――川谷さんは、これまでも何度か役者さんとして作品に出演されています。音楽活動とはまた違った、役者業の醍醐味をどのように感じていますか。

川谷:音楽だけやっていると叶わないような、いろいろな人と出会えるのが楽しいですね。フェスに出たとしても、バンドマンやミュージシャンとしか出会わないですからね。映画の現場とは、まったく空気感が違います。僕は1年に1回は舞台の仕事を入れるようにしているんですが、そうやって自分ができないこと、経験していないことをきちんとやっていきたいなと思っています。今回も初体験だと思うことばかりで、映画ってこうやって作っていくものなんだということも知ることができました。

――新しい出会いや経験は、刺激になりますね。

川谷:今回、本作の撮影をした後にゲスの極み乙女のツアーがあったんですが、新曲の歌詞を書いている時に、『ゼロの音』や弦の存在にものすごく引っ張られてしまって。その曲をツアーで披露したところ、「『ゼロの音』の主題歌なんじゃないか?」と思ってくれた人がいたんですね。今回は撮影期間も長かったですし、自分にとって思い入れのある作品、役になって、一曲できるくらいの経験ができたんだなと思っています。慣れないことをやるにはもちろんキツさもありますが、新しい曲ができたことを考えても、また役者業をやってみたいなという思いはあります。

  • チェロを弾く川谷絵音 『ゼロの音』場面写真 (C)HJホールディングス

――音楽の道を絶たれた弦を通して、音楽について改めて考えたことはありますか。

川谷:僕はやっぱり、音楽しかできないなと思いました。他のものって何もない。音楽があるからこそ、こうやって役者のお仕事をさせてもらうこともできる。僕は熱しやすく冷めやすいタイプなんですが、音楽だけはずっと続けている。音楽をやりたいと思って上京して、その感情が今でも変わっていないんです。音楽をやっていく上では苦しさもありますが、それでもやっぱり音楽が好きです。そしてたくさんの音楽がある中で、自分の音楽を聴いてくれる人がいることにも、ものすごく感謝をしています。弦の陥った状況のように、ギターが弾けなくなるとか、耳が聴こえなくなるとか、たまにそういった夢を見ることもあるんですよ。そうしたら歌詞を書こうかなとか、できることを見つけながらずっと音楽を続けていきたいです。

――萩原さんは、先ほど一つの作品が終わると「寂しさもある」というお話をされていました。そんな中で、役者業に挑む原動力となるのはどのようなことでしょうか。

萩原:続けていくことで、一緒にお仕事をしてみたいと思っていた方とご一緒できたり、スタッフさんやキャストさんともまた再会できるという機会に恵まれることもあります。そういった瞬間が、原動力になっているような気がしています。お芝居は、やっていくごとに難しさが増えています。自分の引き出しを開けて、それを使っていくことになるので、どんどん引き出しを増やさないといけない。たとえば泣くお芝居があったとしたら、「この顔って、この前もしていたかもしれない。この表現は、もう使ってしまったかもしれない」と感じることもあります。

川谷:それはすごくわかります。歌詞やメロディでも“自分っぽさ”が出ているなと感じるたびに、ここから離れたほうがいいんじゃないかと思ったりする。でもそれがその人の個性であり、いいところでもある。表現っていろいろなものが探せるし、考えても限りがないものだなと思っています。

■川谷絵音
1988年12月3日生まれ。長崎県出身。高校時代からバンドを始め、大学時代は軽音楽部にて活動。その後、「indigo la End」、「ゲスの極み乙女。」を結成し、2014年に同時メジャー・デビュー。両バンドの作詞・作曲のみならず、休日課長が率いるバンド「DADARAY」や「ジェニーハイ」の楽曲制作も担当。他アーティストへの楽曲提供など、精力的に活動している。2018年にはドラマ『恋のツキ』(テレビ東京)で俳優デビューを果たす。
■萩原みのり
1997年3月6日生まれ。愛知県出身。2013年4月、TBSドラマNEO『放課後グルーヴ』でドラマデビュー。映画『ルームメイト』(13)で映画デビューを果たした。以降、『転がるビー玉』(20)や『佐々木、イン、マイマイン』(20)、『花束みたいな恋をした』(21)、『街の上で』(21)、『成れの果て』(21)、『N号棟』(22)など、あらゆる作品で豊かな表現力を発揮。6月23日からは『君は放課後インソムニア』が公開となる。

萩原みのり衣装協力:Jouete