没後60年となる今もなお"世界のOZU"と敬愛される、日本を代表する映画監督・小津安二郎。1903年12月12日の生誕から120年を迎えたことを記念し、『連続ドラマW OZU~小津安二郎が描いた物語~』と題して、小津監督の初期サイレント映画群が、豪華俳優&監督陣により現代設定に置き換えられ、カラーかつトーキーのオムニバスドラマ形式で11月12日(日)午後10時からWOWOWで放送・配信される。下町の庶民の生活を描いた人情喜劇<第1話「出来ごころ」>(脚本・監督:城定秀夫)で、妻と別れ息子の富夫と二人で暮らしながらも、酒や博打に夢中になってしまうダメ親父・喜八役を演じた田中圭に、コメディに対するアプローチ方法や、"俳優・田中圭の強み"について、語ってもらった。

  • 田中圭

    田中圭
    ヘアメイク:花村枝美(MARVEE) スタイリング:柴田圭(tsujimanagement)

普遍的な親子愛や、人情味を大事にしながら演じた

――本企画へのオファーを受けた際の心境は?

まずは、城定監督からお声がけいただけたと聞いて「やった~!」とわかりやすく浮かれました。以前、城定監督とご一緒した『女子高生に殺されたい』の"上がり"が本当に素敵で、城定監督の撮るワンカットの画の強さやカッコよさに魅了されて、『いつかまた絶対ご一緒したいな』と思っていたので。そこから小津(安二郎)さんのことを調べ始めてオリジナルの『出来ごころ』も観たのですが、正直「なんで喜八が僕なんだろう?」と思いました(笑)。

――たしかに、オリジナル版で喜八を演じた坂本武さんとはお調子者っぽい雰囲気は通じるものの、趣は異なりますよね(笑)。喜八役には、どのようにアプローチされましたか?

これは僕がこの仕事を始めてから長らく苦しめられていることですが、もともと"無精髭"が生えない体質なんです。今回も、城定監督やヘアメイクさんと相談して「付け髭でやろうか」みたいな話もあったのですが、やっぱりどうしても不自然になりそうだねという話になって。結果、髪型をボサボサにしてズボラさを出すことになりました。とはいえ、僕はもともと、見た目から作りこんでいくタイプでもないので、正直そこはあまり気にならなかったです。

――あくまでも、お芝居で勝負するということですね。

この物語においては、喜八と息子である富坊との間に流れる独特の空気感や関係性みたいなものが一番の肝になってくると思っていたので、そういった部分に関しては、カメラが回っていないところでもすごく大事にしました。城定組は基本的にワンカットで撮ることが多いので、セリフの行間を自分たちの間合いで埋めなきゃいけない瞬間がたくさんあるんです。なので富坊とも、そこを自然に埋められる関係性を作り上げていかなきゃなと思っていたのですが、富夫役を演じた森優理斗くんは、お芝居もすごく抜群な上に、いい子で、可愛いし、懐いてくれるし、一緒にやる上で何の問題もなかったです。

――小津作品ならではの、作品の根底に流れる世界観のようなものも意識されましたか?

「小津調」みたいなものに関しては『城定監督に任せておけば大丈夫』という気持ちがあったので、僕としては『出来ごころ』という作品が持つ何十年経っても変わらない普遍的な親子愛や、人情味を大事にしながら演じました。城定監督は、撮影も早くて何をやるにもキッチリされていて、職人的な監督なんです。無理も言わずに黙々と取り組むイメージもある一方で、小津さんへのリスペクトや、自分なりのこだわりみたいなものも当然強い監督だと思うので。

(C)松竹株式会社、須藤秀之

――現代設定に換えたことで、オリジナルのどの部分がより色濃く出たと思われますか?

現代設定にしたとはいえ、昔っぽい話ではあるはずなのに、それでも彼らを自然に見られてしまうのは、時代が変わろうとも人間の気持ちの根本にあるものが変わらないからだと思うんです。派手なエンタメ作品や見ごたえのある社会派作品も多いなかで、『こんなにもシンプルな親子のお話で、観た後これほど温かい気持ちになれるんだ』という驚きもありますが、きっとそれこそが小津さんが僕らに伝えたかったことでもある気がしていて。そんな作品に参加させていただけるのは、まさに俳優冥利に尽きます。完成したドラマを観た時、僕は自分で演じているからどんな終わり方か知っていたわけですが、「あっ、終わった!」と思ったんです(笑)。「 できることならこの親子の姿をもうしばらく観ていたかったな」という“余白”が、小津さんや城定監督からの宿題というか、プレゼントなのかもしれないと思いました。

―― 田中さんは、コメディ作品にも数多く出演されていらっしゃる印象があるのですが、今回のような「人情喜劇」作品に取り組むにあたっての、田中さんのアプローチ方法は?

日常の延長にある人間の滑稽さみたいなものを描くときは、シリアスにやればやるほど、逆に面白くなるのではないかと僕は思っていて。それこそ、共演する方とのバランスだったり、自分の持っているものと、演じるキャラクターとのバランスだったりによっても変わってきたりもするので塩梅が難しいところではあるのですが、基本的にはどんなときでも、自分ではコメディだと思ってやらないのが僕にとっての理想的な芝居なのかもしれません。『女子高生に殺されたい』にしても『出来ごころ』にしてもそうですが、城定監督とやるときは、僕はいつもド・シリアスのつもりでやっているんです。それでも、城定監督の遊び心みたいなものは自然とにじみ出てくると思うので。たとえば、今回のドラマで言えば、サイレントに切り替わる場面があるのですが、そういうところは純粋に『コミカルでかわいらしいな』と思いながら楽しく演じましたが、喜八が髪の毛をビシッとして、変なスーツを着て、花を持ってプロポーズしようとする場面は、喜八本人としては、至って真面目にやっている。真剣にやっているからこそ、面白さが際立つと思っていて。そういうバランス感覚は、城定監督とも一致するんじゃないかと思います。

どんな監督のどんな作品でも大きくズレるということはない

――そういった意味では、見た目はともかく、今回の喜八役には田中さんの持ち味が活かされているなと感じたのですが、ご自身としては"俳優としての強み"について、どのように捉えていますか?

なんだろうな。大体がハマることかなと思います(笑)。どんな監督のどんな作品で、誰と一緒にやったとしても、きっと大きくズレるということはないと思っています。というのも、僕自身は、圧倒的に受けの芝居が多い俳優なので。目の前で起きていることを常に大事にしながら演じるようにしているし、いまそこで生まれたものを、無視したり、逃したり、取りこぼしたりすることは絶対ないので。そこについては、自分にとって"強み"といえば強みなのかもしれないです。でも、逆に言えば自分から何かを「発信したい」とか「こう表現したい」「自分の思いを伝えたい」「俳優としての生き様を伝えたい」みたいなものは一切ないので。そこはある意味、弱いと言えば弱いのかもしれない。

――それは、田中さんにもともと備わっている天性のものなのか。それともキャリアを積まれてきた中で自然と育まれてきた感覚でしょうか。

両方だと思います。それこそ資質もあれば、経験値として培ってきたものでもあるでしょうし。あとは、僕に沁みついている根っからの気質じゃないのかな。

――なるほど。田中さんは、「サービス精神が旺盛」というか、「やるからには関わる人を全力で楽しませたい」「いいものを作りたい」というお気持ちが強い気もするのですが。

そうですね。「みんな楽しければいい」という思いが自分のなかの大前提としてあって。結局、これもすべてバランスにはなってくるとは思うのですが、 「現場がすごく辛くて、全然楽しくないけど、"上がり"はすごくカッコいい」という作品には、僕はあまり惹かれないんです。でも、だからと言って「現場はすごく楽しいけど、"上がり"は微妙」みたいな作品も、最悪じゃないですか(笑)。もちろん、時には追い込まれることも必要だとは思うのですが、追い込まれ方にも色々あるので。とはいえ、僕自身はどれだけしんどい現場でも、それほどしんどいと思わず楽しめてしまえる性分なので。そこは有利に働くところかもしれないです。結局は、出来上がった作品を観た人たちが、ハッピーになってくれたり心を動かしてくれたりするのが、一番いいことだと思うので。

――つまり、田中さんにとって城定組は、「現場も楽しい上に、上がりも絶対カッコいい」そのバランスがとてもいいということですね。

そうですね、城定組の現場は、僕はものすごくやりやすいです。城定監督はあれだけ才能があってすごい方なのに、 謙虚で控えめで。「みんなで楽しくやりましょうよ」というタイプなので、好きなんです(笑)。

――それはそのまま田中さんご自身にも通じますよね。何をやらせてもハマるところも。

人間はどこまで行っても“ないものねだり”してしまうものだから、仕方ないなと思いつつ、俳優も表現者と捉えるのであれば、やっぱりなるべく引き出しを増やしておいた方がいいのだろうなと常々考えています。ただいざ現場に入ると『やっぱり余計なことは考えないでやるのが正解だな』と思ってしまいます。日々現場でいろんなタイプの俳優の芝居に触れるなかで、「こういう表現の仕方もあるよな」「こういう個性の出し方もあるよな」と憧れたりもしますし、どのやり方がいいとか悪いとかいうわけではなく、あくまでも手法の一つとして自分も取り入れて、芝居の幅をもっと広げた方がいいのかなとか。そろそろこれまでとは違うやり方も覚えていった方がいいのかな、みたいなこともおぼろげながら思う時もありますが、果たしてどれが正解なのか、誰にもわからないので。だから最後は深く考えすぎないようにしていまです。それが、いまの僕の結論です(笑)。