第78回日本消化器外科学会総会にて7月13日、遠隔手術の実証実験を実施。実験に先立ち、本プロジェクトの概要やロボット企業および通信事業体の取り組みを紹介する基調講演が行われた。
少子高齢化や医療資源の地域格差などの医療における、さまざまな課題が顕在化している中、その解決策のひとつとして、ICTの活用が大いに期待されている。厚生労働省は平成30年に「オンライン診療の適切な実施に関する指針」を発出し、令和元年の同指針の改定においては「遠隔手術支援(遠隔地の指導医が現地の術者に代わって部分的に手術操作を行う)」についてもオンライン診療に含めることが明記された。
このような背景の中、NPO法人外科支援機構弘前、ロボット企業のメディカロイド、そしてNTT東日本が共同で、約740km離れた、日本消化器外科学会総会の会場である函館アリーナ(北海道函館市)とMIL東京(東京都新宿区)の2拠点をつないでの実証実験を実施し、大きな注目を集めた。
遠隔手術が拓く消化器外科の近未来
実証実験に先立ち、「遠隔手術が拓く消化器外科の近未来〜遠隔手術社会実証試験〜」と題して行われた基調講演では、まず最初に、北海道大学消化器外科IIの平野聡氏が登壇。「遠隔手術の社会実装に向けて」をテーマに、今回の実証実験を詳細が紹介された。
これまで複数回の実証実験を行った経験を持つ平野氏は、実験の詳細を紹介する前に、まずは遠隔手術の歴史を紐解いていく。世界初の遠隔手術は、2001年9月7日に実施された、大西洋を横断した飛行士の名前にちなんだ「リンドバーグ手術」と呼ばれるもの。その名の通り、アメリカ・ニューヨークと大西洋を挟んだフランス・ストラスブール間、往復14,000kmを専用線(海底ケーブル)で繋ぎ、胆嚢摘出術が遠隔で実施された。
遠隔手術では通信などの遅延が大きな問題となるが、この時の体感遅延は155.0ms。約0.16秒という遅延時間について、これまでの経験から平野氏は「ちょっと大変だったのではないか」との感想を付け加えた。手術は無事成功し、2000年初頭には、アメリカやカナダ、そして日本でも九州大学を中心に実証研究や臨床実験が行われたが、通信回線や情報処理の技術が未発達だったことに加え、セキュリティの問題やロボットの開発が中止されたこともあり、遠隔手術の開発はいったんストップされることになった。
しかし、光ファイバー網が発達し、情報処理技術や通信技術が飛躍的に進歩したことにより、遅延の問題も解決。さらに社会背景として、外科医不足と医師の地域偏在による地域の外科診療機能低下といった問題に直面するに当たり、あらためて遠隔手術の必要性が高まったという。
遠隔手術が実現すると、患者視点では「長距離移動に伴う負担の軽減」「地元病院での治療選択肢が拡大」、地域医師視点では「地域で指導医からの直接指導」「人的資源の効率的活用」「指導医の負担軽減(働き方改革)」といったメリットがもたらされ、外科医療が直面する問題解決に繋がると平野氏は強調する。
すでに実施されている、遠隔から画像や音声で指導する「遠隔手術指導(Telementoring)」に加え、現在は、現地に医師がいる状況で遠隔操作で手術をサポートする「遠隔手術支援(Telesurgical support)」をメインに開発が進められている。遠隔操作のみで直接患者を手術する「完全遠隔手術(Full telesurgey)」については、安全性の面から我が国では認められていないが、技術的には十分実現可能な状況になっているという。
本プロジェクトは、日本医療研究開発機構(AMED)による日本外科学会主導の事業で、現在2期目となっており、令和2~3年の1期目にはガイドラインが作成され、施行可能な術式や術者要件、現地施設の要件、責任の按分などを規定。令和4~6年の2期目は、社会実装の実現に向けた検証を具体的に行うフェーズとなっている。これまでさまざまな実証研究が行われる中、対象も非生体から動物実験、そして2023年3月にはカダバースタディーも行われている。
遠隔手術における大きな課題となる遅延は、通信による遅延、情報処理(圧縮解凍)による遅延、そしてロボット駆動・表示遅延を合計したもので、体感遅延が1/10秒以下であればパフォーマンスに影響が出ないことが実験で明らかとなっているという。ちなみに、今回の実証実験では、通信遅延が往復で25ms、情報処理遅延が30msとなっており、トータルで55ms、つまり0.055秒という遅延で行われる。
使用する回線については、安全性の面から、通常のインターネットとは隔絶された閉域ネットワークが必須。ロボットを動かすためのデータと画像データを送受信するために十分な帯域を確保する必要があり、不確定要素のあるベストエフォートよりも帯域確保型の回線が望まれる。さらに最近では、複数の回線を組み合わせることでトラブルを防ぐ冗長化についての検証も行われている。
遠隔手術を実現するための課題として、平野氏はまず「経費負担」を挙げ、回線費用と診療経費の問題を指摘。また、「通信回線の安全性」については、施設内における情報通信セキュリティや不正アクセス対策の必要性を訴えた。
社会実装までは、ロボットの開発や許認可、通信の問題などがあるものの、実証実験により手術自体は可能なことがわかっており、そう遠くない未来に「遠隔手術支援」が実現することを展望。AIの発展や新たな通信手段の進化によって「完全遠隔手術」の実現も不可能ではないという平野氏は、ロボットを用いた遠隔手術が外科医療の問題点を解決できる可能性に期待しつつ、「とにかく安全性を確保したスタートが重要」と締めくくった。
続いて、ロボット企業を代表して、メディカロイド 取締役会長の橋本康彦氏が登壇。「日本発手術支援ロボットがDXを通して目指す未来医療」と題し、遠隔手術に向けてのロボット開発の概要を紹介した。
医療機器メーカーのシスメックスと、橋本氏が社長を務める川崎重工業の共同出資によって設立されたメディカロイドは、2015年に開発を開始。製品化するまで5回の試作を繰り返し、医師からのアドバイス・評価を反映しながら、2020年8月に「hinotori」が国産初の手術支援ロボットとして承認された。「目指したのは、ロボットに術式をあわせるのではなく、先生方の術式をロボットが再現することでした」と橋本氏は振り返る。
そして、冗長度を持つロボットのフレキシブルな動きを紹介。ロボットのアームは、人間の腕と同じサイズで、医師の動きを再現できるように仕上げられている。さらに、2020年の開発以来、さまざまなリクエストに応じてアップグレードを続け、アームベースの傾斜調整機能実装やインストゥルメントの拡充、操作感の向上、ハンドクラッチの実装、フットユニットの改良など、多くの機能が続々と開発されているという。
今後ロボットには、リモートあるいはネットワーク上でサポートをすることが必須であるという考えから、メディカロイドでは“MINS(Medicariod Intelligent Network System)”を準備。リアルタイムサポートによってトラブル解決する「安心サポート」や、データ解析によって手術の効率化を図る「手術プロセスの可視化」、さらに手技のデータ化と医療技術の伝承支援を行う「医療の均てん化」を目指している。
現在、指導医と主治医による「遠隔手術支援」の実現が目標だが、「完全遠隔手術」に向けての取り組みも進めているという。回線が切れても違う拠点に切り替えることができる「遠隔拠点切替」、最悪のケースとして、完全に回線が切れても、ロボットが安全に退避する「安全退避」などの必要性を示す橋本氏。「必要な技術は着実に準備しているところです」と、安全な遠隔手術の実現に自信をみせた。
NTT東日本 ビジネスイノベーション本部の坂下徳隆氏は、「遠隔医療を支える通信インフラと次世代通信技術」をテーマに、NTT東日本の医療分野での取り組みを紹介。通信事業にとどまらず、地域に密着する企業として、地域のさまざまな取り組みに参画し、「デジタルやITの力を使って、地域の皆様とともに持続可能な循環型社会を実現する共創パートナーを目指す」という同社の姿勢を示した。
医療分野においても、病院のDX推進をはじめ、地域や家庭、医療機関をネットワークで繋ぐことによって医療現場の課題解決や最適な医療サービスの導入を支援。「全国的な医療情報ネットワーク構築」や「病院のシステム構築・運用」、「次世代の医療ICT実用に向けた実証参画」などの具体的な取り組みが紹介された。
そして、新型コロナ対策によって要件が緩和されたことでオンライン診療が急速に拡大している現状において、日本のオンライン診療が可能な医療機関は16.1%にとどまることを指摘。ただし、コロナ禍初期の9.7%からは上昇しており、フランス(約50%)、アメリカ(約60%)、イギリス(約70%)と比較するとまだまだ低いとしながらも、「これから普及が伸びていくのではないか」と期待感を高める。
続いて、日本における通信ネットワークの概況を解説。日本は光回線の充足度が高く、モバイルブロードバンドにおいては世界1位の普及率を誇り、通信インフラについては、世界トップレベルで、国際的に見ても普及が進んでいるという。その中で、注目を集めるのが、次世代ネットワーク基盤として現在開発が進められている「IOWN(Innovative Optical and Wireless Network):アイオン」。光電融合技術と光通信技術の開発によって実現する次世代の通信・コンピューティング融合インフラで、電気を使わずに、光の信号だけで通信処理を行うため、消費電力の大幅な削減が可能になる。さらに、電気を変換しないので低遅延であり、大容量性についても、既存インフラに比べて大きな優位性を持っている。
現在、ネット上を流れるデータ量は指数関数的に増えている状況で、それを処理するサーバーの電力量も非常に大きな負担になっている。そういった問題を、IOWNによって解決していくとともに、大容量性や低遅延性という特徴も活かしていきたいと将来を展望。実際、今年の5月に開催されたG7デジタル大臣会合において、メディカロイドのhinotoriとIOWN APNを接続し、500キロ離れた環境を擬似的に構築。その環境においても、ロボットが安定して動くことが確認されている。
NTT東日本は、AMEDの「高度遠隔医療ネットワーク実用化研究事業」に参画。日本外科学会が推進する遠隔手術の実現とガイドライン策定のための実証支援を行っている。実証実験では、現在主流の商用ネットワーク回線を敷設し、環境を構築。手術操作や映像品質への影響を確認している。これまでの実証から、必要とされるネットワーク帯域を下回ると、パケットロスが発生し、映像の画質が低下。ロボット操作にも影響するため、帯域を十分確保することが必要だとしている。
また、病院や手術室などのファシリティについても言及。病院は構造上、複雑に部屋が分かれており、遮蔽物が多いのが特徴で、電波を発する医療機器も多数あるため、しっかり現地調査を行い、最適なネットワークを選択していく必要があるという。
遠隔手術支援の社会実装に向けて、通信事業体として、技術面、運用面、経済面を中心にさらなる検討が必要だという坂下氏。技術面においては冗長化の構成、運用面ではガイドラインに沿った運用の検討、経済面においては適切な回線料金の設定などを今後の課題として挙げた。
そして、自身も小児科専門医・認定内科医である参議院議員の自見はなこ氏が登壇。国会議員として、国や省庁への参入の働きかけなどで尽力する自見氏は、遠隔医療の実現に向けて、まずは地域医療の現状を紹介した。
「地域医療を支えながら医療の質の向上を図ること」を重視する自見氏は、2017年11月に「医師養成の過程から医師偏在是正を求める議員連盟」の事務局長に就任。医師の養成において、医学部教育が文科省、初期研修が厚労省と分断されていたが、役所によって分断されるのではなく、我々医師の手に取り戻すべきだという想いからプロセスを重視する姿勢を示し、医学部5・6年生と初期研修の1・2年目をシームレス化し、文科省と厚労省がしっかり連携することで、一般臨床能力の高い医師を養成することを目指す。さらに、医師不足地域を中心とする地域医療研修を、半年間を目途に義務化することも視野に入れた提言を行っている。
遠隔手術のプロジェクトについては、2期目が終わる頃に、さらにもう1期続けるか、あるいは厚労省などで具体的な国の予算事業のモデル事業に組み込むかの2つの分岐があり、その分岐点を踏み出すタイミングに来ていると指摘。十分なガイドラインの策定や安全性の検証も行われていることを確信しているという自見氏は、今後、全国知事会で今回の取り組みについて説明することは大きな意味があるとし、地方自治体の首長の支持や国民の理解が必要であることを強調した。
日本消化器外科学会の会場で遠隔手術の実証実験を実施
基調講演終了後、弘前大学医学部附属病院長で第78回日本消化器外科学会総会 会長の袴田健一氏に、今回の取り組みの経緯や遠隔手術の課題、今後の展望などについての話を伺った。
今回、日本消化器外科学会の場で、遠隔手術の実証実験を行った経緯について、「これから遠隔手術をさらに進めていくためには、広く国民のご理解をいただくとともに、実際に運用する外科医の皆さんに知っていただくことが重要」と話す袴田氏。日本消化器外科学会の会員は約2万人で、今回の総会には7~8,000人が参加。この機会に、日本中の外科医に実際のリアルな実証実験を見てもらうことで、遠隔手術についての具体的なイメージを持ってほしかったと続ける。
2020年度にスタートし、2021年に初めて実験が行われたという本プロジェクトだが、開始した当初は、まったくゼロから、何もわからない状態でのスタートだったという。
「私達は手術の専門家ですが、機械の専門家ではありませんし、通信の専門家でもありません。しかし、NTT東日本やロボット企業の方々に全面的な協力をいただき、情報処理企業や情報通信技術の専門家の皆さんにも入っていただき、国からのバックアップもいただいた。その頃はすべてが苦労でしたが、すべてが新鮮でもありました」
しかし、2021年の最初の実験段階から、遠隔手術の課題になると思われた“通信の遅延”がほとんど感じられず、極めて安定した通信環境が構築できていたため、遠隔手術の成功を確信したと袴田氏は振り返る。
「日本中どこでも光ファイバーで繋がっていますから、まったく同じ環境を日本のどこにでも作ることができます。ここで行った実験の結果は、決してここだけのものではなく、日本中どこでも再現できる。それが1回目の実験でわかったのが非常に大きかったです。ロボットも、1回目の実験はリバーフィールド、2回目の実験はメディカロイドのものを使用しましたが、いずれもまったく問題がなく、あとは調整の問題だけでした」
社会実装に向けて、順調に実証実験を繰り返す遠隔手術だが、今後の課題について「運用上の問題」の挙げる袴田氏。遠隔手術はオンライン診療指針の中に含まれているため、法律上の問題はクリアしているが、どのように患者に説明するか、遠隔医師と現地医師の責任分担はどうするか、そういった諸問題を解決する必要があるという。
「あとはセキュリティの問題です。通信回線のセキュリティは、通信事業体が担保してくれるので心配ありませんが、病院施設内のサイバーセキュリティ対策については、実証実験を通して調査を行いながら、どういった情報通信セキュリティ対策を講じるべきか、基準作りを進めています。さらに経済性の問題もあります。手術ロボットの導入と維持にかかる費用が高額であるとか、通信の料金体系が遠隔手術の使い方にマッチしていないとか。さまざまな問題がありますが、すべて技術的な問題なので、知恵があれば乗り越えられると思っています」
「遠隔手術支援」の実装について「数年以内に実現できる」と自信を覗かせる袴田氏に、「完全遠隔手術」の実現性についても尋ねてみた。
「実際、遠隔操作だけで手術できるという点では、すでに完全遠隔手術が可能な技術水準 に達しています。ただ、手術中に何か問題が起こっても、現場には主治医の先生がいて、 ちゃんと緊急回避できる体制が整っている。その担保があって、初めて社会的に理解される ものと思います。今の自動運転と同じような感じですね。現時点でみんなが納得できる環境が『遠隔手術支援』。やはり納得が必要なんです」
「遠隔手術は、これからの社会が抱えている問題を解決する方向に向かわせるひとつの大きなツール」という袴田氏は、適切に普及することで、地域医療の問題や医者不足、労働の効率化などを解決できるソリューションになることは間違いないとの展望を語り、「ぜひ期待感を持って、暖かく迎えていただきたい」と締めくくった。