獺祭の蔵元である旭酒造がアメリカ進出に本腰を入れる。2023年3月にはニューヨークに新たな酒蔵(以下、NY蔵)が完成する見込みで、同社 桜井博志会長も現地に移住して指揮をとるという。その狙いとは? 都内で3月8日に開催された関係者による激励会にて、桜井博志会長、桜井一宏社長が抱負を語った。
■世界にSAKE文化を広める
獺祭の売上高推移とともに、旭酒造のこれまでを簡単に振り返る。獺祭が発売されたのは1990年のこと。その12年後、2002年にはNYにも輸出を開始している。2010年頃から売上が急激に伸び始め、ついに2016年には100億円を突破。この年、NY蔵の建設計画がスタートしたという。2020年にはコロナ禍により一時的に落ち込むが、昨年(2022年)には過去最高となる165億円の売上高を記録した。なお、この165億円のうち実に70億円(43%)が輸出によるものだ。
桜井一宏社長は「外国人に向けてワインみたいな日本酒をつくっても、やっぱりワインには勝てない。海外でワインやシャンパン、ウイスキーに勝つためには、圧倒的な品質の日本酒が必要なんです」と説明。獺祭を通じて、日本から世界に出ていくビジネスモデルをつくっていきたい、と意気込む。
日本酒を武器に海外で戦っていくステージをつくりたい、そのための前線基地がNY蔵になる、と桜井社長。コストや物流を考えると西海岸のほうが有利だが「色んな国から人がやってきて、文化をつくり、世界に発信していける街がニューヨーク。現地の人と交流して美味しさを追及し、世界に向けてSAKE文化を広めていきたい」とした。
また桜井博志会長は「これは日本酒の話だけにとどまりませんが、日本の小さな市場だけでは今後、やっていけなくなります。では、輸出量を増やせば良いじゃないか、という人もいます。当面は簡単に結果が出ますが、おそらく5年先、10年先の発展は見込めない。世界で生き残るためには、アメリカのマーケットにガッチリと入り込んでいかないといけないと思うんです。現地で製造を安定させるためにNY蔵をつくりました。私は日本国内でイチバン多くの失敗を経験してきた蔵元ですので、そんな私がニューヨークに飛んで失敗を繰り返しながら試行錯誤するのが良い、という考えなんです」。70年間の失敗を繰り返した経験を棚に上げて、懲りずにアメリカに行ってこようと思います、と笑顔を見せた。
このあとメディアの質問を受け付けた。
現地における生産体制、および会長が乗り込む意義について問われると、桜井会長は「山口県の酒蔵と同じ設備をアメリカに持って行きます。そして初代と2代目の工場長も連れていきます。盤石な体制ではありますが、実際につくってみたらまったく別モノの獺祭ができてしまうかもしれない。これを修正しながら、日本の獺祭に負けない『DASSAI BLUE』をつくっていきたい。ときには立ち止まったり、逡巡することもあるでしょう。担当の社員だけで行ったら、誰かが責任をとらされるかも知れない。でも数々の失敗を繰り返してきた73歳の私が行くことで、現場で『これでいこう』などとスタッフに声をかけて一緒にやっていくことで、そうした困難も乗り越えていけると思うんです」と説明する。
会長が渡米する、という話はいつ出てきたのか。そんな質問に桜井社長は「はじめはもっと若い経営陣が行くことを考えていましたが、気が付いたら会長のほうがワクワクし始めてて、俺が行く、行きたい、という話になって(笑)。でも、現場で方向転換を繰り返しながら、失敗も受け入れて頭をかいても次の方向に進んでいけるのは、会長か社長の2人だけ。そんな共通見解もありました」と回答。
いまどんなことを心配しているか、と聞かれると「先日、突然『アメ車を買ったよ』と言われました。買うまで秘密にしていたようです。この人、乗る気なんだなと思いましたし、向こうで交通違反でもして、言葉も分からないのにアワアワしないかな、とそこを心配しています」と話し、会場の笑いを誘っていた。