デバイスと引き換えれば780円で購入することができるそうだ。
『Ploom X ADVANCED』は『Ploom X』の進化版で、比べると確かに使い勝手や吸い心地が向上しているのを感じるが、マイナーチェンジなのでそこまで大きな変化ではない。
色は、新しく追加されたかっこいいマットブラックを選んだ。色以外のデザインに、両者の間の違いはないようだ。
だから古いデバイスも並行して使い続けているので、3個持ちというおかしな状況になっているのである。
そんな感じで迷いなく電子加熱式たばこライフを楽しんでいる僕だが、そもそもなぜ時代の潮流に反してまで喫煙者であり続けるのか、僕とたばこの関係を思い返しながら考えてみようと思う。
■たばこが自分にとって人生の友となってしまった理由と経緯
たばこを最初に吸ったのは、中学生の頃だった(時効ですよ)。
と言っても基本的に僕は真面目な生徒だったので、常習的に吸っていたわけではなく、やんちゃ系の友だちがたまに自分の吸っているたばこを「吸ってみな」と渡してくれたので、少し試してみたにすぎない。
当然、まったく美味しいとは思えなかった。
高校時代も同じような感じで、たまにいたずらで吸う程度。
RCサクセションの『トランジスタ・ラジオ』よろしく、わざわざ学校の屋上にのぼって吸ってみたこともあったけど、煙くて臭いだけで何がいいのかよく分からなかった。
ただ、「たばこの煙って本当に青いんだ」とは思ったけど。
浪人の身のやるせなさで本格的にたばこに手を出し、その頃、やっと美味しさが分かってきた。
そう言えば、浪人中に通っていた河合塾の小論文の先生が面白い人だった。
その先生は、とにかく自分独自の目線や反体制の目線を持つことの重要性を説いた。目先の大学入試テストに役立つだけではなく、人生そのものを豊かにしてくれるからと。
先生が講義で話す、「ブルーザー・ブロディの革新性について」や、「江川卓引退にまつわる心理学的考察」などは、今でもはっきり覚えているほど面白かった。
その先生はアルバイトで予備校講師をしており、本職は心理カウンセラーだということだったので、僕も進学先として臨床心理学を学べる学部を最優先に選んだほど、影響を受けたのだ。
ある日、その先生がたばこについて語りだした。
長い話だったが要約すると、たばこがダメだ、たばこは害ばかりだというヤツは馬鹿。たばこを吸いながら、深い思索をしたことがない者がたばこを忌み嫌う。深みのある大人になるために、みんなしっかりたばこを吸いなさい、と。
いま考えたら、とんでもないことを言っていたものだと思うけど、まあ昭和という大昔の話だ。
大学生になった後の僕は、足繁くライブハウスやクラブに通った。好きなバンドやDJが奏でる爆音とたばこ臭い空気が、何とも言えない居心地の良さと幸福感をもたらしてくれた。 そんなこんなで洗脳されてしまい、すっかり喫煙が習慣になってしまったわけです。
■愚かな行為だとは分かっていてもやめられないたばこだから、せめて電子加熱式で
就職して都心の会社に通うようになった当時、日本はまだまだ喫煙者にとっては天国、非喫煙者にとっては地獄のような社会だった。
電車の中では我慢するけど、乗り換えの駅に着いたらホームですかさず着火。吸いながら駅の地下道を歩き、地下鉄のホームで電車が来る寸前に、線路に向かって吸殻をポイっ。
会社に着いたら、またデスクでプカプカ…。
僕が特別に非常識なわけでもワイルドなわけでもなく、当時はそれが普通で、周りの人たちもみんなだいたいそんな風にしていた。
よく考えたら、すごいことだ。90年代前半なんてついこの前のようだが、たばこのことだけ思い返してみても、今とはかなり異なる社会だったということが分かる。
今は喫煙者に風当たりの強い社会に変わったが、それでもたばことの美しい記憶は頭から離れないし、たばこの美味しさは変わらない。
禁煙は、人生の幸せを一つ奪われるようなものだと思ってしまう。
そもそも喫煙というのは、吸わない人から見れば愚かな行為でしかないだろう。
だが人間には、他人から見ると馬鹿げた行為、愚かな行為であっても、迷惑をかけない範囲であれば誰からも邪魔されない“愚行権”というものを持っている、という説がある。
「生命や身体など自分の所有に帰するものは、他者への危害を引き起こさない限りで、たとえその決定の内容が理性的に見て愚行と見なされようとも、対応能力をもつ成人の自己決定に委ねられるべきである」という主張であり、僕はまったくその通りだと思う。
僕だってたばこは良くないと思い、これまで何度も禁煙を試みている。
だけどそのたびに失敗して現在に至るのだが、今やもうなかば諦め、せめて他人に迷惑はかけないようにするので、“愚行権の行使”ということで許してもらおうと開き直っている。
それでもリスクが一段と高い紙巻きたばこから、愚かさも少しは軽いであろう電子加熱式たばこへと、2015年に出たばかりのフィリップモリスiQOSに飛びついて以来、完全移行したのである。
今の僕に「たばこなんてダメダメ。体に悪い悪い。今すぐやめろやめろ」と一番うるさく言うのは、愛する中3の娘なのだけど、こればっかりはどうにも…。 愚かなる父で、誠に申し訳ない。
文・写真/佐藤誠二朗