マネ―スクエアのチーフエコノミスト西田明弘氏が、投資についてお話します。今回は、米ドル/円について語っていただきます。


9月1日の欧米市場で、米ドル/円は140円台を示現しました。米ドル/円の140円台は98年8月以来、実に24年ぶりです。1日(日本時間2日午前7時)時点で、米ドル/円の年初からの高低差(変動幅)は26.722円。2000年以降の年間平均が約15円なので、それを10円超上回っています。高低差も98年(35.810円)以来の大きさです。

月足チャートをみれば、次は98年8月11日につけた147.710円が視野に入ります。後述するように、長期トレンドからすれば、147円は通過点かもしれません。ただ、目先的には、FRBが利上げを続けるとみられるなかで、米景気や株価がどこまで耐えられるかが重要なポイントとなりそうです。

  • 米ドル/円(月足、単位:円、95年1月-22年9月1日)

9月1日は米国の8月ISM製造業景況指数が市場予想を上回り、ダウ平均株価が5営業日ぶりに上昇したので、米ドル/円が上昇したのはある意味当然だったかもしれません。今後も、米経済指標やそれらに対する株価の反応に要注目でしょう。


以下では、98年に米ドル/円が147.710円をつけた背景を考察し、現在と比較します。

98年当時は外国のファンドなどによるキャリートレードが全盛で、円調達での外貨(資産)運用を高いレバレッジをかけてやっていたので、円安が進行した。それが、ロシアのデフォルトをきっかけに大手ヘッジファンドLTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)が破たんしたことで市場が強いリスクオフに傾き、レバレッジをかけたポジションが一気に巻き戻って急激な円高につながった。

  • 米ドル/円(日足、単位:円、95年7月1日-99年6月30日)

以上はほぼ周知のことでしょう。そして、もう少し深く掘り下げると、内外金利差と日本経済に対する悲観が円安の背景にありました。

95年の「超円高」

時計の針をさらに戻すと、95年4月には米ドル/円が一時80円を割り込む「超円高」が起こりました(円の実質実効レートでみれば過去最高)。日米貿易不均衡に代表されるように、「強い日本経済vs脆弱な米国経済」が中心テーマでした。

米ドル安(円高)に対して、同年4月のG7で「秩序ある反転」が表明され、協調介入に加えて、日銀の積極的な金融緩和や海外投融資の規制緩和などの措置がとられました。

アジア通貨危機からジャパンプレミアムへ

この頃から、日米の金利差(日本<米国)は大きく拡大します(下図は日米の政策金利差)。そして、97年にアジア通貨危機が発生(※)。アジア経済の落ち込みは日本経済にも悪影響を与え、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券が相次いで破たんする金融危機へと発展します。金融危機の下で日銀は強力な金融緩和を続け、またジャパンプレミアムも発生します。これは、日本の金融機関の信用力が大きく低下し、外貨調達に際して上乗せ金利を要求されるというもの。外国金融機関からすれば、非常に有利な条件で外貨を貸して円を受け取れたのです。それがキャリートレードの原資になりました。

(※)アジア通貨危機も、米国の金利上昇によって米ドルが上昇したことが背景でした。当時のアジアの多くの国は自国通貨を対米ドルで固定(ペッグ)していました。米ドル高によって自国通貨が実力以上に上昇し(対外競争力を失い)、そこを外国のファンドに狙い撃ちされたのです。

現在との相違点と類似点、147円は通過点か

98年当時と比較すれば、内外金利差はさほど大きくないかもしれません。もっとも、日銀が現在の金融緩和を続け、その他の主要中銀がアグレッシブな利上げを行えば、内外金利差は一段と拡大して円安要因になると考えられます。

現在、日本の金融システムは安定しています。高レバレッジの円キャリートレードが行われている証左もありません。そうだとすれば、急激な円安も、その反動での急激な円高も起きないのかもしれません。

もっとも、他の主要中銀がインフレ対策のアグレッシブな利上げに舵を切るなか、日銀が金融緩和の姿勢を堅持していること自体が日本経済の先行きに対する不安を反映していると言えるかもしれません。

日本の財政破たんの懸念などから日本国内の資金が一気に海外に逃避する、いわゆる「キャピタルフライト」はすぐには起こりそうもありません。しかし、日本経済の先行きに対する不安から、日本の企業や家計が資産を少しずつ外貨に替えたり、外国投資家が日本への投資を徐々に引き揚げたりしているとすれば、それは形を変えた「キャピタルフライト」と言えるかもしれません。

「147円は通過点だった」と振り返る未来がやってくる可能性は相応にあると思われます(時間軸をかなり延ばす必要はあるかもしれませんが)。