――15周年はまだまだ短いというお話でしたが、15年を振り返って記憶に残っていることは?

たかのり:NSCに入って、Aクラスになって「余裕ちゃうん? すぐ売れるんちゃう?」と思って、実際劇場オーディションでネタやって「ぜんぜんウケへん」というのを繰り返して、3年目にちょこっと劇場に入れた。そこから、9年目まで迷い続けました。形もスタイルも決まらず、「どうしようか」となりながらアルバイトに明け暮れて。お互いバイトして眠たい中、イライラして。

周平魂:バイトを4つ掛け持ちしていましたから。最後は中華の出前、深夜11時から朝9時まで駐車場の係員、居酒屋のランチ、キャバクラのボーイもしていました。

たかのり:僕もキャバクラを別のところでやっていました。同期の芸人の実家の居酒屋でも働いていましたし、深夜にパソコンでテレアポ的なこともやって、バーでも働いていました。

――寝る暇もない働き方を。

周平魂:ほんまに気色悪い状況でしたね。

たかのり:ほんまにしんどかったですね。で、どちらかのバイト先に行ってネタ合わせをする。僕らは人気があるコンビではないですから、単独ライブのチケットは手売りで売らないといけない。ライブできないと新ネタがかけられないから、劇場前とか道頓堀とかずっと声かけて……そしてまたバイト行って、集合してネタ合わせして。もちろんピリつくこともありました。それをほぼ10年間やりました。

周平魂:1回だけ「お笑いやめたほうがいいのかな?」と思った1日がありました。真冬深夜の駐車場の小さな小屋で、すきま風に寒い寒いと思いながら足元の暖房ストーブに当たっていて。その日は深夜1時に駐車場を閉めることになって、「単独ライブのネタどうしよ?」とずっと考えていて、パッと時計見たら4時だったんです。そのとき、俺は何がしたいのか、何に向けて頑張っているのかわからなくなりました。毎月新ネタやっているけど結果が出ない。9年目に近づくにつれて「マジで何の意味もないんちゃう?」と。

たかのり:食えない状態でバイトやっていて頭おかしくなりそうでしたね。食えるわけでもないのに新ネタを9年ずっとやっている。

周平魂:ずっと目指していた遠くの小さな光がハッと消えたんです。駐車場でタイムカードを切って「マジでやめたほうがいいのかな?」と思い始める。家帰って、翌朝も早起きして、街を徘徊していたら『自分の中に毒を持て』という本の表紙にプリントされていた岡本太郎さんの写真と目が合ったんです。読んだら、「ほんまはこうやったはずなのにこうなってしまった」とか、自分の不安要素を岡本太郎さんの本がバッサバッサ切ってくれて。次、相方とネタ合わせするために会ったときは平然としていましたが、お笑い辞める寸前まで行っていました。

たかのり:2人で思っていたのは、ABCお笑いグランプリで芸歴10年目までに決勝いかんかったらほんまにヤバいなと考えていた。売れる気満々で入ったのに「俺らヤバいんちゃう?」と。7、8年目くらいから毎月単独ライブをやり始めて、10年目でやっと関西の賞レースの決勝に1つ行けた。そこでやっと心が安定しました。

周平魂:ABCお笑いグランプリの決勝行くことが決まったときに、見取り図のリリーさんに「耐えたな~!」と言ってもらえたのをよく覚えています。