――今回共演した収録はどのような様子だったのでしょうか。

アヴちゃん: 一緒にやったのは一回だけだったんです。最初の練習でお互いのトーンを見た以外は、お互いの芝居を受けて、ここはこうしてくれたからこうしようみたいに。

森山: 幼少から成長していく声の動きとか、アヴちゃんの作りこみが半端じゃなかったので助けられました。それを受けて、こちらはこういうふうにしなきゃいけないのかなって指針になってくれたので。

――セリフなどが現場で変わることはあったんですか?

森山: けっこうガラッと変わったところがあって、これでいいの!?みたいになりました。説明部分がザックリなくなっているところもあって。

アヴちゃん: 一つが変更になると一気にいろんなところが変わっていく、こんなにシームレスに進むんだと驚きました。画の製作は進んでいますからそれに合わせたり、もしくはこちらのセリフで画が変わっていくこともありました。最後の曲でデュエットしているのも未來氏がハモりを考えてきてくれて、一緒に歌いたいと提案したことで実現したものでした。

森山: あれは音楽を担当している大友良英さんのスタジオに相談しに行ったんです。そこで作れるのかと思いきや、「じゃあやりながらで」みたいな話になって。

アヴちゃん: そうした意味では、今回の「任せてくれ加減」は他の追随を許さないレベルの信頼だったと思います。ここまでいろんな提案をしてくるって想定して呼んでくれたんじゃないと思うんです。私たちって、真面目プラスアルファなんだなって(笑)。

――アヴちゃんと森山さんが、普段の「歌う人」と「踊る人」という位置づけが、劇中では逆なのが面白いなと思ったのですが、その意義を感じたところはありますか?

森山: 能楽師は舞う人であり、琵琶法師は歌う人だから、確かに最初はそう思いました。でもよくよく考えたら、能楽師も猿楽師も歌って踊る演者だから、それはアヴちゃんには適任だよなって。むしろ僕ですよ、問題は(笑)。

アヴちゃん: 声質のよさはもちろん、元々歌が上手なのは知っていました。でも、期待に応えるという意味での未來氏のすさまじいポテンシャルは感じていたけど、自分から訴えていく、内臓からシャウトしていくような試みは、一緒にトライしていった中で、予想を超えてすごいと思うところまで見せてくれたので楽しかったですね。

――今回、『犬王』に参加したことで受けた刺激は?

アヴちゃん: 私はこの犬王という役に対して、「出会っちゃった」という感覚がありました。自分からギャル成分を抜いたらけっこうこの子だなと思うくらい自分と重なって、つい「犬王だったらどう考えるかな」と考えてしまうくらい、自分の中にイレギュラーな形で人格が増えてしまったんです。

燦然とした自分の理想を、自分の体を使って存在させてしまったことで、あくまで「キャラクター」だという割り切り方ができなくなってしまったんです。そんな自分に驚いて、整理したくて「犬姫」という曲を発作的に書き上げました。作品としては完結しているんですけど、自分としてはまだ終わっていない。チャンネルが一つ増えてしまったような感じです。

森山: この作品を収録していた去年の3月ごろ、僕はちょうど清水寺でパフォーマンスをしていました。東日本大震災から10年を迎えた2021年3月11日に行われた舞の奉納だったんですが、其れも含めて昨年の上半期は特に此岸と彼岸を行き来するようなパフォーマンスが続いていました。なぜかわからないですけれど。それがどのようにこれからの自分の中に位置づけられていくのか、今は観察しているところです。

――本作の特徴なのか、お二人の歌声からは身体性を感じさせるような印象がありました。それは意識されていたことなのでしょうか?

森山: 意識していたことではありませんが、もしそのように受け取っていただいたのであれば、『犬王』の三つの演目が、音や身体といったヒトの動物的で直感的な部分にタッチしてくる構造になっているのかなという感じがします。

歌舞伎にしても能にしても、話をわかっていないと初見では理解するのが難しいと思うんです。『犬王』の演目も近いところがあって、だけどその分言語ではない、直感的な部分を刺激するものが立ち上がっている。アヴちゃんの声からくるもの、この作品の音楽性、そして湯浅さんが描く立体を超えちゃったような画が、そうさせているのかもしれません。

アヴちゃん: 小さなころ、たまに出る「好きな音楽は?」という話題に違和感をもっていたんです。「好きな音楽は?」ということは、「音楽が好き」であることは前提になっているわけだから。でも、音ってもっと恐ろしいもの。音のいろんなルーツが置き去りになって、「音楽」として消費されているところがあると思うんです。

これはアニメも同じかもしれない。だけど、いい悪い、好き嫌いとかじゃなくて、「食らって」しまう、手に負えないということは素晴らしいことだと思うんです。私は自分のバンドはその最たるものだと思ってやっています。その香りのするものがアニメという手法で放たれる、『犬王』。自分自身、参加できてとてもよかったと思っています。