――八木さんと軽部さんの2人で一緒に取材したこともありますよね。

八木:映画のキャンペーンでハリウッドスターを取材するときは、各局20分ずつとかで時間をもらうので、いかに印象を残して、他局と違う素顔を引き出すか、同じインタビューにならないようにするかというアレンジに結構苦労しましたよね。(アーノルド・)シュワルツェネッガーと追いかけっこしたりとか、ケビン・コスナーに浴衣でインタビューしたこともありました(笑)

軽部:『ウォーターワールド』のキャンペーンで夏に来たので、「日本の夏の良さを伝えなきゃ」ということで、2人で浴衣を着たんですよね。当時、新宿の河田町にあった会社で着替えて、車で帝国ホテルに行って、正面玄関から上の部屋まで2人で浴衣で歩いて。僕はあんなに浴衣を着て恥ずかしいと思ったのは、あの日だけですから(笑)。しかも、前振りで八木さんが僕に何て言ったか、覚えてますか?

八木:覚えてない(笑)

軽部:「軽部さん、どこかにお泊りかしら?」って言ったんです。ちゃんとした浴衣が用意されなくて、完全に旅館の浴衣なんですよ。だから胸元がはだけちゃったりして(笑)

八木:そうやって他で見せない素顔を何とか出したいと思って、ロバート・デ・ニーロに『めざましテレビ』のみんなの集合写真を持っていって、「あなただったらこのメンバーでどんな映画を撮りますか?」って、よく考えたらすごく失礼なことを聞いてました(笑)。すごい渋い顔して悩んでくださった記憶があるんですけど、今思うと本当に穴があったら入りたいインタビューがいっぱいあります。空回りもしましたね(笑)

軽部:そうやって実験的に果敢に、いろんな演出をディレクターと一緒に考えてやってたんですよね。

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■八木を見て涙ぐんだ理由は…

――高橋さんは、ご担当されてきた中でどんなことが印象に残っていますか?

高橋:僕はたかだか10年ちょっとなんですけど、やっぱり20年、25年、30年っていう節目の年に行ったビッグプロジェクトが印象に残ってますね。25年だと東京オリンピックの前にタスキリレーで全国各地を回る「日本つながるプロジェクト」をやったり、今年も「めざましテレビ30周年フェス」で全国を回ったり、全国の美味しいニューフェイスグルメを発掘する「FNSご当地うま撮グランプリ」という企画をやっています。

 それと、MCが変わるタイミングは、いつも印象深いです。自分が担当してからは、加藤綾子さんから永島優美さんに代わり、永島さんから井上清華さんに代わったのですが、最初はやっぱりスタッフも本人も緊張している中で、このキャスターをどういう色にしていくか、考えながらやっています。永島さんは結構苦労していて「私、どうしたらいいのでしょうか?」っていうところから始まったんですけど、ある年末から永島さんの迷言集を放送し、おっちょこちょいだけどどこか憎めない人柄を視聴者に紹介したり、YouTubeでBTSの「Dynamite」ダンスを踊ってみたらそれがバズって、徐々に徐々に永島色が定まっていったのを覚えています。

――八木さんは94年から98年までメインキャスター務められましたが、引き継ぎはあったのですか?

八木:ないですね(笑)。私の次の女性のメインは小島奈津子ちゃんと木佐彩子ちゃんの2人体制で、3人でご飯は食べたと思います。でも、そこで何を話したのか、全く覚えてない(笑)

軽部:小島さんは月~金で毎朝5分くらいの中継コーナーが2~3回あって、本当に大変だったと思います。だけどあれで全国区になって、「なっちゃん、なっちゃん」って本当に親しまれてメインになっていくわけですけど、当時まだ大きかった携帯電話を担いで「故郷のお母さんに電話してみませんか?」って突撃みたいなこともやってましたね。

八木:曜日ごとにいろんな企画がありましたよね。この間、私がやっていたときの『めざましテレビ』を見てたという人にお会いしたんですよ。そしたら急に涙ぐんじゃって、「えっ、どうして?」と思ったら、「あのときつらかった浪人時代を急に思い出してきて」って言ったんです。私に会ったことに感動してくれたのかと思ったら、そうじゃなくて(笑)。でも、あの頃よく聴いてた音楽でもそういうことがありますけど、毎朝の番組ってその人と共にある時代を過ごすものなんだなっていうのを、すごく思いましたね。

――『めざましテレビ』の出演者に求められるものというのは、何でしょうか?

高橋:やはり一番大事なのは、情報を正確に届けていくことだと思うんですけど、その上で情報を視聴者の体の奥まで届けてもらえるかがとても大切で、伝え手によって、その情報の大きさや価値が変わってくるんです。朝の時間帯の“ながら視聴”の中で、同じニュースを読んでもらっても、届ける力が弱いかな?っていう方だと視聴者の体の中に入っていかず、情報が流れてしまう。一方でその力がある方ですと、大切な情報をインプットしていただけるので、そういうことで軽部さんには30年出ていただいているし、三宅(正治)さんもそうですし、届ける力があるアナウンサーの方とお仕事させていただけると、ありがたいなと思います。

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●八木亜希子
1965年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学卒業後、88年フジテレビジョンに入社し、同期の有賀さつき、河野景子とともに“三人娘”と呼ばれて人気を博す。『めざましテレビ』で初代女性メインキャスターを務めたほか、『笑っていいとも!』『さんまのスポーツするぞ!大放送』『スーパーニュース』などを担当し、00年に退社してフリーに。その後、『BSフジLIVE プライムニュース』(BSフジ)、『久米宏のテレビって奴は』(MBS)などで司会を務めたほか、映画『みんなのいえ』で本格的に女優デビューを果たし、『あまちゃん』(NHK)、『カルテット』(TBS)などのドラマにも出演。現在は『八木亜希子 LOVE&MELODY』(ニッポン放送)、『八木亜希子のおしゃべりミュージアム』(BSフジ)、『AS-Lab(アスラボ)チャンネル』(東京大学エクステンション)、『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』(フジ)などに出演する。

●軽部真一
1962年生まれ、東京都出身。早稲田大学卒業後、85年フジテレビジョンに入社。『おはよう!ナイスデイ』を担当後、94年に『めざましテレビ』がスタートして以来、一貫してエンタメコーナーを担当する。現在はほかにも、『MUSIC FAIR』、『男おばさん!!』(CS・フジテレビTWO)、『日曜邦画劇場』(日本映画専門チャンネル)、イベント『めざましクラシックス』を担当。22年7月から役員待遇エグゼクティブアナウンサー。

●高橋龍平
1978年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学卒業後、01年にフジテレビジョン入社。情報制作局で、『とくダネ!』『スタメン』のほか、『椎名誠のでっかい旅!』『ザ・ノンフィクション』『NONFIX』『FNSドキュメンタリー大賞』などを担当し、『ノンストップ!』『アゲるテレビ』総合演出を経て、『めざましテレビ』でプログラムディレクター、総合演出、19年7月から第8代チーフプロデューサー。