広島電鉄、スプリング・ジャパン、JR東日本千葉支社、銚子電気鉄道、銚子市などが連携し、「広電から銚電への100周年バトンリレー」と題したイベントを7月8日に開催。千葉県内で貸切列車「100周年バトンリレー号」「バトンレシーブ号」が運行された。
2022年8月22日に開業100周年を迎えた広島電鉄から、2023年7月5日に開業100周年を迎えた銚子電気鉄道へ「100周年のバトン」をつなぐ、総移動距離1,000kmを超える壮大なリレーが実現。JR東日本の185系C1編成を使用した貸切列車「100周年バトンリレー号」(成田~銚子間)、銚子電鉄3000形の貸切列車「バトンレシーブ号」が運行され、これらの列車に乗車できるツアーも行われた。筆者を含む報道関係者らも成田駅から同行した。
■成田駅で出発式、タブレット型バトンがJR東日本千葉支社へ
リレーイベントが開催された7月8日、午前中に広島空港で広島電鉄代表取締役社長の椋田昌夫氏からスプリング・ジャパン代表取締役社長の米澤章氏へバトンが渡され、JALグループのLCCであるスプリング・ジャパンの航空便で成田空港へ。「成田祇園祭」でにぎわう成田駅の3番線ホームにて、「100周年バトンリレー号」の出発式が行われた。
まず成田市長の小泉一成氏が挨拶。広島電鉄と銚子電鉄の100周年、銚子電鉄でヒットしている商品などに触れつつ、「今後とも銚子電鉄・広島電鉄が200年、300年と永遠に続くことを心から願っております」と述べた。
小泉市長の挨拶が終了した後、14時36分に警笛を鳴らしながら185系C1編成が成田駅3番線に到着。成田市消防音楽隊による演奏が行われ、関係者や多くの利用者らに迎えられた。185系C1編成は「新幹線リレー号」(1982~1985年に上野~大宮間で運行)が活躍した当時の塗装を復刻した姿となっており、今回のために用意されたという「新幹線リレー号」を模したデザインの記念ヘッドマークを掲出していた。
185系C1編成の入線後、JR東日本千葉支社長の土澤壇氏へ、スプリング・ジャパンの米澤社長からバトンが渡された。イベント当日、広島の天気は悪かったとのことで、「バトンをつなげられるのかとヒヤヒヤしていました。いま、バトンを渡せて大変ほっとしています」と米澤社長。一方、銚子電鉄への走者としてバトンを託された土澤支社長は、「緊張しております」とコメントしつつ、「最後の最後までバトンをしっかりつないでいきたいと思います。最後まで盛り上げていきましょう」と意気込んだ。
広島電鉄の椋田社長もリレーに同行し、成田駅で挨拶した。昨年の宮島線開業100周年の際、スプリング・ジャパンの米澤社長と、銚子電気鉄道代表取締役社長の竹本勝紀氏から応援を受けたお礼として、バトンをつないできたとのこと。バトンリレーの瞬間に立ち会えることを喜びつつ、「いまからどんな交流ができるのか、わくわくしております」と期待している様子だった。
このバトンはタブレット(タブレット交換で使用される金属製の円盤)を模した形状となっており、今回のイベントのために銚子電鉄が制作したという。革製のカバーに収められたプレートに「広島」「銚子」の文字も刻まれていた。通常のタブレットより小さなつくりだが、これは飛行機の機内に持ち込めるようにしたためとのことだった。
各社の社長らによる挨拶が終わると、いよいよ185系C1編成に乗車。「185系C1編成 100周年バトンリレー号と銚電バトンレシーブ号に乗って、バトンリレーのゴールの瞬間を見に行こう! ツアー」の参加者も乗車する。
再び成田市消防音楽隊の演奏が行われる中、15時0分、成田駅長の合図とともに「100周年バトンリレー号」が成田駅を発車した。国鉄時代、「新幹線リレー号」が上野~大宮間で東北・上越新幹線への橋渡しを担った頃のように、今度は広島電鉄とスプリング・ジャパンから託されたバトンを銚子電鉄へ届けるべく、JR東日本の185系C1編成が成田線経由で銚子駅へ向かう。
■佐原駅で約40分停車、撮影会・PRイベントを実施
成田駅を発車した後、「100周年バトンリレー号」の車内でスプリング・ジャパンの客室乗務員によるアナウンスが行われた。ツアー参加者の乗車している号車に1人ずつ、客室乗務員または客室乗務員経験のある社員が立ち、シートベルトの締め方、酸素マスク使用方法、緊急時の救命胴衣の装着方法についてデモンストレーションを実施した。
デモンストレーションが終わると、各号車のスプリング・ジャパン社員がツアー参加者に記念品をプレゼント。その後、佐倉市・成田市の担当者が車内アナウンスでPRを行った。各関係者が放送を始める際、使用された車内メロディはゼンマイ式オルゴールの「鉄道唱歌」。国鉄時代を思い起こさせる音色に、懐かしさを覚えた人も多かっただろう。
列車の外に目を向けると、地元の人々や多くの鉄道ファンらが沿道や通過駅待っていた様子。それを見たツアー参加者が、沿道の人々に向けて手を振る場面もあった。
15時35分、「100周年バトンリレー号」は佐原駅3番線に到着。約40分停車し、その間に撮影会とPRイベントの時間が設けられた。車両撮影に関して、まず2・3号車のツアー参加者を成田方の1号車、4・5号車のツアー参加者を銚子方の6号車に分けて撮影を実施。「新幹線リレー号」塗装の185系を思い思いに写真に収めた後、自由撮影となった。列車との記念撮影を希望する親子も多く、スタッフが対応していた。
ホーム中央付近でJR東日本の物販も実施。185系のタオルや、185系のヘッドマークをデザインしたペンケースが販売された。列車が停車している間、ホームで「佐原囃子」の演奏も。改札口の電光掲示板に、この日限りの「L 銚子電鉄開業100周年記念号 銚子」「L 185系C1編成 団体(PARTY) Choshi」の表示もあった。
発車の約5分前までにツアー参加者全員が車内に戻り、その後、銚子電鉄の社員からツアー参加者へ、山崎製パンとコラボした「チーズパン(銚子電鉄のぬれ煎餅入り)」が手渡しで配布された。同商品は関東を中心に、8月31日まで一般販売される。
「チーズパン(銚子電鉄のぬれ煎餅入り)」が全員に行き渡ったところで、「100周年バトンリレー号」は16時22分に佐原駅を発車。「佐原囃子」が響き渡る中、佐原駅長や千葉県マスコットキャラクター「チーバくん」、伊能忠敬イメージキャラクター「ちゅうけいSUN」らに見送られ、列車は銚子駅へ向かった。
■銚子電鉄の貸切列車で犬吠駅へ - ゴールでサプライズも
佐原駅発車後の車内では、広島電鉄、JR東日本千葉支社、銚子電鉄などによる車内アナウンスでのPRが行われ、スプリング・ジャパン社員が司会進行を務めた。銚子電鉄のPRでは、リレーイベント当日からワンマン列車の自動放送を一新したとの発表もあった。放送が始まる際のオルゴールのメロディに「デキちゃんはトコトコ走る」「さようならありがとう」「虹のかなたに」を使用するという。
小見川駅で対向列車とすれ違いのため運転停車。その際、反対側のホームにいた利用者も興味深そうに185系C1編成に見ているようだった。成田線を走ってきた「100周年バトンリレー号」は、松岸駅で総武本線に合流し、17時3分、終点の銚子駅に到着。銚子駅長や銚子市の関係者が横断幕を掲げ、列車を待っていた。ここでJR東日本千葉支社の土澤支社長から銚子電鉄の竹本社長へバトンが渡された。
185系C1編成からリレー形式で連絡した貸切列車は銚子電鉄の3000形を使用し、「バトンレシーブ号」の名が付けられた。関係者とツアー参加者を乗せ、犬吠駅へ向かう。
「バトンレシーブ号」は17時21分に銚子駅を発車。列車が6両編成(185系C1編成)から2両編成(3000形)になったため、車内は混雑したものの、普段なかなか見られないにぎやかさに。犬吠駅まで竹本社長自ら車内アナウンスを行い、銚子電鉄が100周年を迎えたこと、これまでの同社の歴史、ネーミングライツや「電車お化け屋敷」といった取組み、本銚子駅付近の緑のトンネルなどを紹介した。
車内アナウンスの中で「経営状況は長いトンネルの中」「歩くよりは速い」といった自虐ネタを織り交ぜながらも、「社員二十数名力を合わせて、これからも鉄道を明日につなげるべく、最大限頑張っていきたい」と表明。車内から拍手が起こった。
「バトンレシーブ号」は17時41分、犬吠駅に到着。銚子市無形民俗文化財「銚子はね太鼓」による歓迎も行われた。関係者とツアー参加者がゴールの犬吠駅駅前広場に集まったところで、バトンを持った竹本社長が遅れて登場。「はね太鼓」の熱量高いパフォーマンスに囲まれるサプライズもあり、竹本社長が太鼓を叩く場面もありつつ、最後は見事に走り抜け、ゴールテープを切った。
これをもって、広島電鉄から銚子電鉄まで、100周年を迎えた両社をつなぐ1,000km超のリレーが無事終結。駅前広場のステージに4社の社長らが登壇し、「100年間支えてくださった皆様への恩返しの気持ちを込めて、全力でこれからも列車を走らせ続けたいと思います。そのために、美味しいぬれ煎餅をこれからも作り続け、お煎餅の売り上げで鉄道の赤字を埋めていくことも続けていきたい」と竹本社長が挨拶した。
なお、広島駅から東京駅まで山陽本線・東海道本線、東京~成田~銚子間を総武本線・成田線、銚子~犬吠間を銚子電鉄で移動した場合、総距離は1033.6kmで、本当に1,000kmを超えていた。今回のイベントで、広島電鉄、スプリング・ジャパン、JR東日本千葉支社、銚子電鉄の4社がつないだ「100周年のバトン」は、翌日開催された「銚電まつり」「千葉・銚子に広島がやってくる!」の会場(犬吠駅駅前広場)に展示されたという。