
プロ野球 最新情報
毎シーズン、数多くの選手がユニフォームを脱ぐ決断を下す。引退を判断するタイミングは選手ごとで異なるものの、ファン目線では「もっと現役で活躍できるのでは」と思わせる選手もこれまでに数多く存在した。そこで今回は、現役最終年に「まだまだ現役で見たかった」と思わせる活躍を見せた選手を紹介する。
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新庄剛志
出身:福岡県
投打:右投右打
身長/体重:181cm/76kg
生年月日:1972年1月28日
ドラフト:1989年ドラフト5位
まさかの形で現役引退を発表し、ファンを驚かせた新庄剛志。新庄は最後まで自分らしさを貫いた存在だった。
阪神タイガースからプロ生活をスタートさせた新庄は、パンチ力と強肩、広い守備範囲を武器にスタメンの座を勝ち取る。2000年はともにキャリアハイの打率.278・28本塁打を残してメジャー挑戦。メジャーで3年間プレーしたのち、北海道日本ハムに入団した。
2004年には幻となったサヨナラ満塁本塁打、2005年には古巣の阪神タイガースから交流戦で本塁打を放つなど、数々の印象に残るプレーを見せた新庄。しかし、2006年の4月、試合後のヒーローインタビューで同年限りでの現役引退を突如発表。
新庄にとってラストシーズンとなった2006年、ファイターズは25年ぶりの優勝・44年ぶりの日本一の両方を成し遂げた。最終年に打率.258・16本のアーチを描き、守備でも活躍した新庄の存在がなければ、優勝・日本一のどちらもなかったかもしれない。最高の置き土産を北海道に残し、17年のプロ生活に別れを告げた。
阿部慎之助
出身:千葉県
投打:右投左打
身長/体重:180cm/97kg
生年月日:1979年3月20日
ドラフト:2000年ドラフト1位
「打てる捕手」の代表ともいえる選手が、ジャイアンツで活躍した阿部慎之助だ。
安田学園高校(東京都)から中央大学に進んだ阿部は、大学でも強打を活かして大活躍。2000年のシドニーオリンピックには大学生ながら代表として選ばれた。一時はコンバートの話もあったが、阿部自身は捕手にこだわりを持っていたこともあり、キャッチャーとしてジャイアンツに入団する。
2001年、阪神タイガースとの開幕戦では上原浩治とバッテリーを組んでプロ初出場。17-3で大勝を収めたジャイアンツの中で、阿部はタイムリーとなるプロ初ヒットを放つなど4打点。開幕戦から存在感を発揮した。
その後も活躍を続け、19年間で積み重ねた本塁打数は406。引退年以外のすべてのシーズンで2桁本塁打を記録した。引退となった2019年、ソフトバンクホークスとの日本シリーズで千賀滉大から豪快な本塁打を放った姿は、とても引退する選手には映らなかった。最終年成績は、打率.297、7本塁打、OPS.892となっている。
山本浩二
出身:広島県
投打:右投右打
身長/体重:183cm/82kg
生年月日:1946年10月25日
ドラフト:1968年ドラフト1位
数々のタイトルを獲得し「赤ヘル打線」の中軸で活躍したのが山本浩二だ。
元々は投手だったものの、法政大学に入学すると野手に転向した山本。強肩を活かした守備に加えて打撃力も発揮し、大学3年の春からレギュラーの座を掴み取った。プロから注目を集める存在となり、ドラフト1位指名で広島カープに入団する。
山本は1年目から規定打席に到達し、打率.240・12本塁打とまずまずの成績を残した。その後も試合に出続け、1975年にキャリア初の打率3割超え(.319)・30本塁打という活躍を見せると、最多本塁打4回・最多打点3回・MVP2回を獲得するなど広島カープに欠かせない存在となった。
実働年数18年の山本は、新人年から引退年まで規定打席に到達。この記録は王貞治や落合博満も達成しておらず、改めて山本の凄さを象徴している。最終年は打率.276・27本塁打という成績を残したため、「まだ現役で見たかった」と思うファンが多いのも頷けるはずだ。
王貞治
出身:東京都
投打:左投左打
身長/体重:177cm/79kg
生年月日:1940年5月20日
ドラフト:
2022年にヤクルトスワローズの村上宗隆に塗り替えられるまで、日本人シーズン最多記録55本塁打を保持していた王貞治。「世界の王」は最後まで驚異的な活躍をした選手といえるだろう。
1959年から読売ジャイアンツに入団し、1年目は打率1割台ながら7本塁打を放った王。期待されていた長打力を発揮すると、5年目の1963年に40本のアーチを描いた。そして1964年、長らく破られなかったシーズン55本塁打の偉業を成し遂げ、日本プロ野球を代表する選手となる。
22年間ジャイアンツでプレーした王は、ルーキーイヤー以外の全てのシーズンで2桁本塁打を記録。また、選んだ四球数が100を超えるシーズンが多く、打率の安定感も際立っていた。三振数が100を超えたシーズンは1960年のみで、バットに当てる技術力が突出していたことがわかる。
最終年は打率.236ながら30本塁打という成績。それでも、「王貞治としてのバッティングができない」ことを理由に引退した。
高橋由伸
出身:千葉県
投打:右投左打
身長/体重:180cm/87kg
生年月日:1975年4月3日
ドラフト:1997年ドラフト1位
読売ジャイアンツの中軸として長く活躍したのが、「天才打者」と称されることも多かった高橋由伸だ。
桐蔭学園高校(神奈川県)では、1年生から甲子園に出場した経験を持つ。大学は慶應大学に進学すると、大学3年の春に三冠王を獲得するなど大活躍。東京六大学リーグ通算23本塁打は現在も破られていない記録である。
ジャイアンツに入団後は1年目から規定打席に到達し、入団から11年連続で2桁本塁打を放つ活躍を見せた。しかし、けがに悩まされることも多く終盤は代打に回る。それでも2015年は77試合に出場して打率.278・5本塁打、OPS.815と活躍したが、同年限りで原辰徳が監督を退任し、新監督として高橋に白羽の矢が立った。
まさかの形で監督就任の要請を受けた高橋は、最終的に要請を受け入れて監督に就任。2015年の8月には東京ドームの逆方向へ本塁打を放つなど、十分な活躍を見せていたものの現役引退となった。
和田一浩
出身:岐阜県
投打:右投右打
身長/体重:182cm/90kg
生年月日:1972年6月19日
ドラフト:1996年ドラフト4位
遅咲きながら活躍を見せたのが、西武ライオンズ・中日ドラゴンズで活躍した和田一浩である。
キャッチャーで入団した和田は伊東勤の存在もあり、なかなか出場機会に恵まれなかった。しばらくは規定打席に到達しなかったが、打率が3割を超えるシーズンもあり2002年から外野手に転向。外野手に専念したことで打撃が本格的に開花し、2002年は規定打席に到達して打率.319・33本塁打を残して活躍した。
その後も2005年に首位打者を獲得するなど、幾度となく打率3割を記録する打者となった和田は2008年に中日ドラゴンズへ移籍。2010年は打率.339、キャリアハイの37本塁打でMVPに輝いた。
2011年は統一球の影響で成績を落としたものの、翌年以降に成績を戻して最終的に2015年までプレー。最終年は規定未満ながら、打率.298という素晴らしい数字で現役生活にピリオドを打った。
【了】